第四十四話
前提からして間違っていた。
最初から櫻坂に妨害をしようなんて気はなかったのだ。
櫻坂の言っている言葉の全てが嘘。
だからこそ気味が悪かった。
何の感情もこもっていない、ただ相手を操作しようとしている言葉だから気持ちが悪かったのだ。
「明日葉さん。あなたは自分が何を言っているのかわかっているんですか?そんなの、私たちに何の得もないじゃありませんか」
言われなくてもわかっている。
自分がどれだけ滅茶苦茶なことを言っているのかくらい。
でも、間違っているとも思えなかった。
「確かに、他の三人にしてみればそうだ。でも櫻坂、お前は違うんだろ?」
「そんなことはありません。自業自得とはいえ、私だっていじめをしているという話を広められるのは困ります。居場所が無くなってしまうのも嫌です。どうしてそう思われるんですか?あなたは私のことを何も知らないじゃありませんか」
「いいや知ってるよ」
そう言うと、櫻坂は興味深そうな瞳を恵太に向けた。
恵太が何を言うのか期待しているかのように。
「お前は嘘吐きで、性格の悪い、最低の奴だ。他の三人がどうなろうと構わない。自分が楽しければそれでいい。そう思ってるんだろ?」
櫻坂はずっと笑っていた。
いおりをいじめているときも、恵太に詰め寄られているときも、嫌いな玲奈と話しているときも、そして、今でさえも。
いくら考えても櫻坂の目的はわからなかった。
でも、最初から目的なんて無かったとしたら。
ただ自分が楽しいからという理由だけで、恵太も、玲奈も、そしていおりも、弄んでいたのだとしたら。
普通ならそんなことはありえない。
でも、櫻坂ならそう考えてもおかしくない。そう思えてしまった。
恵太の言葉を聞いた櫻坂は一瞬きょとんとした顔を浮かべた。
そんな言葉が恵太から出てくるとは思ってもみなかったんだろう。
だが、次の瞬間――
「ふふっ、あははははははっ!」
櫻坂は突然笑い声を上げた。
その声は、今までに聞いていたような落ち着きのあるような声ではない。
まるで子供がはしゃいでいるような、そんな無邪気な笑い声。
重苦しかったはずの空気を一瞬にして吹き飛ばし、気の抜けたものに変える。
一頻り笑うと、満面の笑みをその顔に浮かべたまま、櫻坂は言った。
「あなたの言葉を聞いていると、とても初対面の方とお話ししているようには思えません。もしかして、どこかでお会いしたことがあるんでしょうか?」
「ないよ。お前みたいな奴、一度会ったら忘れない」
「ふふ、そうでしょうね。私も、あなたのような方に出会っていたのなら忘れるわけがない」
酷いことを言われているはずなのに、全く気にした様子もなく櫻坂は頷く。
「嬉しいです、明日葉さん。私のことをこんなにも深く理解してくれる方がいるなんて」
その言葉は、恵太の想像が間違っていなかったことを示していた。
当たったところで当然嬉しくもなんともない。
むしろげんなりした気分になる。
人の不幸を楽しいと思える。
そんな最低な本性を櫻坂が持っていることが証明されただけなんだから。
「やっぱり最低だよ、お前は」
「では、その最低な私から一つ。その動画を出せばどうなるかわかっていますか?私だけでなく、他の三人も、この学校に居場所はなくなります。でも、そうすることで一番辛いのは居場所をなくさせた張本人……明日葉さん、あなたです。あなたには覚悟がありますか?同級生の人生を狂わせたという事実を背負う覚悟が」
櫻坂は本当に性格が悪いと改めて思う。
恵太の嫌だと思うところを的確に突き刺してくる。
でも、何を言われたところで恵太の答えは決まっている。
そこがぶれることはない。
「俺は音守を助ける。そう決めてるんだ。それを邪魔するなら、お前たちがどうなろうと構わない」
「ふふ、そうですか。であれば、私が何を言っても意味はありませんね」
おとなしく引き下がる櫻坂。
残念そうな声音を出すが、全く残念だと思っていない表情をする。
「それで、どうするんだ?取引するのか、しないのか」
恵太の問いに、櫻坂はゆっくりと首を横に振った。
「取引はできません。私は約束を守りませんから」
「……」
「明日葉さんの仰る通り、私は救いようのない人間なんですよ。いつだって人を見下して、嘲笑って、貶めて、そんなことでしか生きているっていう実感を得られない、最低な人間なんです。だから、今ここでいじめをやめるとお約束したところで、反故にしてしまうかもしれない。なかったことにするかもしれない。口約束なんて、信頼できる相手としかしないものです。だから……」
「いいや、お前は約束を守る」
櫻坂の言葉を途中で切って、恵太は断言する。
「どうしてそう言い切れるんでしょうか。あなたは先程私のことを信用しないと言ったばかりじゃありませんか」
櫻坂悠里という人間と知り合ってからまだ一日と経っていない。
その張り付けられた笑顔の下にどんな感情を隠し持っているのかなんてわかるわけもないし、わかりたくもない。
櫻坂のことは信用できない。
出た言葉は全て偽りだと思っている。
きっとこの先恵太の櫻坂に対するその評価が変わることはないだろう。
でも、そんな櫻坂について、恵太にはたった一つだけ、間違いないと言い切れることがある。
「お前は嘘吐きだ。だから、守らないといったものを守る。そこだけは信頼してる」
「ふふ。本当に、どうしてなんでしょうね。あなたには心の内を覗かれているような気がしてなりません。でも、それが酷く心地良い」
そう言って立ち上がると、櫻坂は恵太のすぐ前までやってくる。
突然のことに反射的に一歩後ろに下がった隙をついて、ずいと体を入り込ませてきた。
櫻坂の顔が目の前にある。
少しでも動けば触れられてしまいそうな距離。
櫻坂の纏うふんわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。
でも、嬉しくもなんともなかった。
顔だけなら校内で随一といっていいほど整っている美少女のはずなのに、緊張もしなければドキドキもしない。
恵太の中にあったのは、蛇に睨まれたときの蛙のような、取って食われるんじゃないかという本能的な恐怖心だけだ。
「これでも容姿には自信があるつもりだったんですが、そこまで怯えられるとさすがに傷ついてしまいますね」
「言っておくけど、お前が仕掛けたカメラは撤去済みだ。弱みを握ろうとしても無駄だぞ」
今更色仕掛けなんてしてくるつもりはないだろうが一応言っておく。
ちなみに、櫻坂は今回カメラを三台も用意していた。
それだけ恵太を警戒していたということだろうが、二度も同じ手にひっかかってやるわけにはいかない。
「あなたは、本当に面白い方ですね」
まったく気にした様子もなく、楽し気な声で櫻坂は言った。
「私の負けです、明日葉さん。だから、動画は拡散しなくて結構です。いじめも、もうするつもりはありません」
「……どういうつもりだよ」
すると櫻坂は二歩ほど後ろに下がって、わざとらしくウインクして見せた。
「そんなものよりもずっと楽しめそうなものを、今、見つけてしまいましたから」
櫻坂のその言動に、恵太の心に言い知れぬ不安が広がっていくのを止めることはできなかった。




