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「走馬灯」

 日曜日、俺は五人乗りの車の後部座席こうぶざせきに座っていた。

 車内には妹と俺、そしてやはりというべきか、運転手として父もいる。


 今日は約束の休日である。

 先日、心美が行きたいと言っていた「妖精の泉」——お願いすれば妖精がなんでも願いを叶えてくれるという伝説のあるスポット、そこに行く日である。

 しかし、そこはバスや電車が通っていないため、車でしか行けない。

 我が家では父しか運転免許を持っていないため、必然的ひつぜんてきに父が同行することになる。

 やはりこれは、俺と父の会話の時間を作らせる、という妹の策略さくりゃくでもあったのだろう。

 俺はチラッと横にいる心美を見た。


「あ、見て! 川だよ!」

 窓の外を指差しながら、心美が言う。

 見ると道の横にはそれなりに幅のある川が流れ、さらにその先に、テントがいくつか張られた場所があるのが見える。川辺で遊ぶ親子の姿も目立つ。

「……そういやこの辺り、キャンプ場だったか」

「懐かしいなぁ……。昔、まだ二人が小さかった頃はよく遊びに来てたよなぁ」

「お兄ちゃんも、ワクワクしてきたでしょ?」

 段々と緑が濃くなり、標高も上がってきている。道を進みつれ、非日常感が高まっていく。

 渋々ついてきた俺だったが、確かに少し胸が踊っていた。

「……まあ、な」

「あと五分くらいで妖精の泉だぞ〜!」

 父もそれなりにテンションが上がっているようだ。

 あと〇〇メートルで妖精の泉、と書かれた看板がチラチラ現れ始める。

 妖精などはまったく信じていないが、自然に触れるのは俺も好きだ。せっかくの機会だし、楽しむことにしよう。


 そうして俺たちは、妖精の泉に辿り着いた。




 専用の駐車場に車を停めて、階段を使って崖を少し降りる。階段を降りると、木板とロープで作られた橋があり、長さは十メートル、高さは三メートルほど。

 橋の下は草が生いしげっているだけで、正直わざわざ橋を繋ぐ必要があったのか疑問に感じたが、妹は歩くとギシギシ揺れるこの橋を気に入ったようなので、それはいいことにした。


 そのボロい橋を渡って更に十メートルほど進むと、そこに妖精の泉があった。


 そこは、三つの小さな滝が落ちてくる滝壺たきつぼだった。

 流れ落ちた水が水深の深い箇所を形成し、流れの緩やかな泉のようなポイントになっている。

 決して広くはないが、前後の川幅に比べると明らかにそこだけ川幅が広くなっていた。

 三つの細い滝から流れ落ちた水は、「妖精の泉」と呼ばれる滝壺にとどまり、やがてその先の更に大きい滝の水となって落ちていく。

 川遊びをするには少し危険だろうが、景色としては壮大そうだいな場所だった。


「わぁー‼︎ すご〜い‼︎」

 妹が声をあげる。タイミングが良かったのか、それとも実際はそこまで話題になっていなかったのか、俺たちの他に観光客はいなかった。

「……こりゃ圧巻あっかんだな」

 心美に続いて父さんが言う。

 かく言う俺も、この光景にとても魅せられていた。

「神秘的だ……」

「ね! ここだけ光が遮られずに差し込んできてて、すごい神秘的!」

 俺の言葉に、心美がすかさず反応する。

「これは、妖精の泉って言われるのもわかるなぁ」

 父さんがうむうむ、と頷く。

「でしょでしょ⁉︎ あ、そうだ! 妖精さんにお願いしなくちゃ!」

「そうだな、よしマサ! お願いするぞ‼︎」

 父も今日はいつにも増してハイテンションだ。

 ……もしくは、ハイテンションを演じているのか。

「……わかったよ。確かに、これだけ神秘的な場所なら妖精もいるかもしれないしな。」

 俺がそう言うと、妹は満足げな表情を浮かべ、

「でしょ⁉︎ やっぱりそうこなくっちゃ!」

と言った。


「お願いは口に出した方がいいのか?」

 俺はふと二人に尋ねてみる。

「いや、神社とかと同じように、心の中で思えばいいんじゃないか?」

「私は二人にお願いを聞かれたくないから、心の中で言うよ!」

「よし! じゃあ父さんたちもそうしよう‼︎」

 ……相手は神様ではなく妖精なのだから、音にしないと聞こえないのではないか?

 俺は内心そう思ったが、二人がいいならそれでいいことにした。

 ……もしかしたら、妖精には人の心の声を聞く能力があるかもしれないのだし。

 もっとも、俺は妖精など信じていないわけだが。


 パン! パン!

 二人が隣で手を二回叩く。

「お参りかよ……」

 俺の呟きも意に返さず二人が続けるので、俺も遅れて手を合わせ目を閉じた。


 …………。


 しばらく沈黙の時が流れ、滝の音や木々の揺れる音だけが三人の間に流れた。


「……うん! お願いできた‼︎」

「父さんもできたぞ!」

「……俺も」

「え! お兄ちゃんお願いしたの⁉︎ どんなどんな⁉︎」

「うるさい秘密だ!」

 ちぇ、と言って妹は父にもお願いの内容を尋ねていた。


 ……俺の願いなど聞くまでもない。俺の願いは、こうして大切な人たちと過ごす時間が、これからも続いていくことだ。

 家族は俺にとって、一番大切なものなのだから……。


 ふと、雅紀の頭の中に「またな」と言う陣内海斗の姿がよぎった。

 ……なんでだ?

 俺は自分で自分に驚いた後、ふと表情を曇らせた。


 わかっているのだ、このままではいけないことくらい。

 心の許せる友もおらず、人に対して心を開くということができずにいる。一番大切だったはずの家族との関係も、今は良好とは言えない。

 かつて、家族のためであればどんな犠牲をもいとわない、という覚悟で生きていた時期もあったはずなのに。

 いや、むしろその時間が逆に、今のこの状況を生み出したのかもしれない。


 俺の脳裏に、中学生の頃の景色がよぎった。

 自分を蔑む同級生たちの視線、一人の帰り道、そして……。


「ねえお兄ちゃん、お父さんもお願い事教えてくれないんだけど」

 心美に話しかけられ、ふと我に帰った。

 心美はつまらない、と言うようにこちらを見あげている。

「……そういう心美は、妖精に何をお願いしたんだ?」

「え⁉︎ それはさすがに言えないよ〜」

「なんだ、結局心美も内緒ないしょなんじゃねえか」

 そう言うと、俺たちは笑った。

 俺は、心の中のモヤモヤを払拭するように一際ひときわ大きく笑った。


「……それにしても、妖精か。そこにいるなら、姿くらい見せて欲しいものだよな」

「……そういうのは、見えないからいいんだよ」

 俺が呟くと、心美がそう言う。

「いや、俺は見てみたいね」

 そう言うと俺は大きく息を吸い込んで、泉に向かって叫んだ。


「おい妖精! 俺は別に、お前に願い事を叶えてもらう必要なんかねえ! 俺はそんな、いるかもわからねえ奴に願いを託したりしないからな! だからまず、お前の姿を見せてみろよ‼︎ もしお前が俺に姿を見せてくれたら、逆に俺がお前の願いを叶えてやるぜ‼︎」


 俺が叫び終えると、向こう岸にいたちょうがひらりとどこかへ飛んでいった。

「……ふう、どうだ?」

 俺が横を見ると、そこに二人の姿はなかった。

「ぎゃ〜逃げろ〜‼︎ こんな場所で急に叫びだすなんて恥ずかしすぎる〜‼︎ お父さん、逃げるよ!」

 振り返ると、心美が父を連れてからかう様にもと来た道を戻っていく姿が見えた。


「……まったく、逃げることはないだろ」

 俺はそう言うと、再び正面の妖精の泉を見た。

「……綺麗だ」

 思わずそんな言葉が口からこぼれる。

 俺は妖精の泉の周りを少し歩いてみることにした。

 流れに沿って進み、水が流れ落ちる地点で立ち止まった。

 そこは高さ十メートルほどの滝になっていて、下には妖精の泉よりも深く大きな滝壺がある。


「……こっちが妖精の泉でいいだろ」

 俺はそんな皮肉ひにくを呟く。

 とはいえ、あそこへ降りていくのは大変だろう。

 実際、今俺が立っている場所から滝壺までは真っ直ぐな崖で、そこから下に降りるには飛び降りるか、迂回うかいして草木をかき分けていくしかない。

 まあおそらく、それゆえにこっちの滝壺が妖精の泉と呼ばれるようになったのだろう。

 俺は、そんな要らぬ憶測おくそくをしながら眼下がんかに広がる風景を眺めた。


「……さて、戻るか」

 俺は二人を追いかけるように、駐車場に戻ろうとした。

 ——とその時である!


 ブーンッ


 目の前から突然大きな羽音はおとが聞こえてきて、俺の視界に黒い影が走る。

「うわぁ‼︎」

 俺は思わず身体をのけぞらせ、足を一歩引いた。


 しかし足を引いたその先に、地面はなかった。


「あ、あ、うわぁ〜‼︎」

 踏み外した瞬間、内臓が浮き上がるような感覚が全身を襲った。

 そして俺は、そのまま崖の下に落ちた。


 ——ガサ、ガサガサ、ゴンッ! ザバーン、ゴボボボボ……。


 木の枝で多少衝撃が軽減されたものの、崖下の岩に頭をぶつけ、転がるように滝壺に落ちていった。


 ……ああ、バカをした。……まさかこんなところで。

 薄れゆく意識の中で、俺は死を覚悟した。

 そしてそれと同時に、今までの人生が走馬灯そうまとうの様に頭の中を流れていった。

 沢山の後悔を含んだ走馬灯である。

 俺はそれを見ながら、心の中で強く叫ぶ。


 もしもう一度生きることができたなら……。その時は、その時こそは……‼︎


 言葉にならない決意を胸に残し、俺は静かに目を閉じた。


 ……ゴボ、ゴボボボボ……。

 ……まだ水の音が聞こえる。


 遠ざかっていく音の中で、俺は夢を見た。

 黄金に輝く空間に一人、浮いている夢である。

 これが天国か? それとも、黄泉よみの国への扉だろうか。


 ふと、何かが自分のほほに触れた。

 わずかに伝わってくる温もり、これは人の温もりだ。

 その温もりが、くちびるにも宿る。


 意識のおぼろな夢の世界で、俺は目を開いた。


 目の前には少女がいた。

 光り輝く、金色の髪をした少女である。

 その髪が、黄金に光り輝く俺の夢の世界によく馴染んでいた。

 少女の温もりが唇から離れ、両頬だけに残ると、少女は口を開いた。


「良かった、間に合った……。約束だよ? これで、私の願いを叶えてね?」


 俺は消えゆく意識の中で、その少女を美しいと思った。


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