第三十三話
やることが決まればあとは動き出すだけだった。
最後の授業を終えると恵太はすぐに職員室へと向かう。
結局いおりは最後の授業にも顔を出さなかった。
前回と同じように保健室で眠り続けているのだろう。
そして、目覚めたいおりがそのまま帰ってしまえば、その後にどんなことが待っているのかなんて今更考えるまでもない。
玲奈はいおりの様子を見に行くといって別行動をとっている。
教師に言いに行くだけなら問題児である自分は行かないほうがいいからとは玲奈の言葉だが、単純にいおりのことが心配で見に行ったのだろうと恵太は思った。
そんなことを言えば殴ってきそうなので言わなかったが。
引き留めておいてもらうという意味でもいおりの側にいてもらえるのはありがたい。
そして、玲奈の判断は別の意味で正しかったのかもしれない。
職員室へと向かう廊下の途中。目に入ってきたその姿を見てそう思った。
「奇遇ですね、明日葉さん。どうされたんですか、こんなところで」
まるで恵太がここへ来ることを知っていたとでもいうように、櫻坂は廊下の真ん中に立っていた。
優し気な目に澄んだ声、人を安心させるようなあたたかな笑顔。
誰もが慕う優等生の櫻坂悠里。
だが、今の恵太には悪意が優等生の皮を被っているようにしか見えない。
櫻坂がここにいる理由は一つだろう。
そして櫻坂も恵太がここに来た理由をわかっている。
その証拠に、前口上なしの言葉をぶつけてきた。
「学校に報告するんですね」
「ああ」
「例えそれを報告したとしても、音守さんへのいじめはなくならないかもしれませんよ?」
「そうなったら、また止める」
「そうですか」
ほっと息を吐いて、櫻坂は微笑んだ。
まるで恵太の出す答えをわかっていたとでもいうように。
これから恵太がしようとしていることを知っていながら、まったく余裕を崩さない櫻坂の態度に不安が膨らんでいく。
何か裏があるんじゃないか、予想もしない手を打っているんじゃないかと疑心暗鬼にかられる。
何を考えているのかわからないからこそ恐ろしい。
恵太の心を見透かしたように、櫻坂は言った。
「そんなに警戒しなくても、私はもう何もできませんよ。明日葉さんがそれを出すと決めた時点で私には手の打ちようがありませんから。それは私たちが音守さんに暴力を振るったという動かぬ証拠。いくら弁明したところで誰も庇うことはできないでしょう」
そうそう、と櫻坂は続ける。
「誤解をされているようなので言わせてもらいますが、私が誰かに指示をして音守さんのいじめを続けるというのも不可能です。私と親しい方々ならまだしも、人の口に戸は建てられませんからね」
「でも、さっきは……」
「私はそんなことは一言も言っていませんよ。そう、私は」
更衣室での会話を思い出す。
櫻坂の言うとおり、思わせぶりな言葉を言ってはいたが、それをすると断言していたわけではない。
あくまでそうと決めつけたのは恵太だ。
櫻坂自身は一言もそんなことは口にしていない。
「全部俺を脅すためのはったりだったってことか」
恵太の反応を見て、櫻坂はただ愉快そうに笑うだけだった。
そして恵太に道を譲る。
その潔さが逆に不気味で、恵太はつい口を出してしまう。
「本当にいいのか?」
「いいもなにも、明日葉さんが決めたことではありませんか。私がやめてくださいと頼めば許してくれるんですか?」
「……」
櫻坂は、玲奈を苦しめたいというくだらない理由でいおりに酷いことをし続けてきた。
自業自得でしかないのだから、手を差し伸べる必要なんてどこにもない。
正論を言うのならそういうことでしかない。
それに、今こうして殊勝な態度を取っているのも、恵太の同情を誘おうとしているだけかもしれない。
ここで塩らしくすれば考え直してくれると思っているのかもしれない。
櫻坂は悪いことをしたなんて思っていない。
だから追い詰められている今もこうして笑っている。
そこに同情する余地なんてない。
「明日葉さんが何もしなければ、私は変わらず音守さんに酷いことをし続けます。それで琴城寺さんが苦しみ続けるのであれば、絶対に止めない」
「……なんでお前は」
「こんなところで話をしていていいのですか?私は一向に構いませんけれど、早くしなければ下校時刻になってしまいますよ?」
なぜか、櫻坂の言葉は恵太を後押ししているように聞こえた。
そんなはずないのに。
「それでは、また後ほどお会いしましょう。明日葉さんが音守さんを助けられることを心から祈っています」
「どの口が言うんだ」
恵太の返事に笑みを浮かべて、櫻坂は振り返ることもなくその場を後にした。
「……」
間違っていない。
これでいおりのいじめはなくなる。
頭ではそう理解しているのに、今の櫻坂の言動全てが引っかかる。
特に最後の言葉。
その言葉に何か意味を含めているような気がしてならない。
櫻坂の手のひらで踊らされているような、そんな気持ち悪さがあった。
だが、もう迷っている時間はない。
ここまで来た以上、今はいおりを助けることを一番に考えなければならないのだから。
深呼吸をすると、恵太は職員室のドアを叩いた。




