母の蛮行
翌日兄弟が見たのは、知らない男の隣で、快活に笑う母アンナの姿だった。
朝、いつものように家を出ていったアンナの後ろを、数十メートル離れたところから、二人はこっそりと歩いていった。
「今日もお仕事頑張ってくるわね、ジョー、ウィリー。そして、あなた。愛する家族のためなら、私どんなことだって、耐えてみせるわ」
そう言って彼女は、握り拳を作って力なく笑ってみせた。その姿は、心から家族だけを思っているように見えた。それなのに……。
「なあ、アンナ。あの死にかけ旦那のことを、どう思う?」
アンナの肩を抱いて、男がニヤニヤと問う。
兄弟は、もはや彼らの近距離にいた。物陰に潜んで、じっと母たちの顔や仕草を見ていた。
それ故、会話の内容もハッキリと聞き取れる。
「ああ、あの病人ね。可哀想よね。でもね、それ以外に思うところなんかないから、安心して! 今となっては、あなたの他に男なんて一人もいないから。だから……ね? お願い。あの人が死んだら、私を妻にしてね」
アンナは、甘えるように男にしなだれかかった。
男は、たちまち上機嫌になる。
「ハハ、わかったわかった。いくらお前と出会って、まだ日が浅いとはいえ、決してお前を捨てやしないよ。あいつが逝ったら、すぐに一緒になろう。約束だ。ああ、楽しみだなぁ」
「ええ。楽しみだわ、私も……」
ここまで聞いて、兄弟は耐えられなくなり、一目散に、その場所を逃げ出した。
母と男に、それを悟られることはなかった。なぜかというと、二人は接吻を交わし始め、そちらの方に夢中になっていったからだ。
去り際に、兄弟が目にしたのは、これまでの人生の中で最も信じたくない光景だった。愛する母が父以外の男に、"女"の顔を見せていたのだ。
キラリと光る涙が、空中に舞った。
「ママは、許されないことをしたんだ。ママは、僕らが思っていたママとは違った」
ジョーが淡々と言った。すでに散々動揺した後である。いくらか落ち着いて考えられるようになっていた。
泣きながらの疾走の末に、二人は森の中にいた。互いに誰にも見つからないところで、ゆっくりと話したい気分だった。
「必死に働いているように見せかけて、実際はあいつに会っていたんだ。あんなふうに、もつれ合って——」
ジョーはそこで口をつぐんで、身震いした。
「ジョー。僕ママが嫌いになっちゃったよ。だってさ、パパのことなんか、何とも思ってないって言っていたでしょう? 僕は何よりもそれに怒ってるんだ」
「ああ、俺も同じだよ。パパはママのことを、すごく愛しているし、信じているんだ。きっと家族のために毎日頑張っているって。それなのに——」
母は、夫が近い将来死ぬとわかって、悲しむよりも新しい男を探すことに、熱中したのだ。
会話から察するに、母とあの男が不純な関係になってから、それほどの月日は経っていないみたいなので、きっと父が余命宣告を受けてから、結婚の約束をしたのだろう。
……酷い。
「ウィリー。このままじゃ俺たちは、あのおじさんと一緒に暮らすことになる。あのおじさんを"パパ"と呼ぶことになる」
「そんなの嫌だよ! 僕たちのパパは、一人だけだ!」
「だよな。そんな未来を避けるために、俺たちはやらなくちゃいけないんだ」
「やること?」
「ああ。ママを……殺すんだ」
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