花札
「痛てて……」テーブルに顔を伏せたまま呟いた。
テーブルにコーヒーが置かれた。
「……大丈夫かい? 喧嘩でもしたのかな?」店主が声をかけてきた。
「顔から転んでしまいまして……」本当のことは言えないので嘘をつく。
「気を付けないとね。うちにも君と同じくらいの子供がいるから心配でね」
「子供と言うほどの年齢でもないですよ」僕は苦笑いした。
「いくつになっても子供は子供だよ」
「……マスター、お客さんが困ってますよ」女性店員が店主を注意した。
店主はぺろっと舌を出した。
「如月ちゃんに怒られちゃったから戻るわ」店主は小走りでカウンターへ引っ込んでいった。
『アットホームなカフェだね』雫が微笑んだ。
「拓人が店主と話すのが楽しいって言ってたね」
僕は話しかけられるのが苦手なので、正直助かった。拓人との約束の時間には少し早いので、その間に情報の整理をしておく。
「雫、アカウント調べてくれた?」
『もちろん、調べたよ』雫は投稿の多いアカウントを、上位5つ並べて表示した。
やよい_やちよ624
八重_tsukushi
やちよ_mizhore
624yayo_mizore
Bottiglia de Gotaz
「やよい_やちよ624、やちよ_mizhore、624yayo_mizoreは同じ人物なんじゃないかな」
『アカウントの作成日がほぼ同じだし、その可能性が高いわね』
「問題はやよい_やちよ624なんだけど……」
雫は渋い顔をする。
『木崎でしょ?』
「短絡的に考えれば……ね」
『木崎はそういうやつじゃん。いつも突っかかってきてさ。私たちの画像だって学内で撮影されたものだし』
「別に木崎さんじゃなくても撮影はできるだろ」
『だって、前に「調子に乗るな」とか、「八方美人はやめろ」とか、「忠告したからね」とかフラグ立てまくってたし』
雫は画面の向こうで地団駄を踏んでいた。その仕草が妙に子供っぽく感じた。
思い返せば、そんなことを言っていたような言っていなかったような……。
ただ、木崎弥生の普段の言動を考えると、回りくどい気がするのは気の所為だろうか?
「この八重_tsukushiはどう思う?」
『それも木崎でしょ』
「えっ、なんで?」
「木崎弥生のことを嫌いすぎるでしょ」と喉元まで出かかったが、ギリギリ飲み込んだ。
『他の3つのアカウントと作成日がほぼ一緒なの。それに……』
「それに?」
『花札だよ。八重桜、みぞれ、八千代椿……全部花札に出てくる絵柄でしょ?』
言われてみれば確かに花札の絵柄にあるものばかりだ。
しかし、自分で問いかけて自分で炎上させるスタイルとは……。大分、こなれているし、前科一犯とは思えない。
「最後はBottiglia de Gotazだな。これ英語じゃないよね?」
『イタリア語……かな? ゴタズのボトルって意味だけど意味不明だね』
雫は腕を組んで首を斜めに傾ける。
「なんで疑問形なの?」
『Bottigliaはイタリア語だけど、deはポルトガル語の接続詞なんだよね。Gotazはどちらでもないから固有名詞だと思う』
「この人、SNSに上がってる動画にはリプライやコメントしているけど、僕らの画像には興味がないのかな」
『確かに私たちの画像には無反応だね』
アカウントのプロフィールも確認する。
「アカウントは数年前に作られたものか……」
『コメントが少ないわね。フォローもフォロワーも50件程度だし』
「たまたまこのスレッドを見てコメントしただけかもね」
炎上しているスレッドをスワイプして、下にスクロールすると2件のコメントが書かれていた。
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Bottiglia de Gotaz @abce 6月10日
やっと、あの娘に会えた。でも、仲良くなるためには共通のプロトコルが必要みたい。会話は大事だよね #出会い #会話
Bottiglia de Gotaz @abce 4月3日
やっと見つけた僕の宝物。やっぱり、家主が持ってた。後は鍵をあけるだけ。楽しみ♪ #発見 #秘密 #宝物
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『意味不明ね。自己満足して完結してる感じかな』
「……ところで、このプロトコルってどういう意味?」
雫の片眉が上がった。
『亮は工学系の学生で、しかもプログラミング専攻なのに知らないの?』
「知らないけど……」
雫はこめかみの辺りを人差し指でトントンと叩きながら、ジトッとした目でこちらを見る。
『直訳すると規約という意味。システム的な意味合いだと、通信やデータ交換のルールのこと』
「はあ……?」
雫の表情が『もう少し勉強しなさい』と言っている気がした。
『身近なものだと、ホームページにはHTTPというプロトコルが使われているわね』
スマホのブラウザを起動する。
「そう言えば、アドレスバーのところにhttpって文字が入ってるね」
『そうそう、それ。HTTPのルール従って、ブラウザとサーバーが通信を行いホームページを表示しているの』
「なるほど、つまり、ルールを互いに知っていればやり取りができるってことか」
『そうね。共通のプロトコルを使っているから種類の違うブラウザでも同じ内容が表示できるわけ』
「ちょっとわかった気がする。ありがとう、雫」
『どういたしまして。でも、プロトコルは基本中の基本だからね』
「悪かったよ。説教はこれくらいで勘弁してくれ」
思わず苦笑いしてしまった。
「でも、人間相手にプロトコルって変わった表現する人だな」
『何かの比喩表現なのかもね』
雰囲気的には有象無象の類だろうと思ったが、一応頭の片隅には置いておく。アカウントの件は継続調査することにした。
その時、カランカランとドアが開く音がした。そろそろ、約束の時間だ。拓人かもしれない。
ドアの方を振り返ると、鮮やかな青色に無数の小さな花の模様が描かれた、オフショルダーのワンピースを着た女性が立っていた。
「……あっ」
『どうしたの?』
「木崎弥生だ……」
彼女はこちらを鋭い眼光で見つめていた。




