「成り代わり作成」
家に帰るため、俺とセイラは『妖精の泉』から一番近い駅までひたすら歩いた。
改めて考えても、妖精と一緒に歩いているというのは奇妙な感覚である。
——もっとも、今や俺も妖精なわけだが。
駅に向かうまでの道で、多くの人にすれ違った。しかしその誰もが俺とセイラの存在には気づいていないようだった。
途中、コンビニがあったので入ってみた。
不思議なことに、自動ドアは反応した。スマホの画面が俺を認識したように。
「……今の俺は、いったいどういう扱いになっているんだ?」
俺はコンビニのレジの前に立ちながら、隣にいるセイラに聞いてみた。
ここまで、確かに俺の姿は誰からも認識されていなかった。
今目の前に立っているアルバイトのおばちゃんも、俺の姿は認識していないようだ。
しかし、完全に妖精になったというわけでもないようなのだ。
ここに来るまで、何人もの人とすれ違ったが、セイラはその人たちをすり抜けたのに対し、俺は全員と肩だったり足だったりをぶつけていた。もっとも、それでも向こうは俺の存在には気づかず、不思議な出来事に驚いていたのだが。
セイラいわく、妖精は身体の一部を透過することができるらしい。ただ身体のどこかは実体を保たねばならず、全身を透過しなくてはならないような厚い壁をすり抜けるのは無理だという。
「今のマサは、『妖精のエネルギーで動いている人間』って感じなんじゃないかな。ウーン」
「それって、セイラとはどう違うんだ?」
「私は妖精の肉体に、妖精のエネルギーが流れてる。だから、身体を透過したりできるし、『相手からの認識を変える』みたいな特殊な能力も持ってるの。でもマサは、妖精のエネルギーを身体に流してはいるけど、肉体は人間のままなんだよ! ウンウン!」
「……つまり?」
「つまり身体は透過できないし、妖精の能力にも目覚めない‼ ただ、妖精のエネルギーの影響で他の生物から姿を認識してもらえないし、声も届かない! アハハ」
「……マジかよ」
セイラによると、妖精というのは本来妖精同士でしか姿を認識できず、透過能力によって他生物は普段触れることもできないらしい。
セイラは自身の能力の関係で少し例外らしいのだが、その説明はますます混乱しそうだったのでひとまず無視した。
ともかく、俺はその『妖精の力』を中途半端に得てしまったようなのだ。
結果、誰からも姿を認識してもらえないが、物質としては確かにそこに存在し誰でも触れることができるという、中途半端な状態となってしまった。人が通ればぶつかるし、自動ドアの赤外線センサーも問題なく反応するのだ。
……だが声は?
「なんで声も届かないんだ? 声っていうのは、声帯の振動で起こる音で、肉体が起こす物理現象のはずだろ?」
「んー、そこはちょっとマサには理解し辛いかも。声っていうのは、その生き物の存在と強く結びついているんだよ。だから、姿を認識してもらえないのと同じように、声という音も、他生物からは認識してもらえなくなるんだ。キリッ」
「……なるほど」
……では手を叩く音はどうなのだろう?
そう思って俺は手を思いっきり数回叩いてみた。すると、目の前に立っていたおばちゃんが驚いた顔をしてあたりを見回す。
「声以外の音は聞こえるみたいだね……。ワオ」
「……だな」
これ以上驚かせるのも悪かったので、他のお客さんが入るタイミングに合わせて自動ドアを抜け、店を後にした。
「ねえマサ、私たちはどこを目指して歩いているの? チラッ」
「……ひとまず俺の家だな。そのためにまず、駅を目指してる」
問題は山積みだが、ひとまずセイラに俺のふりをしてもらう成り代わり作戦を成功させなくてはならない。最悪学校はいいとしても、家族に対してはきちんと俺の存在を繋ぎ止めておきたい。
「……駅って? キョトン」
「駅を知らないのか? ……駅っていうのはな、電車が通るところで、」
「電車⁉︎ 電車って何⁉︎ グワッ」
彼女が噛み付くように顔を近づけてくる。
……待てよ? なんだその好奇心剥き出しの目は。
「ねえマサ! 電車って何⁉︎ ズイズイッ」
……これはひょっとして、彼女の相手をするのは、妖精になってしまったこと以上に大変なことなのではないか?
『一番線に電車が到着致しま〜す。黄色い線の内側にさがってお待ちくださ〜い』
駅員のアナウンスと共に、電車がホームに走り込んでくる。
俺とセイラはその風で髪を揺らしながら、その車両を眺めた。
「うわぁぁ〜‼︎ 何これぇ〜‼︎ ギャー」
「……叫びすぎだ」
初めて電車を見たセイラが、驚きのあまり発狂している。
「ねえねえマサ、すごいよすごいよ! なんか動いているよ‼︎ これは生き物なの⁉︎ なんなのこれ⁉︎ シュポー」
セイラは電車の扉の前でぴょんぴょん跳びはねる。
……やはりこいつは、人間の世界のことをほとんど知らないようだ。
俺は扉が開くのをじっと待ってから、スッと車内に入る。
「これは電車。生き物じゃない、乗り物だ」
「乗り物〜⁉︎ 何それ⁉︎ ムキャー」
「今どき、子供でもそんなにははしゃがないぞ……」
俺は心の中にある呆れを隠さずにそう言う。
悲しくも、俺の読みは的中したらしい。こんなうるさい奴と一緒に行動しなくてはならないとは……。これはやはり、見えないということよりも厄介かもしれない。
俺は額に手を当て、ため息をついた。
「いいから早く乗ってくれ。誰も俺らの姿が見えてないんだ、扉を閉められちまうぞ!」
俺がそう言うと、セイラは恐る恐る電車に乗り込んだ。
プシュー‼︎ ……ウィーーン
「マサ! 動いた! 動いたよ⁉︎ 動いたあ‼︎ アハッ」
「あー、わかったわかった。わかったから、少し静かにしてくれ……」
俺は露骨な態度でそう言ったが、彼女はまるで気にしていないようだった。
昼間の時間帯ということもあってか、車内は空いていた。
俺は人がほとんど居ないあたりに移動し、そこの椅子に座る。俺が座ると、セイラもそれに続いて隣に座った。
「……すごいねえ、人間の世界。こんな不思議なものがあるなんて、私想像もしてなかったよ。ホワー」
「……俺だって、世界に妖精がいるなんて思ってもみなかったよ」
「……マサももう、妖精でしょ? へへへ」
「半分だ。そこ大事」
電車に揺られながら、俺たちはそんな他愛もない会話をした。
電車が止まっている間も動いている間も、セイラはあたりをキョロキョロ見渡しては、時折何かを叫んでいた。
「……お前さ、すげえな。いくら見たことない物だからって、そんな全力で飛びつけねえぞ普通」
少なくとも俺にはそんなことはできない。昔から物静かな方だったので、気持ちの高揚を大きく表現することなどなかった。
「んー、私昔っからこうなの! 目に入るもの全てが面白くて、全部に飛びついちゃう。生き物にもいっぱい興味があって、いつかお話してみたいな〜ってずっと思ってた。そしたら、そういう能力が発現したの! ババーンって‼︎ テテー」
セイラはまた、胸を張って自信満々にそう言う。
……分かってる、「普通」が相対的な評価のもとに存在することくらい。
つまりは、これが彼女にとっての普通なのだろう。そして俺にとっては、それはとても苦手な特異なことなのだ。
「……それが、相手からの認識を変えるっていう力か?」
「そう! おかげで色んな生き物と接することができたんだ! ワハハハ」
「そうか……」
彼女があまりにまっすぐだったので、長い間ひねくれる事を選んできた俺は、何だかうまく返事ができなかった。
「でも人間に出会ってからは、人間に興味深々だったんだ‼︎ だって話すんだよ⁉︎ こんなにも姿が似てるんだよ⁉︎ ワオ」
セイラがこっちに顔を向けて目をキラキラさせる。
その笑顔に、俺は思わず「可愛い」という気持ちを添えてしまった。
この笑顔を見るためなら、彼女になんでも協力してあげたい、そう思えるほどに。あまりの明るさに、俺の中のモヤモヤが小さく思えるほどに。
……俺も馬鹿だな。
俺は小さく笑う。
「……でもじゃあ、良かったな。こうしてずっと知りたかった人間の世界を知ることができて」
「まだまだこれからだよ! こんなの一部でしかないでしょ⁉︎ そんな気がする! だからまだまだ、いっぱい教えてね! 人間のこと! ニッ」
彼女はニカッと笑ってそう言った。
「……そうだな。まだまだこんなもんじゃないよ、人間の世界は」
自分の慣れ親しんだ世界。惰性でしか見ていなかった世界が、彼女と一緒に見ればとても素敵なものに見える、そんな予感がした。
「……それに、今一番興味があるのは実は人間じゃないんだ」
急に声のトーンを落として、セイラが言う。
「は? なんだそれ!」
思わず振り向くと、彼女の綺麗な瞳が俺の視界の中心に置かれる。
「……私が今一番興味があるのは、……君だよ、マサ」
へへへ、と彼女が笑う。
「——なっ⁉︎」
思わぬ言葉に、俺は動揺する。
そう言う彼女の表情は、先ほどまでとは全く違う雰囲気だった。
僅かではあるが、彼女の頬は赤くなり、瞳が揺れている気がする。
それを見て、俺も自身の耳が赤く、顔が熱くなっていくのを感じた。
俺は固まったまま、彼女はじっと見つめる。
二人の視線が交わったまま、時間は一秒、二秒と流れていき、その度に俺は胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「……えっと、」
——俺が口を動かした瞬間、セイラは先ほどまでの表情を捨て、ニッとこれまで通りの豪快な笑顔を見せた。
「妖精と人間の性質を併せ持つなんて、そんな珍しい生き物いないよ‼︎ だからすっごく興味がある! キラキラ」
「……あ、そう…」
俺はなんだかとても裏切られた気分になる。
——が、それを悟られぬよう、一度大きく咳払いをした。
「あ! 何あれ〜⁉︎」
俺が咳払いをしている間に、セイラがまた何かを見つけて叫ぶ。
目の前の少年がゲーム機でゲームを始めたのだ。
セイラはすぐに、そのゲーム機目掛けて駆けていってしまった。
「……自由なやつ」
俺はそう言うと、一度深呼吸をして背もたれに身体を預けた。
……まあ、こういうのも悪くはないか。
俺は心の中でそう呟くと、向かいではしゃぐ彼女を眺めた。
あちこち駆け回るセイラに振り回され、家に到着する頃にはすでに日が落ちる時間になっていた。
「ここがマサの家? 素敵だねぇ〜‼︎ ワクワク」
セイラがウチを見上げながらそう言う。
彼女は楽しそうだったが、俺にとっては緊張の瞬間である。
セイラが俺の姿に変身し、俺の代わりに鹿野雅紀を演じてもらう。それが俺の思いついた作戦である。
この成りすまし作戦がうまくいかなければ、俺はこの世界から消えた人間ということになってしまうのだ。
俺は喉をゴクリと鳴らし、横に立つ彼女に声を掛けた。
「今、家には母親と妹、それに父親がいる。俺が横で指示するから、言う通りに振る舞ってほしい。頼むぞ……!」
「わかった、やってみる! ドキドキ」
「……よし。じゃあ早速、俺の姿になってみてくれ」
「わかった‼︎ ホイッ」
そう言うと、一瞬セイラの姿が歪んだ。
——と思った次の瞬間、目の前には俺が立っていた。
いや、正確には俺の姿をしたセイラである。
「……想像以上に俺だな。」
思った以上の完成度に、俺は思わず驚きの声を漏らす。
「当たり前だよ、マサとして認識されるようにしてるんだから! 変身とは違うの、髪の毛の本数までマサと一緒だよ! エッヘン」
彼女が得意げにそう言う。
——その声を聞いた瞬間、俺の身体を寒気が襲った。
誰だって初めて自分の声を客観的に聞いた時には少なからず違和感を覚えたはずだ。
いま俺が感じたのはそれどころの話ではない。自分の声と姿で「エッヘン」などという幼稚な言葉を聞かされたのだ。あまりの違和感に、自分の人格が歪められそうなくらいである。
「……俺にだけは、もとのセイラの姿でいてくれないか? ずっとそれで隣に居られると、こっちの気がおかしくなりそうだ……」
「あれ、やっぱり気に入らなかった? そうだよね、今までの動物さんたちもみんな、動揺して嫌がってたもん。ウーン」
……わかってたなら事前に配慮してほしかった。
俺がそんなわがままを思った直後、再びセイラの姿が歪み、ふてぶてしい表情の青年は消え、目のキラキラした可愛らしい少女が現れた。
「——ほい! どう? へへー」
「……ああ、こっちの方が良いな。こっちで頼む」
「わかった!」
やはり彼女はこの姿の方がいい。
それに、可愛い女の子がそばにいてくれるというのは、俺としても思春期の男子高校生として人並みに嬉しいのだ。
……もちろんそんなこと、誰にも言ったりしないが。
ガラガラ。
「あー! やっぱりお兄ちゃんだ‼︎ 遅い〜‼︎」
上から窓の開く音がして、俺は顔をあげた。
見ると、二階の窓から顔を覗かせた心美がこちらに向かって叫んでいる。
——だがその視線は、わずかに俺からずれていた。
……なるほど、ちゃんとセイラのことを俺として認識しているわけだ。
「ねえねえ、あの子だれ⁉︎ お兄ちゃんって私のこと? キャー」
心美に声を掛けられたセイラが、興奮した様子で飛び跳ねている。両手を大きく広げ、足をピョンピョンとさせている。
それはいかにも彼女らしく、可愛らしい女の子という感じだった。
——しかしそれはまずい‼︎
「待て待て待て落ち着け! 俺の姿でそんな喋り方するな! 飛び跳ねるな!」
俺は両手でセイラを制し、コホン、と改まってから彼女に告げた。
「……そっけない態度で、『すまんすまん、遅くなった』と言ってくれ」
俺に成り代わるという本来の作戦を思い出したのか、彼女はスッと落ち着いた様子に戻った。
そしてコクンとうなずくと、
「スマンスマン、おそくなったぁ。」
と言った。
思いっきり棒読みだし、ちょっと馬鹿っぽいし、真面目にやってるいるのか疑いたくなるレベルだ。
しかし、これが彼女なりの真面目なのだろし、むしろそのふざけているような返事が功を奏したようだ。
俺がとぼけてふざけている様に見えたのか、心美は納得して、
「早く入りなよ! もうじきご飯だよ!」
と言って部屋へ戻っていった。
ひとまず成功、といったところだろうか。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
——しかし、問題はここからだ。
「……よし、行くぞ!」
俺はごく短い階段をあがり玄関の鍵を開けると、ゆっくりとその扉を開いた。
「ただいまー」
俺が言うと、セイラもそれを見て、
「ただいまぁ!」
と言った。
……なるほど、この復唱スタイルが良いかもしれないな。
俺は彼女を横目に見ながらそんなことを思う。
俺が靴を脱いで家に上がると、奥の部屋から声がした。
「おかえり、マサ」
「え⁉ 誰⁉︎」
セイラが俺に尋ねる。
「しっ! 母さんだ、俺の母親。たいていあの部屋にいる。……せっかくだし、会ってみるか? というか俺が会話しに行きたい」
そう言うと俺は、リビングの手前にある母親の部屋に向かった。
セイラはそれを見て、後ろからペタペタと着いてくる。
部屋の前に到着すると、俺は場所を譲りセイラを誘導する。
「……お前が開けてくれ。俺が開けたら、魔法みたいになっちまう」
彼女も緊張しているのか、唇をぎゅっと閉じながら頷いた。
ガチャッ……。
扉を開けると、綺麗に整理された部屋のベッドの上に、母さんが半身を布団に入れたまま座っていた。
胸のあたりまで伸びた黒い髪に白い肌、優しく、それでいて本質を見抜くような静かさを持った目。細い身体に薄いオレンジ色のパジャマを羽織った女性が、そこにいた。
「あ……」
セイラはその姿を見てすぐに立ち止まる。
さすが妖精というべきだろうか。一目見て、母さんが抱える問題に気づいたのだろう。
もしかしたらセイラには、俺たち人間とは少し違うものが見えているのかもしれない。
「……母さんは身体が弱いんだ。もともとそんなことなかったんだけど、病気でね」
俺の言葉に、彼女は沈黙で応える。
「おかえりマサ。少し遅かったのね……」
俺の姿になっているであろうセイラを見て、母さんは声をかけた。
「……ご飯はまあ、作り置きが結構あるはずだから大丈夫かなって。ちょっとドタバタしてて……。体調はどう?」
俺がそう言うと、セイラはそれを復唱する。
今回はさっきと違い、声のトーンや抑揚まで俺と同じように喋っている。
彼女は、本当に大事な会話の時にはとても真剣になれる、賢さと優しさを持っているらしい。
「身体は大丈夫よ、今日は少しこの部屋の掃除もしたの。元気になってきているわ」
母さんは少し笑いながらそう言った。
「そっか、良かった……」
「……ねえ、マサ?」
「なに?」
母さんが少し悲しげな表情をしながら口を開く。
「……もう、そんなにウチに気をかけなくていいのよ? 料理も、母さん少しずつできるようになってきているし。それに、今は父さんもいるんだから……」
その言葉に、俺は口を閉じうつむく。
セイラが横目で俺に何か指示を求めているようだったが、俺はそのまま黙って部屋を出ていってしまった。
自分の部屋に向かうため階段を登ろうとすると、上から父さんが降りてきた。
何か話しかけようと口を開いたが、父さんの目がまるで俺を捉えていないことに気づき、俺は口を閉じる。
「ねえ!」
後ろからセイラが俺に向かって叫んできたのが聞こえた。
「おおマサ、帰ってたのか……」
「あっ……!」
父さんに声をかけられ、セイラは固まる。
「おかえり……、ご飯、出来てるぞ……」
思春期の娘と対話をする時のように、距離をはかりかねている様子で父さんがセイラに声を掛ける。
それを受けたセイラが、俺にどう対応したらいいのか問うように目を向けてきた。
俺は振り向きざまにそれを確認すると、
「ありがとう、と伝えておいてくれ……」
と、言い残し階段を上り始めた。
そして俺は、そのまま自分の部屋に入っていった。
背後でセイラが、「ありがとう」と言うのが聞こえた。
「ねえねえ! さっきのは何⁉︎ ムーッ」
部屋の扉が閉まるや否や、セイラが大きな声で話しかけてきた。
「……お前、聞こえるだろ。」
「今は一度妖精に戻ってるから、声も姿も見えないよ。ドロン」
なるほど、そういう手もあるのか。
「……そいつは便利で良いな」
「そんなことより、さっきの人は誰⁉︎ っていうか、なんだか指示が適当じゃなかった⁉︎ プンプン」
セイラが少し拗ねながら問い詰めてくる。
「……あれは俺の父親、父さんだ。指示が適当になったのは悪かったよ、すまん。……ウチにも色々あってな」
考えてみれば、我が家の事情を誰かに知られたことなど今までなかった。
まあ、話すような相手がいなかったというだけで、秘密にしていたわけでもないのだが。——幼馴染とかにはバレてるし。
「ふーん、そうなんだ……。」
てっきり詳しい説明を求められるものだと思っていたのだが、セイラの反応は意外なほど素直だった。
「……意外だな、納得したのか? それとも、我が家の事情なんてものには興味がないか?」
ハハ、と笑ってみせながら俺は言う。
「ううん、興味はあるよ! ピシッ」
彼女はキッパリとそう言った。
「ああ、そう……。……じゃあどうして?」
「んー、なんとなく今聞くのは違うなって思ったから。私知ってるの、生き物にはこれ以上踏み込んで欲しくないっていう領域があるんだってことを。不用意にそこに踏み込むと、穴の中に逃げこまれてもうそこから出てこなくなっちゃうんだよね。そうなったら、もう知る機会も永遠に失われちゃうから。これは過去の経験‼︎ ニシシ」
最後のフレーズと共に、彼女はニカッと笑ってピースサインを突き出した。
その言葉を聞いて、俺はなんだか許されたような気分になる。
今、素直な気持ちを伝えられないでいる俺も、自分について人にあまり話せずに孤立している俺も、丸ごと許容してもらったような気がした。
「……そうか」
俺は呟くようにそう言った。
「まあでも、あの『ありがとう』は気に入らなかったけど! プクー」
彼女は言葉の通り、少し頬を膨らませてプンプンした様子でそう言った。
「……ありがとう?」
「『ありがとう』って言葉はね、あんな風に使う言葉じゃないんだよ⁉︎ 大好きな人に、大好きを伝えるための言葉なの‼︎ 自分の気持ちを隠したり、相手を遠ざけるために使う言葉じゃないの‼︎ わかった⁉︎ ビシッ」
彼女が、わかったというまで帰さない、という調子でこちらを睨むので——帰る場所はここなのだが——俺は思わず小さく頷いた。
「わ、わかった! ……悪かったよ」
俺がそういうと彼女はニコーっと笑った。
人を知るには、その人が何に対して怒るのかを知りなさい、という言葉があるが、彼女は俺の偽りの言葉に対して怒ったらしい。
自分の本心を隠したその場しのぎ、丸く納めるための当たり障りのない言葉。そんな、真に心の通っていないコミュニケーションを、彼女は嫌ったのだ。
今日、学校でも家庭でも、そんなコミュニケーションを避けて通ることはできないだろう。皆、どこかしらでそういう嘘をついて生きている。
俺はそんな嘘をつくのが面倒で、一人を好むようになった。
……けれど彼女に言わせれば、そんな俺もまた「嘘つき」なのであろう。
「……すげえな」
俺は、部屋の中を物色して回るセイラを見ながら、小声でそう言った。
……そうだ、俺は誓ったのだ。今度こそ変えてみせると。
そしてきっと、彼女とならそれができる。
「……気合い入れますか!」
俺が大声で叫ぶとセイラが驚いてこちらを振り返った。
「どうしたの⁉︎ 大丈夫⁉︎」
「大丈夫だ。またよろしくな! 明日は学校に行くからな」
俺は少し口角を上げて、セイラにそう告げた。
……油断大敵。
そうして俺は、『学校』についての説明を嫌というほどさせられる羽目になった。
……妹の紹介は、また今度だ。