疾走
アパートのドアを開け、飛び出す。一階への階段を2段飛ばしで駆け下りる。
灯台下暗し、つまり、不正アクセスの主は同じアパートから仮想空間にアクセスしていたのだ。
一階に着くと、長身でツーブロックにフレームレスの眼鏡をかけた生真面目そうな男が立っていた。
ガタイがいいので、何かスポーツをやっていたのかもしれない。
「あの、武田さんですか? 」
「そうだ、部屋に案内してくれ」
手を出して、制止する。
「駄目です。監視カメラに映ります。部屋のロック解除が先です」
「分かった、高瀬さん! 」
武田さんはスマホ片手に高瀬さんに指示を出す。暫くすると解錠されたのか、武田さんが首を縦に振り、目線で合図を送ってくる。
手でついてくるようにジェスチャーをして、ドアの前まで素早く誘導する。
指を三本立てて、カウントダウンしていく。
……三、二、一。
ドアノブを掴み、中になだれ込む。
玄関を抜けて、リビングのドアを開ける。そこには無数のディスプレイが所狭しと置かれていた。
周囲を見回す。
誰も人がいない。ロフトに隠れているのかと、上を見上げたが、一階の部屋にはロフトがないらしく天井があるだけだった。
「山内くん、あそこの出窓! 」
人影が見えた。二手に分かれて、出窓も防ぐべきだった。
「武田さん、ここおまかせしてもいいですか? 」
「分かった。くれぐれも、深追いしないようにね。僕もすぐに行く」
そういうと、複数あるキーボードの一つを触り始めた。
僕は出窓を這い上がり外へ飛び出すと、石の擦れるじゃりじゃりとした音が鳴る。
そこは駐輪場で、人が出入りするには十分なスペースがあった。
遠くに全身黒ずくめの人影が見えた。昼間の屋外では、黒ずくめの姿は異様に目立つ。
捕まえてくれと言っているようなものだ。
腕を全力で振り上げ、地面を力強く蹴り、全速力で追いかける。
「100m 12.9秒だ! 舐めるなよ」
着実に距離を縮め、相手の背中が徐々に大きくなってきた。
もう少しで追いつく。
右斜め前にいつものコンビニが見えた。そろそろ、国道一号線が近い。この通りに出てしまったら、逃げ道なんてない。
「…………止まれ! 中原美奈っ! 」
声が届いたのか、国道一号線の手前で走るのを止めて、こちらを振り返る。
彼女の背後は自動車が行き交っているのが見えた。
中原美奈は被っていたフードを左手で外し、こちらを見つめる。
彼女は肩で息をしていた。
「はあ、はあ、しつこいな……君、もてないだろ」
「無駄話はしない。お前を捕まえる」
「なんのために? 」
「サーバーに不正アクセスをしただろ。法で裁かれろ」
「全く、雫ちゃんはこんなやつの一体どこがいいんだか……。君、ピントがズレてるよ」
「どういう意味だ」
「極秘裏に開発しているARIAのサーバーに不正アクセスがあったからといって、警察に通報するのかい? 」
「………」
「ニュースになって困るのは中島コーポレーションだ。表沙汰にするわけ無いだろ」
頭に昇っていた血がすうっと下がっていく。彼女の言うことが正論すぎて、自分の暴走ぶりに辟易した。
だから、冷静に切り返す事が出来た。
「それを決めるのは君じゃない。僕ら当事者だ。どちらにしても君を捕まえる」
「やれやれ、面倒くさいことになったな」
そう言いながら、中原美奈は国道を走る自動車をチラチラと確認している。
もしかすると、仲間がいて彼女を逃がす算段になっているのかもしれない。そうはさせない。
地面を蹴って駆け出す。
少し距離はあるが、走れば目と鼻の先だ。
視線を向けると中原美奈は悠然とスマホをいじっていた。IT依存性なのだろうか?
普通なら一目散に逃げるところだ。
ふと、彼女の雑然とした部屋の中が頭を過ぎる。ディスプレイにはアパートの監視カメラの映像や仮想空間の映像などが映っていた。
そういえば、その中で一台だけ、国道一号線を映しているディスプレイがあったような……
コンビニの方向からギャリギャリギャリとタイヤとアスファルトの擦れる摩擦音が聞こえてきた。
猛スピードの自動車がコンビニの駐車場を斜めに突っ切ってくる。
「かわせるかなぁ? 」
中原美奈がそう言ったように聞こえた。
暴走自動車の運転席にいる初老の男性と目があった。彼は怯えた目をしていた。この老人が何とかしてくれるとは思えない。
今ならまだ、ギリギリ避けられる。駆け出そうとしたが、思ったように脚が動いてくれない。
もう、自動車は目前まで迫っていた。
昼間の閑静な住宅街に重く低い衝突音が鳴り響いた。
衝突寸前に自動車の軌道が僅かに外側に逸れて、壁に挟まれるのだけは回避できた。
だが、自動車の側面に身体が衝突し、その勢いで壁に背中を打ちつけてしまった。
尻もちをつき、壁に背中をもたれかける。見上げると、自動車の運転席が見えた。
ハッキリとは見えないが運転席の老人がエアバッグに挟まれていることだけは分かった。
動いてはいるし、死んではいないのだろう。
顔を国道一号側に向けると、中原美奈がフードを目深に被り直して、口元は薄く笑っていた。
「運が良い。タイミングよく暴走自動車が突っ込んでくるなんてね」
「これも……お前が仕組んだのか? 」
中原美奈は答えなかった。
脚に力を入れ、右腕を壁に這わせ、無理矢理立ち上がる。右の肋骨付近に激痛が走る。
その時、大型バイクが中原美奈の背後に止まった。運転手はつなぎを着て、フルフェイスのヘルメットをかぶっており、顔を確認することができなかった。
彼女はバイクのタンデムシートに軽やかに跳び乗る。
「次は仕事抜きで雫ちゃんを攫いに行くから~、じゃあね」
「くそ、待て……」
バイクは風のように去っていった。アパートの方から武田さんがやってきた。
「山内くん! 大丈夫か? 」
「すみません、逃げられ……ました」
「そんな事はどうでもいい。救急車を呼ぶ」
「僕よりもそこのご老人を助けて上げてください」
「分かった……だから、そこで安静にしててくれよ」
気がつくと近隣住民やコンビニの店員が出てきて騒ぎになっていた。自動車からも黒い煙が立ち上り、炎上を始めた。
徐々に意識が遠退き始めた。まだだ、まだ、決着は着いていない。
雫はどうなった?
人だかりの喧騒が嘘みたいに聞こえなくなる。最後に見たのは咲夜の顔だった。
咲夜は何かを叫んでいる。
だが、意識が混濁として、考えがまとまらなくなり、そこで意識が途絶えた──
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