教師と児童と
… … … ポーン。
2021年8月17日午前3時56分。
畏れ。昔の人々は、未知の出来事であった天体現象を神の仕業、もしくは呪いや祟りとした。
そうする事で畏れに概念ながらも形を与え、正体を与え、その恐怖を緩和させたのであろう。
その姿形は明らかに異形なものから、人型に近しいものまで様々。
時は過ぎ、科学が発展。皆既月食やら嵐やら雷やら。その他諸々の天体現象や未知のこと。
細かい理由は分からずとも、その正体は誰かしらによって明確にされて、怪異としては恐るるに足らぬ存在となった。
未知の現象は減っていき、同時に漠然とした恐怖が減少していった。
それでも、人間は全知全能ではないい。
人が集まるところに未知はあり。
それは都市伝説や怪談として語られ、畏れられ。
そんな人が集まる場所の一つ。
今も昔も学校には不思議な話や出来事が集まる。
特に、夢見がちな学生、もとい児童が多い小学校には。
キーンコーンカーンンコーン。
終業のチャイムと共に児童は続々と帰宅していく。
わいわい、きゃっきゃと騒がしく。楽しげに。
「今日はどこのクラスも何事もなく、良かったですね」
帰りの会を終えた各クラスの担任は職員室に戻ると安堵の声を掛け合う。
小学校は危険に溢れた場所である。常識が通じない「小学生」が何人も集まる場所。
大人の想像を超える事件事故が起こりかねない。
だから、大人にも想像や想定できるすべての危険と今までの経験と蓄積によって分かっている危険の予防と対策、それらを日々行わなければならない。
守るべき存在であると同時に事件事故を誘発させる存在である小学生の下校、帰宅は教師たちに一時の休息を与える。
「ですね。ただ、あくまでも一安心。まだまだ気が抜けません」
普通の小学校なら児童が帰宅してしまえば、翌日に登校するまで先生方は児童の安全に関する事なんてを忘れて、授業準備などの自分の仕事に集中しても問題はない。
しかし、ここの小学校は普通ではない。
外から見れば、街中にある一般的な小学校と何一つ変わらない。
通うのは小学生。教えるのは老若男女の教師たち。
普通の小学校に見えるが、内部を知るものにとって、ここは異常な場所なのである。
何が異常なのか。
この小学校は児童を筆頭とした学校関係者が関わる事件事故の発生数が異常なのである。
児童が被害者になる場合、加害者になる場合共に。
軽傷事案はもちろんの事、児童が重体に陥る事件事故、終いには死亡事案も多々。
それらがほぼ毎日。
「呪われている小学校」と児童や保護者、教育委員会にまで言われてしまうほど。
この評価は的を射ている。
実際、この小学校は呪われているのである。
その事実はこの小学校で教鞭をとる教師たちだけが知っている秘密。
「この学校、ヤバいよね」
四年生のある教室。三十ある席のうち、六つの席に一輪の花が置かれている。
「一昨日、三年三組のやつがトラックに跳ねられたんだって。公園でサッカーしてたら」
通う児童も自覚している。
しかし、恐ろしいことに自分たちがその原因の一つなのではないか、とはカケラも考えないのである。
彼らにとっては自分たち以外の誰かのせいなのである。
「小学生を轢くなんて信じらんねぇよな。どこ見て運転してんだよって感じ」
この事件については前日に全校集会で話があった。
その中で事件について説明した校長は、車の運転者が注意するのは当たり前だが、歩行者である自分たちも被害に遭わないように行動することが大切といった旨の話しをしたが、その言葉が全くもって児童に響いていないのは見て明らかだった。
しかし、その状況は簡単に改善できるものではないと教師たちは理解していた。
その理由は、この小学校が呪われている理由に起因している。
この事故の実際の責任は轢かれた児童側にあった。
もちろん、法律上ではトラック側の責任となる。
が、どれほど細心の注意を払おうが当たり屋との事故は避けられない。
今回はその一種であった。
何を考えたのか、轢かれた児童は自らトラックへと突進していった。
その児童は友人たちと公園でサッカーをしていた。
うち一人が、つい力を込めて蹴ってしまい、ボールが公園外に出てしまった。
よくある事だ。
ボールが出た先にいたのが、のちに児童を轢き殺すトラック。
転がったボールは、トラックのタイヤにぶつかった。
停車中のことである。運転手は離れた場所にいてボールになんて気がついていない。
しばらくして、戻ってきた運転手によってトラックは動き出す。
轢かれた児童は、なんと動きだしたトラックに死角からぶつかっていったのだ。
低速といえども、何トンもあるトラックにぶつかり、そして下敷きとなった児童は助かるはずもなく。
なんとも理不尽な事故だった。
キーンコーンカーンンコーン。
今日の終業チャイムは悪夢のような出来事の幕開けに鳴り響いた。
四年生のある教室。三十ある席のうち、六つの席に一輪の花が置かれている。
「はーい。じゃあ、帰りの会やりまーす。全員いる?」
担任教師による形式的な確認だった。
しかし、空席が目立つこの教室ではこまめに行われる事でもある。
そして、行わなければならないことでもある。
「〇〇がいません」
「どこ行ってるかも分かんない」
トイレに行っているのだろう。隣の教室だったり、どこかにふらっと行ってしまって、たまたま居ないだけだったり。
どうせ、帰りの会をやっている最中に戻ってくるだろう。
普通の小学校ならばそんな楽観ができるが、この小学校ではそうもいかない。
「本当に……?全員、席について。先生が探してくるから絶対に教室から出ないこと。いいね!」
しぶしぶ自らの席に戻る児童たちを横目に、担任教師は教室を飛び出して、急いで職員室へ向かった。
「至急です。児童が一人いません。行方不明です。手伝ってください」
その言葉を聞いた教頭の顔色が変わる。
「副担任は教室に向かって残った児童を見張って。他の先生は捜索に協力!」
既に帰りの会を終えて戻ってきていた他学年や他級の担任教師、非常勤の教師など職員室にいた大人総出で校内捜索が始まった。
児童ひとりに大袈裟である。だが、それが大袈裟であったと、のちに笑い飛ばせればそれで良い。
何事もなく、見つかればそれで良い。
しかしながら、それは叶わなかった。
行方がわからなかった児童は遺体で見つかった。
トイレの個室。
発見された時、既に息はなく、首を切り裂かれ、大量の血を流して倒れていた。
警察の調べによると、致命傷となった首の傷は刃渡りの短い刃物で切り裂かれていたとの事だった。
しかも、一度でではなく、何度も何度も切りつけた跡があった。
「これは常人の犯行じゃない。……狂ってやがる」
殺人事件をいくつも捜査している捜査員がそう呟いてしまうほどの犯行だった。
学校内で殺人事件が起こった場合、遺体が見つかった段階で児童たち全員を速やかに帰宅させて、警察の捜査に全面協力するのが通常の小学校の対応、姿勢といえるが、この小学校はそういった対応、姿勢ではなかった。
校長がとった対応は異例も異例。通常ならば考えられない対応であった。
まだ学校にいた児童は、自らの教室に入れ、担任または副担任と共に中から施錠して軟禁。
既に帰宅した児童は速やかに再度登校させて同様の措置をとった。
警察に対する姿勢も違和感があり、警察へ事件に関して質問はするが、警察からの問いに対しては無言か曖昧な答えではっきりと答えない。
外を撮影している防犯カメラに関しては映像提供するが、校内を撮影しているものに関しては、カメラ自体の存在を否定して提供を拒んだ。
この対応と姿勢から、警察は犯人が学校関係者である事を確信し、下手をすれば学校側は犯人を知った上で匿っているのではないかと睨んだ。
事実。学校側は、事件初日以外は警察の校内立ち入りを拒否して、捜査への協力を行わなかった。
「この学校、ヤバいよね」
四年生のある教室。三十ある席のうち、七つの席に一輪の花が置かれている。
「〇〇殺したの、絶対先生だよな」
教室は先日の殺人事件の話題で持ちきりである。
「〇〇、授業態度が悪いのに頭良くて。先生、嫌ってただろうし」
「この学校、警察の捜査に全然協力しないらしいよ」
「学校は犯人が先生だって分かってるからだろ」
児童たちの中の容疑者筆頭は級の担任教師。級の児童、皆が確信を持って疑っていた。
そんな状況で担任教師がまともな授業をできるはずもなく。
事件翌日こそ担任教師が授業を行なっていたが、その翌日からは副担任が代わって行うようになった。
授業を行わなくなった上、担任をしている級から児童がまた一人減り、しかもその児童は校内で惨殺された。
ショックを癒すために担任教師は自宅待機になったかと思いきや、毎日職員室に通勤していた。
授業を持たぬ担任教師の仕事。それは、事件の犯人を明らかにすること。
「間違いないです。先日の事件は児童による犯行です」
事件翌日の職員会議で四年生のある教室の担任教師が発言した。
それに対し、異議は全く出なかった。
「学校に平穏を取り戻すためにも早急に犯人を見つけ、指導して更生させなければなりません」
校長の一言に教師一同、みな力強く頷いた。
なぜ教師が皆、児童が犯人であることを疑わないのか。
それは、この小学校は呪われているからである。
担任教師の努力虚しく、事件は解決の気配を見せない。
学校は平穏を取り戻すどころか、以前と同様もしくはそれ以上に事件事故が教師や児童を襲い、両者ともストレスを募らせていた。
「どうにかして、証拠を見つけなければ。そして、更生してもらわなければ。あの、快楽殺人鬼たちに……」
教師は児童たちがいわば殺し合いをしており、自分も生徒に襲われていると思っている。この小学校に降りかかる不幸は全て、児童のせいだと考えている。思い込んでいる。
この小学校は呪われている。それは、この小学校で教鞭をとる教師たちだけが知る秘密。
呪われている理由。
何故ならば。その教師たちが教えている児童全員、快楽的大量殺人鬼たちだから。正確にはその生まれ変わりたち。
教師は、生まれ変わってもなお事件事故を引き起こす児童たちをどうにか更生させる為に証拠を見つけて、または現行犯で見つけて指導をしなければならない。
だが、なかなか証拠も現れず、その瞬間も訪れない。
暗闇が続く。
では、当の児童たちは。
「この学校の教師、ヤバいよね」
児童たちは、この学校で起こる事件、事故は全て教師が引き起こしたものだと思っている。思い込んでいる。
自分たち児童は何もしていない。だから、それ以外の、つまり教師が起こしているとしか考えられない。
当然ながら、児童たちは自らの正体を知らない。覚えていないのだ。
暗闇が続く。
「もう、無理だ。やるしかない」
四年生のある教室。三十ある席のうち、十三の席に一輪の花が置かれている。
児童たちは一向に止まない不幸に耐えられなくなっていた。我慢の限界。そして、遂にそれらを引き起こしている教師を殺害して、この不幸の連鎖を止める計画を立て始めた。
教室前の廊下に水を撒いて転倒死させる。
給食に石灰やチョーク粉を混ぜて毒死させる。
階段から突き落として転落死させる。
ただ、最初はいたずらレベルにしかならず、担任教師は不幸とも思わなかった。
今までの不幸と比べれば、些細な事。
しかし、子どもは成長する。良い意味でも、悪い意味でも。
児童たちは次第に腕を上げていき、そして遂に担任教師を殺めることに成功した。
血を流し、倒れる担任教師を児童十七名が取り囲む。
薄れゆく意識の中、担任教師はたった一言呟いた。
「君たち、仲良く」
それが担任教師の最期の言葉。
ようやく手にした平穏を児童たちは喜んだ。
しかしながら、それは地獄の始まり。
何故ならば、全ての不幸、事件事故の原因は担任教師ではないから。
むしろ、担任教師は児童を想って事前に事件事件を防ぐ立場だった。
守り手を失った児童たちは、当然より大きな不幸に見舞われ、より多くの被害を被った。
「 」
四年生のある教室。三十ある席のうち、二十九の席に一輪の花が置かれている。
その多くが既に枯れてしまっていて、果たしてその役目を果たしているのか疑問である。
荒んだ花瓶畠の中央には何も置かれず、そして誰も座らぬ席。
そして誰もいなくなった。
「あぁ、あー」
「今回も失敗という事で。ひと段落、ひと段落」
「だって致し方がないではないか。仕方がないではないか、どうしたら良いか分からないのだから」
教室にどこからともなく声が響く。
終
2021年8月17日午前3時56分。
この物語の原案が生まれた日時です。
その原案は、私が見た「夢」です。
私のメモアプリには結構、深夜・早朝に書かれた謎のメモ書きが残っているのですが、これもその一つ。
約一年経って読み返してみて、抱いた感想は。
「あぁ、訳が分からない!」
書いたことすら覚えていないメモ書きですから、それがどんな夢だったかなんて当然覚えていません。
訳が分からない、箇条書きで記されたおよそ500文字のメモを頼りに話をどうにか10倍に膨らませて出来上がった一作です。
完成しても、訳が分からないままでした。
書いた本人が訳分からないなんて言って良いものか、と思いますが。
今作に直接関係はしませんが(と、いうことは間接的に関係するんですよ、多分)
King Gnuのメンバーでもあるミュージシャンの常田大希が主宰する音楽プロジェクトである”millennium parade”の楽曲『Fly with me』のMV。
書いている期間中に観たので紹介しておきます。
気が向いたら観て下さい。調べればすぐに観られます。
ってか。
素人の作品の、それも後書きまで読んだんですから。
ここまで読んだ方、読んでしまった方は
プロの、それも素晴らしい作品なんですから絶対観て下さいね。
そういえば、「ねむ」名義でこんな感じの話は珍しい?
以上、御宝候 ねむ がお送りしました。
いつになるか分からない次回作もよろしくお願いします!