第三十五話
転寝をしてしまっていたらしく、担任に起こされたのは玲奈と別れてから三十分程経ってからのことだった。
慌てていおりの机を見ると、さっきまであったはずの鞄やプリントはいつの間にか姿を消している。
恵太が寝ている間に帰ってしまったのだろうか。
前回よりも遅い時間の今なら、帰り道でいおりがトラックに轢かれることはないだろうが、やはり不安は残る。
恵太は飛び出すように教室を後にした
急いで一階へ降り、昇降口へと向かう。
すると、入り口付近に誰かが座っているのがわかった。
傘入れに座りながら外をぼうっと眺めている。
一応電気はついているため誰かいるのはわかるが顔はよく見えない。
ただ、その特徴的な金髪のおかげで顔を見なくても誰かわかってしまった。
「帰ったんじゃなかったのか?」
恵太を振り返ることもせずに、玲奈は外に視線を向けたまま言った。
「あたしがどこで何してようとあんたに関係ないでしょ」
「まぁそうだけど。そんなことより、音守見なかったか?」
「音守?あんたと一緒だったんじゃないの?」
「ちょっと転寝してる間に荷物がなくなってたんだ」
「なにやってんだか。ずっとここにいたけど見てないから、まだ校内にいんじゃない」
玲奈の言葉に安堵する。
まだ帰っていないのなら、ここで待っていればいずれ会えるだろう。
それにしても。
「もしかしてお前、音守を待つためにこんな時間までここにいたのか?」
「違うけど」
「本当に?」
疑いの眼差しを向けると、怒気を込めた目で睨みつけてくる。
「うざい。それ以上鬱陶しいこと言ったらぶん殴るから」
今朝の恵太であれば、この言葉を聞いただけで何この人怖いと思ってさっさと帰っていただろうが、今はそんな気にはならなかった。
隣に立って、玲奈が見ていた方向に目を向けてみる。
そこには夕方の茜色と夜の黒とが交じり合う綺麗な景色が広がっていた。
しばらく眺めていると、段々と黒が強くなっていき、最後にはただただ真っ暗な闇だけが残る。
暗くなってからも、玲奈は動く気配を見せず、二人の間に静寂だけが横たわっていた。
だが、どうしてか気まずいというような雰囲気には感じない。
多分、今日一日で玲奈に対する見方が変わったからだろう。
「お前、なんで不良なんてやってるんだ?」
ふとそんなことを口にしていた。
別に大した意味があったわけじゃない。
ただ、恵太の中で琴城寺玲奈という人間が、とてもそういう風に呼ばれるような人物じゃないと思ったからかもしれない。
「何、いきなり」
こちらを見ることもなく聞き返してくる。
素っ気ない態度かもしれないが、これが玲奈の素なのかもしれないと思うと悪い気はしなかった。
暗くなった空を眺め続けながら、玲奈はぽそっと呟くように言う。
「別に不良なんてやってるつもりないし。周りが勝手にそう決め付けてるだけでしょ。そういうのほんと迷惑。ほっとけって感じ」
玲奈は強い口調で言うが、その言葉にはどこか諦めのようなものが込められているようだった。
「鬱陶しいのよ、そういうの。ほんと面倒くさい。勝手に想像して、勝手に噂して、勝手に決め付けて。何様なんだっての」
それは恵太だけに向けられた言葉ではないようだった。
おそらく玲奈の言葉はもっと大勢の人間に向けられている。
舐めていた飴をがりっと噛み潰すと、大きな溜息を吐いた。
そんな玲奈に向かって、恵太はずっと言おうと思っていたことを口にする。
「ありがとう、琴条寺」
恵太が言うと、玲奈はあからさまに嫌そうな顔をした。
人にお礼を言われ慣れてなくて照れているなんて可愛い理由だったのならまだよかったのだが、心の底から嫌だと言いたげな顔をするものだから言った恵太の方が辛くなってしまう。
「そういうのやめてくれる?ほんっとに気持ち悪いんだけど」
「気持ち悪いとか言うな。じゃあなんだ。お前に感謝を伝えるにはどうすればいいんだよ」
別に形式的な礼というわけではないし、本心からお礼を言っているつもりだった。
玲奈がいおりのことを教えてくれなければ、きっと櫻坂を止めることはできなかっただろうから。
少しだけ考え込むと、玲奈は自分の右の手の平を上に向けて親指と人差し指で輪っかを作った。
さも当然と言いたげな顔がやけに生き生きして見える。
「やっぱ不良だよお前は」
「冗談。それじゃあいつ等と一緒になっちゃうしね。それに、借りだっていうんならあたしにもあるし」
内容までは言わなかったが、玲奈の言いたいことはなんとなく理解できた。
でも、わざわざ口にするようなことでもない。
「じゃああいこってことで貸し借りは無し。それでいいか?」
「別に、あんたがどうしてもっていうんならお昼に焼きそばパンで手を打ってあげてもいいけど」
焼きそばパン買って来いとかそれこそ不良が言いそうなセリフだった。
じとっとした視線を向けてみるが、玲奈が悪びれる様子は一切ない。
だから恵太もその挑発に乗ることにした。
「じゃあお前はメロンパン買って来いよ」
「は?なんであたしが買ってこなきゃなんないわけ?」
「俺だけ買ってくるのはおかしいだろ。貸し借り無しなんだから」
「あんたがどうしてもお礼したいっていうからでしょ。あたしは買わない」
「なんて奴だ」
そんなやりとりをしていると、ふいに玲奈が笑顔を見せた。
まさか不機嫌が人の形をして歩いているといっても過言ではないあの玲奈が笑うとは思っていなかったので面食らってしまう。
だがそれも少しのことで、すぐにいつもどおり不機嫌そうな顔に戻っていた。
玲奈は座っていた傘立てから降りると、スカートを叩いて埃を落とす。
それからぐっと背伸びをして、バッグを肩に担いで歩き出した。
今度こそ本当に帰るらしい。
結局なんでこんな時間まで残っていたのかは教えてくれなかったが、やはりいおりのことを気にしていたのだろう。
もしくはいつもこのくらいの時間まで残っているのか。
ただ、引きとめてまで聞くような話でもないだろう。
それはまた明日にでも聞けばいいのだから。




