第十話
「音守っ!」
走りながら叫ぶ。
だがいおりには聞こえていない。
蹲って顔を下げ、来るであろう衝撃に身を固くしている。
きっと一瞬だ。
トラックはきっと何の抵抗もなくいおりを巻き込み、止まった時には何もかも手遅れになっている。
後に残るのは、何かできるはずだったのに、何もしなかったという後悔だけ。
恵太にとってそれは、何よりも耐え難いことだった。
人生の中で最も体を酷使していると感じながら、弾丸のように一直線に突き進む。
どうすればいいのかなんて考えていなかった。
ただ、いおりを助けるというたった一つの目的のために恵太は我武者羅に交差点へと突っ込んだ。
本当に、一瞬の出来事だった。
優しさのかけらもない体当たりでいおりの身体を両腕に抱き、勢いよく地面を転がる。
体のあちこちを固い地面に打ち付けながら、三回ほど回転してからようやく止まった。
そのすぐ後に、何かがひしゃげるような、耳を塞ぎたくなるほどの大きな破壊音が後方から響いてきた。
しばらくすると周囲にもうもうと煙が立ち込め、閑静な住宅街がにわかに騒がしくなる。
恵太たちの周りはあっという間に人垣で覆われた。
しばらく動くことができなかった。
何がどうなったのか頭の理解が追いついていない。
だが、少なくとも自分が生きているということだけは実感としてあった。
いつの間にか閉じてしまっていた目を開くと、ぼやっとした視界が広がる。
思った以上に強く目を閉じてしまっていたらしく、なかなか視力が戻ってこない。
痛む体を無理やり起こす。
すると、恵太のことを見上げている視線に気が付いた。
目の前に映り込んでいるその顔を見て、恵太はほっと息を吐き出す。
安心したのと同時に沸々と湧き上がってくる感情を抑えることができずに、恵太の口は勝手に言葉を吐き出していた。
「なんでいきなり飛び出したんだ!死ぬところだったんだぞ!」
「……」
いおりは何も言わなかった。
地面に横たわったまま、ただじっと怒る恵太の顔を眺めている。
眺めているというよりもどこか観察されているような気がして、また口を開きかけた時、
「にゃー」
いおりの腕の中からか細い声が聞こえてきた。
まるでそれ以上怒るなとでも言われているかのような気の抜ける鳴き声。
そんな声に、恵太の怒りもどこかに霧散してしまう。
気を取り直すように咳ばらいをしてから、再びいおりに声をかけた。
「怪我はないか?」
ゆっくりと体を起こすと、いおりは小さく頷いた。
体は動かせるようなので、どうやら怪我はしていないらしい。
「どうしてここに?」
「え?いや、それは……」
さすがに後をつけていたなんて正直に言うわけにはいかない。
「あれだ、家の近道なんだよ、ここ」
それを聞いたいおりは驚いたような顔をしたが、落ち着きを取り戻すように一息つくと、うっすらと笑って言った。
「そう」
その笑顔から、恵太はしばらく目を離すことができなかった。




