逃亡者
水曜日の三限目を狙って大学に行く。加藤さんと授業が被っているはずだ。
『加藤の連絡先を知ってるなら、電話した方が早いんじゃないの?』
雫はふくれっ面をしていた。
「隠してて悪かったよ。てっきり、気がついていると思ったんだけど」
『……気がつくわけないでしょ。加藤じゃなくて、果糖でアドレス帳登録されてたし』
こんな安直な手段に騙されるとは思ってもいなかった。
「電話はしないよ。出るとは思えないし、電話をすれば逃げられるかもしれないし」
『まあ、一理あるわね。他に加藤が顔を出しそうなのは、軽音部の部室よね』
「そうだね」
『なら、手分けしましょう。木崎のスマホに電話してみる。リソースを七割くらいあっちに割くね』
「ああ、分かった」
木崎弥生との和解は、思いのほかスムーズに進んだ。雫のアプリを彼女のスマホにインストールし、直接操作ログやキャッシュを調べた結果、怪しいところは何一つなかった。
むしろ、彼女の助けがなければここまでたどり着けなかっただろう。
口は悪いが、実は面倒見の良い人。それが木崎弥生という人間だと分かった。
いずれにしても雫は木崎さんという友人を得て、新たな能力を開花させた。
『その名も分身の術よ』と雫は言っていた。一言で説明すると、木崎さんと僕に同時に通話ができるようになった。
ネーミングセンスはともかく、便利な能力ではある。この辺は既存の生成AIの仕組みに倣ったらしい。
欠点は雫の処理能力を分散させるので、会話の精度が多少落ちることだ。
ただ、生成AIは何万人というユーザーが同時に使ったからといって、精度が変わるということはないから、根本的に構造が違うのかもしれない。
「そっちに九割でいい。木崎さんの身に危険があると困るからね」
『りょーかい』
その瞬間、音が消えてしまったかのように静かになった。
さて、僕は三限目の講義に参加しつつ、加藤さんがいるか確認するとしよう。
僕が教室に入るとざわめき立ち、その波が伝播するように部屋中に広がっていった。僕が歩くたびにモーセの十戒のごとく人が避けていく。
……これは作戦失敗かもしれない。
その時、階段教室を駆け下りていく同級生が目に入った。この教室は前と後に一つずつ出入り口がある。
これから授業が始まるのに様子が変だ。直感が追いかけろと囁く。
「雫、教室から逃げた女子がいる。これから追いかける」
『そこで待機。何とかする』
「いや、でも……」
『その子、加藤さんなの?』
「多分、違う」
『なら、待機』
リソースの大半を分身に割くと雫は長い会話ができなくなる。良く言えば無駄がないが、主語がないから意図が理解できないこともままある。
待機と言われたので教室の中を徘徊する。加藤さんが教室にいる可能性もあるので念入りに探したが、やはりいなかった。
仕方なく、一番後ろの席に腰を下ろした。教室の空気が悪い……気がする。僕がいるせいなんだろう。
『亮、東棟の3階3025室にさっき逃げた子がいる』
「分かった。すぐ行く」
教室を出て東棟へ向かう。
「雫、どうやって見つけたんだ?」
『監視カメラをハッキングしたの』
「なるほど、……中原美奈がやっていたことを雫もやったわけか」
東棟には螺旋状の階段があり、くるくると階段を駆け上がった。
「はあっ、はあっ、部屋から移動した形跡はない?」
『大丈夫』
3025室と書かれたネームプレートがドアには貼られていた。ドアをノックして開ける。
「失礼する」
「ひっ……こっちに来ないで」
部屋に加藤麻里奈の周りで見かける女子が二人パイプ椅子にのけ反るように座っていた。
名前は知らないが、いつも加藤さんと一緒にいるので顔は覚えていた。小柄で声の甲高い子と背が高くて眼鏡をかけている二人組みだ。
「私たちは関係ないんです。ごめんなさい」
「本当に何も知らなかったんです。許してください」
何も話していないのに勝手に謝り始めた。だが、何かを知っているのは間違いない。状況的に流れに乗っておいたほうが良さそうだ。
「……君たちにいくつか聞きたいことがあって追いかけてきた。その返答によっては見逃してあげてもいい」
できる限り優しく笑顔で話しかける。二人は怯えたように首を縦に振る。
ここは空き部屋らしく、窓と長机、パイプ椅子がいくつか置いてあるだけの質素な作りだった。
二人はパイプ椅子に並ぶように座って、怯えるような目をしていた。お互いに目線は合わせず、壁や床に視線を向けていた。
とりあえず、かまをかける。
「加藤さんについて知っていることを全部話してもらえるかな?」
二人はお互いに視線を合わせて、どちらが話すか視線で押し問答しているように見えた。このまま放置すると永遠に押し黙りそうだ。
「……今すぐ答えないなら、二人の事を警察に通報する」
何をしたのか知らないから、完全にはったりだ。
「ま、待ってください」
「話してくれるなら待ってもいい。具体的に……何をしたのか教えてくれ」
小さい方が必死な形相で話し始めた。
「加藤さんは西園寺さんが調子に乗っているって思い込んでて、私たちにSNSで攻撃するように言ってきたんです。アカウント名も彼女から指定されて、鍵付きのアカウントで投稿しました」
「鍵付きアカウント限定だし、大丈夫だって……」
「でも、それが拡散されてしまって、大騒ぎに……」
鍵付きアカウントという言葉に違和感を覚えた。そもそも、普通に公開されている。
拡散された事実以外はどこまで真実なのか分からない。
二人は自分たちが悪いのではなく、加藤が悪いのだと、それだけを拠り所にして安全な場所まで逃げ切ろうとしているのが分かった。
そんな綱渡りのような言い訳で逃げ切れるはずもないのに。
『なんで、こんな事を?』
今まで黙っていた雫が声を発した。
雫はインカム越しに話をしているから、彼女たちにはその鋭く突き刺さるような声は届かなかった。
「雫、二人には聞こえていない」
『……あ、そうか。なら二人に伝えて』
「分かった」
二人を睨みつける。
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「僕の彼女からの質問だ。なんで、こんなことをしたの?」
「今、西園寺さんと電話が繋がっているの?」
「ああ、繋がっている。今までの話も聞いていた」
「ち、違うのよ。加藤さんがちょっと意地悪してやろうって」
「木下くんが西園寺さんの話ばかりするし、横取りしようとしてるから懲らしめてやろうとか、言ってて仕方なく……」
雫は囁くような声で愚痴をこぼした。
『そんなくだらない理由でこんな騒ぎを……』
雫と同じ気持ちだった。
「くだらない……ね」
「そ、そうだよね。私たちも止めようよって言ったんだけどね」
「そ、そう。でも、私たちの話を聞かなくって」
二人の話から、加藤麻里奈が雫に対して強い嫉妬心を抱いていたことが伺える。
仮初めの村を作って、仮初めの村人を集め、仮初めの異端審問で、仮初めの異端者を袋叩きにする。
辟易するような馬鹿げた構造だ。
「つまり、加藤麻里奈は僕らを排除するために、君たちを使ってSNSで攻撃したということか」
二人は揃ってうなずいた。
「鍵付きのアカウントの数人がこの内容を公開してしまって……」
人の口には戸を立てられない、口は災いの元とはよくいったものだ。
「……加藤さんはどこにいる?」
眼鏡をかけている方が答えた。
「多分、マンションにいると思う」
「場所を教えてもらえるかな?」
「はい……」
住所と周辺の地図を手書きしてもらった。二人は不安そうな視線を俺に向ける。
「あの……もういいですか?」
「見逃してくれるんですよね?」
「大学に自分たちのしたことを報告してくれたら、これでおしまいにする」
「そ、それだけは許してください。正直に話したじゃないですか」
二人は今にも泣き出しそうだった。立ち上がり、こちらに近づいてくる。藁にもすがるような思いなんだろう。
「雫、あの二人のフルネームは分かる?」
『二人の名前は……』
今まで関心がなかったから、初めて名前を知った。
「田之上礼、佐々木祐子、君たちが報告しないなら僕が報告する。今の会話はすべて録音してある」
フルネームで名前を呼ばれたことで、二人は震え上がったようだ。そして、いよいよ泣き崩れてしまった。
『亮……江ノ電乗ろう。今日はちょっともう無理』
「……そうだね。木崎さんは?」
『さっき、事情を説明して、部室から出てもらったから大丈夫。そもそも、誰もいなかったしね……』
偶然だが、事の真相が見えてきた。まだ、気になる点がいくつかあるが、今回の主犯は加藤麻里奈で間違いないだろう。
ただ、鍵付きアカウント限定にしていたと彼女たちは主張していたが、検索すれば普通にスレッドを見つけられる状態になっていた。
認識に食い違いがあるが、後は加藤麻里奈を捕まえるだけだ。




