第五十三話
携帯が鳴らすけたたましい音で目を覚ます。
ほとんど半分寝ているといっていい状態のまま、あやふやと手を伸ばして携帯を掴むと、ボタンを押して止めた。
そのまま動くことができず、もう一度夢の世界へ旅立とうとする恵太を、再び鳴り出した目覚ましの音が引き留めてくる。
さすがに二回目ともなれば頭も起き始めていて、恵太はまだ眠くて怠い体をようやく起こして、大きな欠伸をした。
「あれ……」
何かを忘れているような気がする。
とても大切な何か……。
そう思い至るのと同時に、恵太の意識は一気に覚醒した。
携帯を手に取って確認すると、日付が一日進んでいるのがわかった。
それは恵太の命日となるかもしれない日付……。
ベッドから起き上がると、机の上にメモを見つける。
中には昨晩の顛末が事務的に書き連ねてあった。
どうやら担任の教師が倒れた恵太を病院に連れて行ったりここまで運んでくれたり色々と世話を焼いてくれたらしい。
反省とか説教とかいう文字も多数見受けられたが、今は見なかったことにした。
担任のメモからして、どうやら大事にはならずにすんだらしい。
ということは、いおりも無事だったということだろう。
だが、恵太にはもう一つの懸念が残っていた。
携帯をもう一度手に取ると、メッセージが入っているのに気付く。
差出人の名前は櫻坂悠里。
おそるおそる開くと、そこには端的に、
『明日葉さんが心配されていたようなことは何も起こりませんでしたよ』
とだけ書かれていた。
それを見てほっと胸を撫でおろす。
恵太は櫻坂に一晩だけいおりの周囲を見張っていてほしいと頼んでいた。
櫻坂にと言うよりは、警視総監である櫻坂の父親に、が正しいかもしれないが。
恵太なんかの頼みでは当然警察は動いてくれないだろうが、警視総監の娘である櫻坂の頼みであれば動いてくれるんじゃないかと考えてのことだった。
見張りをお願いした理由は、一週目のループにおいていおりとマンションで別れた後、いおりが何かの事件や事故に巻き込まれた可能性があったから。
所謂保険というやつだ。
恵太も一緒に張りこむつもりだったが、気を失ってしまったのは想定外だった。
ただ、櫻坂への依頼は恵太が何らかの理由で動けない場合の保険でもあったので、結果オーライだろう。
何も起こらなかったのならそれでいい。
櫻坂がすんなりと頼みを引き受けてくれたことだけは未だに怖いところがあるが……今は考えないでおこう。
となれば、恵太に出来ることはもう何もなかった。
あまねも姿を見せていない。
それはつまり、いおりを救うことができたということなのかもしれない。
一限目の授業に間に合わせるには、そろそろ準備を始めなければならない時間だった。
行きたくないが、行かなければならない。
それが学生の性だから。
立ち上がってクローゼットへ向かうと、日々の習慣のおかげなのかほぼ無意識のうちに着替えを済ませている。
パンをトースターで焼いてマーガリンを塗り、ソースだけをかけてもさもさと口に運ぶ。
最後の一口を牛乳で流し込んだ時には八時を回っていた。
玄関を出て鍵を閉め道路に出ると、ほぼ毎日のように一緒に通学している相棒が待っていた。
くりくりの目にふさふさの毛。
恵太が歩き出すと横にぴったりとついて歩き、にゃあにゃあ言いながら歩調を完璧に合わせてくる。
しばらく細い路地を歩いていくと、大通りに出た。
いつもと同じ朝の景色。
サラリーマンやOL、散歩をしているおじいちゃんなど、今日はいつも以上に込み合っているような気がした。
人の流れに乗るように合流すると、恵太もその朝の景色の一部になる。
信号待ちをしていると、恵太の隣に誰かが並ぶのがわかった。
長い金髪に、際どく気崩した校則ギリギリを攻める制服。
ぺったりと潰れた何も入っていない鞄を肩に担ぎ、どこか気怠そうにしているその様子は、近づきがたい雰囲気を漂わせていた。
前までの恵太なら、気づかれないようにじりじりと距離を離したことだろうが、今はもう違う。
「今日は遅刻じゃないんだな」
「あんたに言われたくない」
棘のある言葉を、棘を隠そうともせずに、むしろ突き刺してくる勢いで恵太に向ける玲奈は、いつの間にかその足に纏わりついている猫に視線を移していた。
触りたいのなら触ればいいのに、恵太が見ている前ではプライドが許さないのだろう。
本当に難儀な性格だと思う。




