第九話
「何をやっているんだ、俺は……」
そんなことを独り言ちながら、恵太は十メートル程離れた位置でいおりの後をついて歩く。
学校帰りの学生の姿はちらほら見受けられるので何も怪しいことはないのだが、後をつけているという事実に他の人から見た自分がやけに怪しい人物に見えているような気がしてならない。
交差点で別れてからも、いおりは淡々と同じ歩調で歩き続けていた。
途中で振り返るようなこともないため、恵太に気付いた様子もない。
本当はいおりと別れてすぐ家に帰ろうと思った。
だが、どうにも今朝の夢に出てきたあまねの言葉がひっかかって離れてくれない。
もしもそれが虫の知らせのようなものだったとしたら、これからいおりの身に何かが起きるということを暗示しているのかもしれない。
自分でも馬鹿馬鹿しいとは思う。
徒労で終わってくれるならそれで構わない。
話す相手はいないが笑い話くらいにはなるだろうから。
大通りを抜け、細い路地へと入る。
周囲には一戸建ての家々やマンション、アパートなどが軒を連ねている。
そんな入り組んだ道を、いおりは迷いなく歩いていく。
いおりの家がどこにあるのかは知らない。
だが、公共機関や自転車を使わずに徒歩で通っているということは、学校からそんなに離れてはいないだろう。
付かず離れずの距離を保ちながらついていくと、いおりはとある十字の交差点を左に曲がった。
小走りで近づいて行って角から覗き込むなり、恵太はすぐさま陰に身を潜めた。
再び静かに覗き込むと、離れていたはずのいおりの背中がすぐ近くにあった。
立ち止まり、何かを熱心に見つめていたかと思うと、おもむろにその場に座り込む。
朝のこともあるので急に体調が悪くなったのかと心配になったが、違った。
「にゃー」
いおりの前に猫の姿があった。
にゃあにゃあと気の抜けるような声で鳴きながら、いおりの足に顔をこすりつけている。
そんな愛くるしい仕草をする猫の頭を優しく撫でながら、いおりは呟いた。
「一人なの?」
「にゃ、なー」
「どっちなのかわからない」
差し出されたいおりの指を猫が舐める。
「ざらざらしてくすぐったい」
そう言いつつも、手を引こうとはしない。
いつも通りの平坦な声なのに、どこか優しい響きが込められているような気がした。
そんな平和な帰り道の一幕。
どこにでもあるそんな光景の中で、いおりの身に何かが起きるようにはとても思えなかった。
未だに猫と戯れているいおりの姿を横目に見つつ、恵太は静かにその場を立ち去ろうとする。
だが、その数秒後にそれは起きた。
エンジンを吹かす音が遠くから聞こえてきたかと思うと、少し離れたところから大型のトラックがかなりの速度で走ってくるのが見えた。
恵太といおりが今いる場所は車がすれ違えないほどの狭い路地。
一方通行しかない場所で、速度制限の倍はオーバーしているように見えた。
妙な胸騒ぎを感じていおりを見る。
いおりも迫ってくるトラックには気づいていたようで、恵太の反対側の通路まで猫を抱きかかえて逃げていた。
そのままトラックが通り過ぎれば危ない運転しやがってと悪態をつくだけで済んだかもしれない。
でも、そうはならなかった。なってくれなかった。
「にゃあ!」
いおりの手元にいたはずの猫が突然恵太の方へ向かって飛び出した。
「あっ」
慌てて止めようとするいおりの手をすり抜け交差点に向かって走る。
するといきなり飛び出してきた猫にトラックからけたたましいクラクションの音と、ブレーキがタイヤを止めようとする金切り音が同時に響き渡った。
猫がその音に驚いて足を止める。交差点の丁度真ん中で。
速度の出ているトラックは簡単には止まらない。
急激に速度を緩めてはいるが、それでも猫がいる場所の前で止まることはできそうにない。
咄嗟に駆け出そうとして、恵太は目を見張る。
恵太よりも数秒だけ早く動き出していたいおりは、何の躊躇いもなくトラックの前に躍り出ていた。
そして猫を抱き、守るように体の内側に抱え込む。
―――音守いおりを救うんだ
再びあの声が恵太の頭に響いた。
まさか、これのことなのか?
夢の中であいつが言っていたことは、本当だったのか?
あれは夢じゃなかったのか?
トラックは止まらない。
人よりも何倍も大きい鉄の塊が突っ込めば、人なんて簡単に死ぬ。
そしてそれは目の前のいおりも例外じゃない。
目の前で死ぬ。恵太の目の前で、いおりは死ぬことになる。
考える前に、体が動いていた。




