第四十三話
昼休み。
女子更衣室の扉を開けると、櫻坂が待っていた。
「お呼びだてしてしまって申し訳ありません、明日葉さん」
落ち着き払った上品な笑顔を浮かべて、櫻坂は部屋に入るよう促してくる。
広いとは言えない部屋に、櫻坂と恵太の二人だけ。
前回と全く同じ状況。
ただ一つ違うことがあるとすれば、櫻坂が恵太を呼び出したということ。
三時限目の体育の授業が終わると同時に、櫻坂は相沢を通じて恵太と話しがしたいと言ってきた。
「お前、櫻坂と面識あったっけ?」
「まぁ、少しだけ」
「ふーん」
相沢は詳しく聞きたそうな顔をしていたが、結局聞いては来なかった。その代わり、
「なんでもいいけど、困ったことがあったら言えよ」
そんなことを言ってくるので、つい頼ってしまいそうになった。
だが、恵太が戦うのは相沢も懇意にしている櫻坂だ。
ただ困らせてしまうだけだろう。だから恵太は笑って頷くしかなかった。
これがついさっきのこと。
櫻坂は何かしらしてくるだろうとは思っていたし、呼び出されなければ呼び出すつもりだったのでそこまで驚きはしなかった。
更衣室の中に入って扉を閉めると、お互いの息遣いが聞こえてしまいそうなほど部屋の中がしんと静まり返る。
先に口を開いたのは、櫻坂だった。
「なんだか照れてしまいますね。男の子とこうして二人きりになる機会はこれまでなかったものですから」
「聞きたいことがあるんじゃないのか」
今更楽しい会話をしてやろうなんて気にはならなかった。
櫻坂のペースに呑まれるとどうなるのかなんて、前回で痛いほど思い知らされている。
恵太の辛辣な言葉を聞いても、櫻坂は特に気にした様子もなくただ微笑んでいるだけだった。
一息ついてから、本題を切り出してくる。
「なぜあの時、動画を出さなかったのですか?」
やはりと言うべきか、櫻坂は恵太がいじめの証拠を録画していたことに気付いている。
「奥の手は最後まで取っておくべきだろ」
「それは違いますね。私だけならまだしも、他の三人がいたあの場で動画の存在が明るみに出た方が効果は高かったはずですから」
櫻坂の言う通り、これからの学校生活が台無しなるかもしれない動画の存在を知って、他の三人が冷静でいられるはずがない。
いじめを楽しんでいるような連中だ。必ず保身に走る。
きっと謝って有耶無耶にしようとしたはず。
そんな中で、中心である櫻坂一人だけがただ傍観しているわけにはいかない。
どれだけ櫻坂の地位が高くても、さすがに他の三人も黙ってはいられないだろう。
そういう意味で言えば、いじめをやめさせる絶好の機会だった。
櫻坂が言っているのは、おそらくそういうことだ。
「それなのにあなたは動画を出さず、私にだけわかるように合図を出した。その理由が、どうしてもわからないんです」
わかるわけがない。
どれだけ賢くても、どれだけ頭の回転が速くとも、答えに辿り着くことは絶対にできない。
よもや未来の櫻坂自身が恵太に教えただなんて夢にも思わないだろうから。
櫻坂の質問を無視して、恵太は言った。
「取引がしたい」
「取引?その動画を出さない代わりに、いじめをやめろということですか?」
「違う。それじゃ取引になってない」
「……」
櫻坂は考えるだろう。
普通なら動画を餌にしていじめをやめさせようとするはずだと。
でもそれは櫻坂に対して有利な取引にはならない。
思い返してみれば、おかしな点はいくつもあった。
その最たるところは、校舎裏に恵太がいるのに気付いていたのにも関わらず、なぜいじめを続けたのかということ。
いじめをしている所を見られることは自分たちの首を絞めることにしかならない。
動画を撮られる可能性だってあるし、現に撮られている。
前回恵太を罠に嵌めたように、相手の弱みを握ればどうにかなるかもしれないが、そんな面倒なことをするくらいなら初めから見せないほうがいいに決まっている。
じゃあなぜわざわざ見せるような真似をしたのか。
「俺がこの動画を学校中にばら撒いてやる。だから、音守と、そして琴城寺に、もう手を出さないでくれ」
櫻坂は、動画を拡散させるために、わざと恵太にいじめの現場を見せたんじゃないか。
それが、櫻坂の言動全てを説明できる唯一の理由だった。
動画を出さなければいおりに対するいじめをやめないと言ったのも、職員室の前で恵太を止めなかったのも、煽るようなことを言って恵太を怒らせようとしたのも、全て櫻坂が動画を出すように誘導していたのなら説明がつく。




