第四十六話
「それが、お前が死にたいって思う理由なんだな」
いおりは答えない。
「お前はそれでいいのか?」
「……」
いいわけない。
でも、どうしたらいいかわからない。
そんな想いが、いおりの苦しそうな表情に現れていた。
「死んだって何も変わらない。死んだらもう二度と両親に会えなくなる。お前のその想いも伝わらないままになる。言いたいことがあるなら、ちゃんと言葉にするべきだ」
「そんなことできるわけない。だって……」
怖いから。
話して、拒絶されたら。
そう思うと、動くことなんてできない。
だからいおりは立ち止まっている。
目をそらしたまま、それを見なくてもいいように、逃げようとしている。
そのほうが楽だから。
嫌なものは見たくないし、聞きたくない。
遠くに遠くに追いやって、見えなくしてしまいたい。
でもそれは間違っているんだと、恵太は思う。
「それでも、ちゃんと話せる相手がいるんだ。それが、俺は凄く羨ましいよ」
「……」
「俺の親はもういないから。だから、なんで死んでんだよって、勝手に死んでんじゃねぇよって、怒鳴りつけてやることもできない。それって、ただただ虚しいだけなんだよ」
やり場のない気持ちが確かに心の中にあるのに、それを吐き出すことはもう二度とできない。
受け止めてくれる人がいないから。
だからずっと心の中でくすぶり続けて、なくなることもなく、時折思い出したように心の中を抉ってくる。
苦しいとか、悲しいを通り越して、虚しさだけがいつまでも消えずに残り続ける。
「今すぐじゃなくたっていい。いつか心の整理がついた時でいいんだ。ちゃんと面と向かって、ふざけんなって怒鳴りつけてやろう。でも、死んだらそれもできない。本当にそこで何もかも終わりなんだよ」
ゆっくりと、恵太はいおりのいる方向へと足を進める。
柵を挟んで向かい合うと、揺れる瞳をまっすぐに見つめながら言葉を繋いだ。
「それでも怖いっていうなら、俺が一緒にいる。一緒にお前の両親のとこに行って怒鳴りつけてやるよ」
「……どうして」
「俺はお前のことを友達だって思ってるから。だから、お前が困っていたら助ける。嫌だって言われても助ける。同情とかじゃない。俺がそうしたいんだ」
いおりの目が大きく見開かれる。
でもすぐに伏せられて、弱々しく首を横に振る。
明確な拒絶の意思がそこにあった。
「私にはあなたにそんな事を言ってもらえるようなことをした覚えはない」
「信じられないか?」
いおりは答えない。
答えない代わりに、首を小さく縦に振る。
きっとこれ以上何を言ってもいおりの気持ちは変えられない。
今の恵太の言葉では届かない。
だからいおりはその言葉を口にするのだろう。
「あなたが本気で私を助けたいって思ってくれているなら、背中を押して、勇気付けて。私を、私の生きる意味の無いこの世界から救い出して」
「……わかった」
そう言うと、恵太は柵を飛び越えていおりの隣に立った。
途端に、下からびゅうびゅうと音を立てて吹き上げてくる風が恵太の髪を搔き乱す。
月明りだけが唯一の明かりとなっている今、屋上から見える地上の様子はただただ薄暗くて、闇が海のようなうねりを上げて漂っているように見えた。
それが恵太が落ちてくるのを今か今かと待ち構えているように思えて、柵を掴む手に自然と力が籠る。
「何を、しているの?」
信じられないものを見ているような声が隣から聞こえてくる。
自分でもとんでもないことをしていると思う。
でも、こうでもしなければ、恵太の言葉は、想いは、きっといおりには伝わらない。
「見ればわかるだろ?死のうとしてるんだよ。お前と一緒に」
その声は自分で思っている以上に震えていた。
精一杯格好つけているつもりなのに、全く恰好ついていない。
怖いという感情は押し殺すことができず、身体の震えも止まってはくれなかった。
だが、それに気付いた様子もなく、
「そんなことを聞いてるんじゃないっ!」
と、いおりは今まで聞いたことのないほど大きな声で叫んだ。
そして、諦めたように呟く。
「わかった。もう死ぬなんて言わない。だから戻って。お願いだから」
目の前で二度もその死を目の当たりにしてきた恵太だからこそ、こんなことでいおりの気持ちを変えることができないとわかっていた。
今いおりの中にあるのは、自分のせいで誰かが死んでしまうかもしれないという恐怖心だけだ。
でも、そんないおりだからこそ、恵太は助けたいと思った。
そんな心優しい女の子だから、力になりたいと、助けになりたいと……死なせたくないと、そう、思ったのだ。




