拾ってきた子
「お前はね、裏山で拾ってきた子なんだ」
父はことあるごとに私にそう言った。
「父さんが山に芝刈りに行ったらね、木の洞で、ヒィヒィ泣いてたんだよ。売り飛ばそうと思って連れて帰ったけど、全然売れなくてね。可哀想だったから育てることにしたんだ」
からかうような調子でそう言った。父にとっては、ちょっとした悪意のない冗談だったのだろう。しかし、私にとっては違った。それを聞いた私は思ったのだ。「どうりで」と。
祖母はよく「アンタは父さんにも母さんにも似てないねぇ」と言った。幼い私にはその真偽はよく分からなかったが、祖母がそういうのだからそうなのだろうと思ったし、「拾ってきた子」というストーリーは信憑性を帯びるように感じた。
さらに妹が生まれると、両親は妹ばかりを構うようになった。その差は明らかで、私はいつも寂しさを感じるようになった。「お姉さんなんだから我慢しなさい」とか「どうして泣かせるの」とか、そういう風に叱られることが増えた。
そしてある日、私は決定的な場面を目撃することになる。それはある朝のことだった。目が覚めた私が居間に行くと、父がカーペットで胡座をかいて、哺乳瓶で妹にミルクを与えていた。柔らかい朝日に包まれて、父は見たこともないほど優しい顔をしていた。そして言ったのだ。「父さんの可愛い娘。宝物だ」と。その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。妹は、父の本当の娘なのだ。私は裏山で拾ってきた子だというのに。
私は、そのままそっと家を出た。本当の両親を探しに行くことにしたのだ。もうこの家には戻らないと決意して。父と母にはもう会えないのだと思うと、鼻がツンとしたけれど、本当の両親に会えるのだからと自分を慰めて、涙をこらえた。
その後、どうやって裏山に行ったのかはわからない。どうやって道路を渡ったのか、どうやって草も生えない崖を登ったのか、今となっては思い出せない。しかし、私は裏山に入ることに成功した。晴れた山道を一人歩いていくのが、思いの外楽しかったことを覚えている。ヘビイチゴを摘んで、何とも言えずいい格好の木の枝を振り回し、ずんずん進んだ。しかし子供の足だ。すぐに疲れてしまったし、父の言う「きのうろ」というのがどこなのかが分からなくて、座り込んでしまった。すると、すぐに自分が一人ぼっちなことを思い出し、森はどこまでも深く、暗く思えた。もう両親に会えないことも思い出し、ふいに寂しくなって泣いた。しかし、泣いても泣いても誰も助けに来ない。泣き疲れた私は、そのまま木の根本で眠ってしまった。
その後の記憶は、父が私を抱きしめて、わんわん泣いているところに飛ぶ。私は苦しくて、父が大きな声で子供みたいに泣くのにびっくりして、ただただ固まっていた。母も泣いていた。誰かに連れて行かれたのか、何かされたのかと聞かれたので首を振った。上手く言えなくて、「山の子だから」と小さく答えたら、また父がわんわん泣いて、「お前は拾った子なんかじゃない。父さんの子だ。もうどこにも行くんじゃない」と言った。私は、ちゃんと父の子だったのだ。そう思ったらほっとして、堰を切ったように涙が溢れて、二人でわんわん泣いた。
それから父は、「お前は裏山で拾った子だ」とは二度と言わなかった。代わりに、「お前は父さんの宝物だよ」と言った。そう言う時の父の顔は、あの朝と同じ、見たことないほど優しくて、私は、心の底から安堵するのだった。
それから二十数年がたち、母が死に、数年後には父も死んだ。私は忌引をもらって実家に帰っていた。三年に及ぶ闘病の末のことだから、ある程度覚悟はできていて、穏やかな葬式だった。
葬式の後、仏間で父と母の遺影を並べて眺めていると、いつの間にか部屋に入ってきた叔母が、「アンタは父さんにも母さんにも似てないねぇ」と、いつか祖母が言った台詞をそのまんま言った。「どっちにも少しずつ似てるんです」と答えたあと、ふと思いついて、「それとも、もしかしたら拾ってきた子かも」と言ったら、事の顛末を知っている叔母はたいそう楽しげに笑った。
親戚たちが帰った後、私は喪服のまま靴だけ履き替えて、一人であの裏山に登った。あの日父が私を抱きしめて泣いた、あの場所にもう一度行ってみたくなったのだ。崖だったところは今は整備されて階段ができ、人気はないが散歩コースのようになっている。私は木々のトンネルに入り、木漏れ日を感じながら進んだ。途中ヘビイチゴもあったし、なんとも言えず格好いい形の枝もあった。でも、もう大人だから拾わない。本当は少し拾いたくなったけれど。
記憶とは違って、裏山は随分小さくて、十分もしないうちに頂上に着いた。その後もあちこち探し回ったが、父が私を抱きしめてくれた場所はついに分からなかった。
諦めて山を下ろうとしたとき、私は鳥のさえずりに気が付いた。木々の中で一人立ち止まって目を閉じてみる。森の中は静かなようで、音に溢れている。遠くから「ケキョケキョ」とウグイスの鳴き声がして、すぐ近くで「ギーヨ」とヒヨドリが鳴いた。四方からはざわざわと梢が鳴った。そうしてじっと耳を澄ませていると、あの日感じた怖さや寂しさや、森の暗さがすぐそこまで忍び寄ってきたように感じた。私は身震いして慌てて目を開けたが、気がついてしまったのだ。森のざわめきの中に混じった、何か気配のような、微かな震えに。振り返ると、そこには古い古い大きな欅の木があって、ぽっかりと大きな洞が開いていた。
そして確かに聞いたのだ。卵から孵ったばかりの雛鳥のような、弱々しいヒィヒィという泣き声を。




