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第一話

 とある日の朝のことだった。


「もうそろそろ起きたらどうだい。まったく、キミはいくつになってもお子様だね」


 抑揚のない、実に事務的な声がすぐ近くから聞こえてきて恵太は目を覚ました。

 直後、体をゆっさゆっさと左右に揺さぶられて、寝起きの気持ちの悪さを加速度的に高めていく。


「何だこんな朝っぱらから……」


 枕元にあった携帯を手に取って眠い目をこすりながら時間を確認してみる。

 そこに表示されていたのは数字の六とゼロが二つ。

 家から徒歩で行けるほどの距離に学校がある恵太にとっては起きるにはまだまだ早すぎる時間だった。


 携帯の電源を落として眠気の赴くまま枕に顔を埋める。

 そうしていると、布団の中の温かさがじんわりと体にしみこんでいくようで、瞬く間に睡魔が襲い掛かってきた。


「仕方ないなぁ」


 次の瞬間、恵太を包み込んでいた布団が一気にめくりあげられる。


 今は四月の半ば。季節的には春といえども朝はまだ少し肌寒い。

 布団を取られたことによって夜のうちに冷え込んだ部屋の空気が一気に恵太の体温を下げる。体が冷えると目も覚める。目が覚めると頭も冴える。


 そうしてようやく、恵太は今自分の身に起きている不可解な出来事を認識した。


 素早く体を起こして声のしてきた方向を見る。

 そこには、どうやって入り込んできたのか、見知らぬ女の姿があった。


 身長は百六十五センチくらい。すらっと伸びた脚にきゅっとしまったウエスト。

 思わず目が吸い寄せられてしまうふくよかな胸元に、モデルのように整った端正な顔。

 腰よりもさらに下まで伸ばした髪は不揃いに切りそろえられている。

 着ている制服は恵太が通う高校で指定しているものと同じものだが、手入れが行き届いているのか皺一つない。


「ようやく起きたね。おはよう」


 何か楽しいことでもあるのか、どこか弾んだ声で挨拶をしてくる。

 声の主は、大人びた顔に子供っぽい無邪気な笑顔を浮かべながら恵太を見つめていた。

 可愛い女の子が朝起こしてきてくれるという健全な男子高校生なら一度は夢見るシチュエーション。

 普通なら心が躍ってしまうだろう。


 だが、一つだけ大きな問題があった。


「え、誰……?」


 恵太にとって目の前の女はまったくと言っていいほど知らない人物だった。


 泥棒か、人違いか、はたまた頭のおかしな奴なのか。

 泥棒だったらわざわざ起こしたりしないし、人違いにしても恵太を見た瞬間わかるはず。


 となると一番有力なのは頭のおかしな奴になるわけだが、だとすれば何をしでかすかわからない。

 下手に動いて刺激するのはかえって危険かもしれない。


 恵太が黙ったまま様子を伺っていると、あからさまに落胆した様子を見せてくる。


「その反応……まさかとは思うけど、ボクのことがわからないのかい?」


「わからないも何も、顔も名前も知らないんですけど」


「そうか……それは大変に残念だ。ボクはキミのことを一秒たりとも忘れたことはないというのに」


 一歩、二歩と後ずさって、傍にあった椅子に力なく腰を落とす。

 よくわからないが相当なショックを受けているようだった。

 しかし、次の瞬間にはスイッチが切り替わったかのように優雅に足を汲み、怪しげな笑みを浮かべる。


「ボクの名前はあまね。気軽に呼び捨ててくれて構わないよ」


「いやそう言われても……人違いじゃないんですか?」


 人違いだったとしても、知らない人の家に勝手に上がり込んでいる時点ですでに相当やばい奴であることに間違いはないが、わざわざ事を荒げるようなことをする必要はない。

 話し合いで帰ってくれるというのならそれが一番だ。


 だが、その願いは儚く散ることになる。


「いやいや、ボクがキミのことを間違えるわけないじゃないか。明日葉恵太君」


「……」


「なに、驚くことじゃないさ。それに驚くのはまだ早い。ボクはキミのことならなんだって知っているんだ。蓬高校二年四組、出席番号二番。身長百七十三センチ、体重六十二キロ、血液型はA型。遅刻が多くて一年生の時に留年しそうになり、その反省を生かして毎朝七時丁度と七時二十分にそれぞれ目覚ましをかけるようになって……」


「もしもし警察ですか。今ストーカーが家に突然おしかけてきて!」


「まぁ待ちたまえ」


 突然接近してきたかと思うと、素早い動きで携帯を奪い取られてしまう。


「何すんだ返せ不審者!」


「ふふ、ボクとキミとの蜜月の時に野暮な雑音はいらないんだよ」


 恵太の手をひょいひょいと躱しながらも、女子は携帯を耳にあてて警察の人とのやりとりを続ける。


「ええ、はい。いえ、ちょっとした痴話喧嘩で。彼がヒートアップしてしまっただけなんです。はい。あ、大丈夫です。尻に敷いているのは私の方ですから。はい、はい、何かあったときにはまた」


「ちょ、ちょっと待って!嘘だ!そいつが言ってることは全部嘘なんです!あ、ああああああっ!」


 恵太の叫びも虚しく通話は終了する。そして恵太の携帯はそのままスカートのポケットに吸い込まれていった。

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