第十七話
次の日の朝は実に清々しい気分で目覚めることができた。
服を着替え、顔を洗い、朝のニュースを見ながら朝食を摂る。
時間的にはまだ余裕はあったが、他にやることもなかったので、恵太はいおりのマンションに向かうことにした。
決して誰かと一緒に学校に行けるのが楽しみで気が急いてしまったとか、そういうわけでは断じてない。
そんな言い訳を心の中でしながらも、足取りがいつもより軽いと感じてしまったのには気付かないふりをした。
いおりのマンションに着いたのは、約束の時間より少し早い七時五十分。
時間丁度まで外で待っていようかとも思ったが、もしかしたらいおりが焦る様子を見ることができるかもしれないなんていう突発的ないたずら心が働き、気が付いたときにはインターホンに指が伸びていた。
「おはよう音守。来たぞ」
インターホン越しに会話するなんて小学校以来だな、なんてどうでもいいことを考えながら返事を待つ。
だが、いつまで経っても応答はない。
部屋を間違ったのかとも思ったが、表札には間違いなく『音守』と書かれていた。
「もしもし?寝てるのか?」
二度目の呼びかけにも返事はない。
妙な胸騒ぎがして、恐る恐るドアノブに手をかける。
いおりはここに一人で住んでいると言っていた。
だから、まさか鍵をかけていないなんてことはさすがにないだろうと思っていた。
だが、恵太の予想に反してドアノブは途中で止まることなく回り切る。
そのままゆっくりと引くと、扉は何の抵抗もなく開いた。
「入るからな?」
インターホンが壊れている可能性も考えて、一応声をかけてから家の中へと入る。
耳を澄ましてみるが、中で誰かが動いている様子はない。
いおりとは八時に待ち合わせをしたのは間違いない。
いおりのあの様子からして約束を忘れているとも思えないし、直前になって外に出るということも考えにくい。
いおりの履いていた靴も踵を綺麗に揃えて並べられていた。
となればまだ寝ているというのが一番可能性が高いが、それもなんだか想像できなかった。
靴を脱ぎ、家に上がる。
家主の許可がないので多少の罪悪感はあったが、それよりも恵太の嫌な予感のほうが何倍も大きかった。
とりあえずリビングを目指す。
ドアを開けて部屋の中を確認するが、昨日と同じ殺風景な部屋が広がっているだけで、いおりの姿は見当たらない。
キッチンや和室なども探してみたが、どこにもその姿はなかった。
残るはいおりの私室だけとなったところで、恵太は自分の心臓がうるさいほどに鼓動しているのに気が付いた。
やましい気持ちからではない。
もっとどろどろとした嫌な感情。
見たくない、開けたくないと無意識に考えてしまっている。
なんのことはない。ただ眠っているであろういおりを起こすだけ。
それだけのはずなのに、どうしてか気持ちが落ち着かない。
だが、確認しないわけにもいかなかった。
昨日のいおりは家に帰ってきた時には大分元気を取り戻してはいたようだったが、昼間は倒れてしまうほどに調子が悪かったのだ。
それが何か悪い影響を及ぼして、起きられなくなっている可能性は十分に考えられる。
いおりの部屋の前に立ち、ドアを数回ノックする。
何度か声をかけてみるが、やはり応答はない。
中に入って確認するしかなかった。
「入るぞ」
下げるタイプのドアノブを回し、扉を開く。
電気は消えていて薄暗いが、太陽の光がカーテンを透過して仄かに部屋の中を照らしている。
そのおかげで何も見えないということはなかった。
少しすると目が慣れて部屋の中が露わになる。
いおりの部屋は、一言で言えば書斎のようだった。
四方に据えられた本棚には数えるのも億劫になるほどの本がぎっしりと詰め込まれている。
ライトノベルのような薄いものから、辞書のようなぶ厚いものまで種類は様々。
まるで図書館の一室のようだった。
そんな部屋の窓際にベッドがぽつんと置かれている。
すぐ傍に置いてある台の上には小さなスタンドライトが置いてあった。
おそらく寝る前に明かりにして本を読んだりしているのだろう。
そして、こんもりと盛り上がっているベッドに近づき、少し離れたところから声をかける。
「いつまで寝てるんだ、音守。もう学校へ行く時間だぞ」
いおりは気付いていないようだった。
ならばと思って手で触れられるくらいの距離で再び呼びかけてみる。
「一緒に行くって約束しただろ。いい加減起きろ」
それでも返事はない。
何かがおかしい。
これだけ呼びかけておきながら、いおりは返事をするどころかピクリとも動かない。
布団の上からいおりの体に触れ、左右に揺する。
まるで人型の重りを動かしているような感触。
違う。
そんなわけない。
そんなことあるわけがない。
そう思いつつも、嫌な予感が確信へと変わっていくのにそう時間はかからなかった。




