第二十九話
櫻坂がいなくなって五分も経っていなかったと思う。
声が聞こえた気がして顔を上げると、部屋の入り口のところに誰かが立っているのがわかった。
目立つ金色の髪に、着崩した制服。
切れ長の鋭い目は恵太のことを睨みつけている。
恵太と目が合うと、琴城寺玲奈はゆっくりと口を開いた。
「ちょっと来い」
「なんでお前がここに……」
「いいから来い」
恵太の言葉にぴしゃりと遮ると、玲奈は返事も聞かずにさっさと出て行ってしまう。
「何なんだよ……」
なぜ玲奈がここにいるのかわからない。
それでなくとも今は誰とも話したい気分じゃなかった。
櫻坂とのやりとりに体力も生気も根こそぎ持っていかれてしまったらしい。
そんなことを言っている場合ではないことはわかっているが、少しの間一人でいたいというのが正直なところだった。
でもここにいてもどうにもならないこともわかっていた。
いおりを助けるにはとにかく動くしかないのだから。
恵太は玲奈の後を追うことにした。
―――――
玲奈の後について辿り着いたのは、学校の屋上。
普段は鍵がかけられていて生徒は入ることができない場所なのだが、どういうわけか玲奈は合鍵を持っていた。
鍵をかけているから教師の目も届くことはない。
ある意味誰にも邪魔されない場所。
勝手知ったるという感じで玲奈は柵に寄りかかると、ポケットから何かを取り出して口に咥える。
素行や容姿が完全に不良のそれなのでまさかとは思ったが、玲奈が取り出したのは棒の先に飴玉が付いている普通のキャンディーだった。
「お昼以外の校内での飲食は校則違反じゃなかったか」
「うざい。どうでもいいでしょ。大体、校則がどうこう言うんだったらあんただってほぼ毎日遅刻してんじゃない。言われる筋合いないんだけど」
「……」
確かにそのとおりなので何も言い返せないのだが、恵太と同じ遅刻常習犯である玲奈に言われる筋合いは恵太にもない。
でもそれを指摘すると泥沼にはまりそうなので言わないでおいた。
「それで、何だよ」
わざわざ屋上まで来て不毛な言い争いをしに来たわけじゃないだろう。
玲奈も同じ考えだったのか、カラコロと飴玉を口の中で転がしながら言った。
「あいつは……音守は、いじめを解決することを望んでない」
唐突な玲奈の言葉。
だが、その中身はとても理解できるようなものじゃなかった。
「音守が自分から進んでいじめを受けてるって言いたいのか?」
「そのとおりよ。むかつくことにね」
恵太のことを見ようともせずに、どこか疲れた様子で玲奈は続ける。
「だから、いくらあんたが音守を助けようとしても意味なんてないのよ。音守がそれを望み続ける限り、櫻坂はいじめをやめないんだから」
「なんでそんなことがわかるんだよ」
「理由を教えてあげてもいい。でも、その前にあんたに聞きたいことがある」
そこで、屋上に来て初めて玲奈は視線を恵太に寄越した。
「なんであんたは音守を助けようとしてるわけ?」
「……」
玲奈の鋭い視線が、じっと恵太の瞳を射抜く。
嘘を見抜こうとでもするかのように。
「あんた、一度も音守と話したことなんてなかったでしょ。なのにどうしてそんなよく知りもしない奴を突然助けようとしてんの?なんか裏でもあるわけ?」
玲奈の言うことはもっともだった。
何も知らない人間からしてみれば、恵太は話したこともないクラスメイトのいじめを解決しようとしている変な奴だろう。
裏があると思われても仕方ない。
恵太はいおりが辿る凄惨な未来を知っている。
恵太がどうにかしなければ、それは間違いなくやってくる。
でも、それを玲奈に言ったところで理解してもらえるわけがない。
ただ頭がおかしい奴と思われるだけだ。
ただでさえ玲奈は恵太のことを嫌っている節があるので、信じてもらえるとは思えなかった。
恵太が口を開きかけた時、玲奈がかぶせるようにして言った。
「言っとくけど、本当のことを言わないようならあたしは二度とあんたを信用しない」
これまでで一番鋭い、そして冷たい言葉が恵太に向けられていた。
危うく開きかけた口を閉じて大きく深呼吸をする。
信じてもらえるとかもらえないとかじゃない。
きっと玲奈はそういうものを望んではいない。
なぜかわからないがそう感じた。
だからだろうか。
恵太の口からすんなりとその言葉は出ていった。
「音守は今日死ぬつもりだ」
「……は?」
思ってもみなかった言葉だったからか、玲奈はあっけにとられたような顔をした。
「俺は、それを止めたい」
そう言うなり、玲奈が突然近づいてきたかと思うと、胸倉を掴まれてそのまま勢いよく柵に押しつけられた。
振り払えないほど強い力。
鬼のような形相をした玲奈の顔が目の前にあった。
真正面から本気の怒りをぶつけられて体が強張る。




