第四十八話
「ああもう、ほんっと馬鹿なんじゃないのっ!?」
そんな声がどこかから聞こえた瞬間、恵太達の身体が布のようなものに包まれる。
わかるのは、耳元で聞こえるシュルシュルという衣擦れの音と何かを滑り落ちていく感覚だけ。
感じていた浮遊感が徐々に弱くなっていく。
そして数秒もしないうちに、恵太達の身体は放り投げられるようにして地面を転がっていた。
ぐるんぐるんと回転してようやく止まる。
時間にしておそらく数秒のできごとだった。
「……」
静まり返っていた。
どっどっと鳴る心臓の音だけがやけにうるさく聞こえる。
だがそれは、恵太に生きているという実感を与えてくれるには十分だった。
横になったまま校舎を見上げる。
薄っすらと白い円筒状のものが校舎の二階部分から吊り下げられているのが見えた。
火事の時などに使う緊急脱出用シューター。
恵太達が飛び降りた下にそれは設置されていた。
それを確認して、恵太の顔に自然と笑みが浮かぶ。
金髪の不良少女と野球部の友人がうまくやってくれたのだ。
一息ついて身体を起こそうとするが、動くことができなかった。
いおりが恵太の身体を強く抱きしめていたから。
顔は見えないが、小さく嗚咽が聞こえてくる。
その声を聞いて、腰が抜けるほど安心している自分がいた。
「音守?」
そう問いかけても返事は返ってこない。
ただ、恵太の服を掴む手に力がこもったかと思うと、とん、と弱々しく叩いてきた。
それから何度も、何度も叩いてくる。
いおりの声なき抗議を受けながら、恵太は口を開いた。
「なぁ、音守。死にたいなんて寂しいこと言わないでくれよ。俺はお前に生きていてほしい。ここにいてほしいんだ。だから……」
「もういい。もう、いい……」
恵太の言葉を遮ると、いおりはゆっくりと身体を起こす。
涙で濡れた顔には、笑顔が浮かんでいた。
「あなたは、頭がおかしい」
「言われなくてもわかってるよ、そんなこと」
「屋上から飛び降りるなんてどうかしてる」
「お前には言われたくない」
「本当に、どうかしてる……」
そう言っていおりは再び恵太の胸に顔を埋めた。
「怖かった」
「うん」
「死ぬかと思った」
「だろうな」
「死にたくないって、思った」
「……」
「生きたいって、思った。生きていたいって、思った……」
その言葉を聞いて、恵太は何も言えなくなる。
深い充足感が心の中を満たしていくのがわかった。
「明日葉君」
「ん?」
「本当に、私と友達になってくれるの?」
顔を上げたいおりの瞳は不安そうに揺れている。
ここまでやってもまだそんなことを聞いてくるのがおかしくて、恵太は笑ってしまった。
「なんで笑うの?」
「屋上から一緒に飛び降りまでしておいてまだ友達じゃなかったら、多分この世界の誰にも友達なんていないだろうな」
それを聞いたいおりはくすっと笑ったが、恵太の手を取ると真っ直ぐに見つめてくる。
「ちゃんと、聞きたい」
何度も言っているはずなのに、いざ面と向かって言えと言われると急に恥ずかしくなる。
だが、いおりの真剣な瞳は逃がしてくれそうになかった。
「俺はお前の友達だ。だから、約束してほしい。もう死にたいなんて思わないでくれ。お前がいなくなったら、俺が悲しむ」
恵太の言葉を聞いたいおりは、恵太の手を両手で包み込むと、大事そうに自分の胸の前で抱く。
「うん。うん……っ」
そして、いつか見た屈託のない満面の笑顔を浮かべて、頷いた。
何度も、何度も、頷いていた。
それを見て安心したせいか、ふっと身体中の力が抜ける。
急に瞼が重くなったような気がして、意識も朦朧としてくる。
「明日葉君?」
いおりの声が遠く聞こえる。
さらに遠くに、琴城寺と相沢の声も聞こえたような気がした。
思い出したように頭に鈍痛が走る。
滑り落ちた時どこかに頭をぶつけてしまったのかもしれない。
痛みは熱をもって意識をだんだんと遠くへと誘おうとする。
まだ眠っちゃいけない。
意識を手放したくない。
もっといおりと話をしたいのに。
琴城寺にも相沢にも、手伝ってもらったお礼をまだ言っていないのに。
だが、そんな願いとは裏腹に、恵太の意識はそこで途切れた。




