誓いをここに
――――カランッ、コロンと音が鳴る。
懐かしいような耳障りな音。
「おい、起きろ!」
農場の主の声で目を覚ました。
「渦中の無能者はお気楽ならしい。」
小屋には朝日が入りその時刻を知らせる。
二日続けて寝過ごすとは気でも抜けていたのか。
「世話になった。」
「ああ、とっとと出ていけ。そういう契約だ。」
もうこの農場に戻ることはない。
農場の主との契約を破ったからではなく、決闘を断るから。
この街にいるのも今日が最後だ。
わずかな金銭を手に組合に向かう。
組合の要請を断ることを伝えるために。
街に入るといつもより視線を感じた。
農場の主が渦中と言っていたが、勇者の噂は相当広まっているらしい。
こんな視線にさらされるのなら一刻も早くこの街から離れてしまいたいとさえ思う。
「おいおいおい、無能者様ではないですか。随分と遅い登場だな。」
「メノス、か。」
「そう睨むなよ、俺たち今日は決闘する仲なんだからよ。」
話しかけられた時から察してはいたが想像通りだ。
「ああ、楽しみだぜ。お前を大勢の前でいたぶれるのがよ。」
「悪いがその願いは叶わない。」
「あ?」
「俺は決闘を行わない。」
「はっ、まじかよ!とんだ腰抜けがいたもんだ!」
そう言われても仕方がない。
組合の要請を断るとはそういうことだ。
「ああ?だとするとお前の顔を見るのも今日が最後かぁ?はは、最後までしけた面を見せやがる。」
メノスは笑いながらその場から離れた。
「しけた面か。」
――――仕方がないだろ、他にいったいどんな顔をしろというんだ。
組合に近づくにつれ人が増えているような気がした。
今日の決闘の観客だろうか。
組合に着くと人だかりができていた。
なぜ人だかりができているのか、それはすぐに分かった。
組合の扉の前には勇者が座っていた。
人形のような整った顔立ちはただ座っているだけでも絵になる。
人目を引くのも当然だろう。
それが勇者という希少な加護を持った存在だとするならなおのことだ。
勇者は無能者を見つけるなり目を輝かせ駆け寄ってくる。
期待の眼差しを向けられても困る。
今から勇者の願いを断ろうとしているのだから。
「おはよう、しゅ……えと、昨晩はよく眠れたか?」
勇者は無能者を守護者と呼ぶのを止めた。
勇者も無能者が決闘をしないということは理解しているらしい。
昨日のやり取りもあることだし当然と言えばそうだが、てっきりまた引き留められるものだと思っていたから少し拍子抜けした気になる。
「ああ、少し寝すぎたくらいだ。…そういうお前はあまり眠れていないようだが?」
勇者の眼下には隈ができていた。
慣れない土地で寝付けなかったということは考えにくい。
教国の人間が丁重に扱うほどの勇者だ、エルガレドもそれ相応の接待をしているはず。
「あのあと私なりに考えたのだ。そなたがどうして、物事を悪い方向へと考えてしまうのか。」
「酷い言いようだな。で、答えは出たのか?」
「私なりの考えだ、軽く聞き流してほしい。――――私は生まれた時から勇者だった。生まれた時から人々を救うことを運命ずけられ、そのために努力もしてきたつもりだ。だがそなたは違う。そなたの過去に何があったかはわからぬが加護も得ることができなかった、その時のそなたの絶望を勇者であった私には想像もできぬ。」
「絶望なんてしていない、はなから希望なんてものがなかった。」
「望みがない、そなたは昨日も同じようなことを言っていたな。それがそなたの卑屈さの原因か?」
「そう、なのかもしれない。俺は他の冒険者とは違う、夢や望みがあって組合にいるのではない。ただ生きるために冒険者にならなければならなかったんだ。」
侮りを受けても、それがたとえ惨めだったとしても冒険者にならざるを得なかった。
それが加護で人間の優劣が決められるこの世界で、無能者が生き残るための唯一の生き方。
「それは違う。そなたは冒険者にならなければならなかったのではなく、冒険者になったのだ。」
「何を根拠に……」
「そなたは……冒険者になるために奴隷商から逃げてここまで来たのだろ?」
良心からの行いなのはわかるが、この勇者は本当に容赦がない。
人の心に土足で上がり込んでかき乱す。
無能者が奴隷であったことはこの組合で知っているのは二人しかいない。
そしてそのどちらかはある程度想像はついた。
「エルガレドに聞いたのか?」
「すまぬ、そなたが組合から出て行った後に……。」
「意外、でもないか。おしゃべりなやつだ。」
「そなたは奴隷商から逃げた。それは自分の生き方を求めたからではないのか?自由を求めたからではないのか?だからそなたはこの地で冒険者になったのではないのか?」
あの日、どうして自分が奴隷商から逃げ出したかはわからない。
それでも起こるはずのない偶然が重なって今ここにいるのは確かだ。
「侮られても、どれだけ惨めだろうと、そなたは冒険者として生きようとしている。それを私は望みだと思うのだ。」
勇者の言葉を聞いても今の自分に望みがあるとは思えない。
それでも、無能者にも過去に望みがあったことだけは思い出した。
身の程も知らない子供の、たった一つの願い。
「俺は……冒険者にはなれていない。冒険者は落ち人の集まりだ…でも夢追う人間の居場所でもある。そんな冒険者が集まる組合で加護もなく、夢もなくした俺は冒険者でもない。人に言われるように、俺は無能者に違いない。」
「無能者が冒険者になってはいけないと誰が決めた!そなたが望めば変えていけるのだ、今日からでも、今からでも!その可能性を見ようともせず、たかが小娘の戯言と吐き捨てるならば、そなたは無能者を見て笑うあ奴らと何も変わらぬ。」
「……言ってくれるな。」
ある日少年は冒険者になるために組合の扉を叩いた。
身の程も知らず、自由を求めて男は冒険者になった。
過去に努力したこともあった。
それでも結果は何も変わらない、男は今も無能者であり続けている。
自由を願い変わりたいと願っていたはずなのに、いつしか平凡に慣れ変わることを恐れるようになっていた。
今の無能者を見れば少年は絶望するだろうか。
いいや、そうでもないだろうな。
過去も、今も、底にいることだけは変わりがない。
「――――変えていけるだろうか?」
過去の思い出が不意に無能者の口から言葉を漏らさせた。
「変えていけるさ!」
勇者は無能者の手を握る。
いったいいつから外にいたのか、勇者の手は冷たかった。
無能者がいつ組合に来るかもわからない、来ない可能性だってあったはずだ。
それでも勇者は組合の前で待ち続けていたのだろう。
無能者が組合に訪れることを信じて疑わなかったのだろう。
どうして勇者がそこまで無能者に固執するかはわからない。
勇者の傍にいるのが無能者なのだとしても運命のいたずらが過ぎる。
勇者の隣にいるべき人間を選ぶのは勇者か、神か。
どちらを信じるかは無能者にとっては取るに足らない疑問だ。
――――諦めるのは簡単、信じるのは難しい。本当にその通りだな。
勇者の手から離れ組合の扉に手をかける。
「――――あっ、待って――――。」
組合の中に入ろうとする無能者の背を追うように勇者は振り返る。
「勇者。俺は未だに自分に加護があるとは思わない。俺がお前の傍にいるべき人間だとも思わない。それでも――――お前は自分の望みを叶えようとするのか?」
「誰に言われるでもなく、私の傍にそなたがいてほしいのだ。私は…あなたを信じている。」
「……そうか。」
扉を開くと組合の中央でエルガレドが待っていた。
「よぉ、遅かったじゃねぇか。で、答えは出たのか?」
周囲の視線が痛い。
でも、もう迷いはない。
「ああ。俺は組合の要請を受ける。」
――――――――――――――――――――――――――――
エルガレドに意志を伝えたあと無能者はシーナに連れられ組合の修練上に来ていた。
普段は新米の組合員の鍛錬の場所として貸し出されている場所。
ここに来るのもいつぶりだろうか。
控えの部屋で決闘の開始の時刻を待つ。
見張りのためか部屋にはシーナも待機した。
「――――。」
会話がなく居心地が悪い。
シーナと出会ってからかなりの年月が経つがまともに会話したことがなかった。
組合に加入するときに少し話した程度だろうか。
その時の話の内容は覚えていない。
だが、どうしてだろうか。
シーナのことを苦手と思っている自分がいる。
「またお前さんは湿気た面をしていやがる。」
シーナが声を出したのかと驚いて顔を上げた。
エルガレドがシーナの影からのそりと顔を出した。
声の質からありえないとはわかっていたがエルガレドが部屋に入ってきていたことに気づいていなかったので驚いた。
「いつからそこに・・・」
「ついさっきだ。なに、お前さんみたいな小僧に気配を気取られるほど衰えてねぇよ。」
感心するとつけあがるのだろうから声には出さなかったが、さすがは元英雄といったところだろうか。
「それで何の用なんだ?まさか無能者を鼓舞しにきたわけでもないだろう。」
「そのまさかだぜ。悪かったなあの譲ちゃんじゃなくて。」
「・・・別に。」
「しかし来てみりゃどうだ、戦う前の男がそんな顔でどうするよ?シーナも湿気た面してんなって言っているぞ。」
シーナは変わらず無表情のまま、当然声も出してはいない。
エルガレドが気配を断って部屋に入ったのもシーナの影から声を出したのもこれを言うためだったらしい。
「・・・っ。」
シーナはエルガレドのその発言で初めて表情を変え、エルガレドの足を踏みつける。
「あいてっ!」
普段は大人しく気品のある佇まいのシーナがそんなことをするとは思わずまた驚く。
シーナはそのまま部屋を出ていった。
「おー、いてて。あいつめ代わりにいってやっただけだってのに踏むことねぇよな。」
「・・・あんた本当に何しに来たんだ。」
「さっき言った通りだぜ。あの譲ちゃんの代わりさ。ここに来ようとしていたらしいが教国奴らに捕まっちまって身動きとれねぇようだったからな。」
「それで・・・勇者は?」
「ふっ・・・別にといった割には気にするんだな。」
「茶化すな。」
「はいはい、相変わらず堅っ苦しいいやつだ。あの譲ちゃんならもう修練場に着いてるぜ。教国の連中もお前さんの加護の有無には興味があるらしい。」
有無には・・・か。
「・・・今更だが、お前さん本当に戦えるのか?」
「本当に今更だな。この決闘を決めたのはあんただろ。」
「提案したのはあの譲ちゃんだ。」
「よく言うよ。逃げ道のない選択肢を押し付けて来たくせに。」
「悪いとは思ってるんだぜ?ただ、まあな・・・」
エルガレドは歯切れが悪そうに言葉を詰まらせる。
エルガレドはこう言いたいのかもしれない。
この決闘をうけても先がないということを。
相対するのはこの組合でも実力のあるメノスだ。
その横柄な態度もあって決闘を利用して無能者を見世物にしようという魂胆は見え透いている。
もし万が一勝つことがあってもメノスとの間に禍根が残るのは間違いない。
それだけならまだいい。
もっと厄介なのは教国の者たちだろう。
この決闘で勝てば無能者は勇者と旅に出ることになる。
それを教国のものたちは認めたくないことのなのだろう。
武力の乏しい教国が勇者うぃ一つの力だと捉えているのは今までのやり取りからも明らかだ。
勇者を教国だけで囲っていたいあいつらにとって不意に現れた守護者はよほど邪魔な存在だ。
考えたくはないが暗殺という手段に出てくる可能性は十分にある。
わざわざ今日決闘を観に来たのも守護者がどれほどのものか探るためなのかもしれない。
だとするとエルガレドが今ここに来たことも納得がいく。
今更無能者の意思を確認するのもこの忠告をするため。
勇者がここに来ようとしていたのは事実だろが鼓舞しに来たというのはただの口実だろう。
最初から逃げ道のなかった選択肢、最適解はメノスと戦いあっさりと負けてしまうこと。
戦闘不能になった人間に追い打ちをかけることはさすがのメノスでもしないだろう。
メノスにも組合の人間としての面子がある。
「まぁ、なんだ…結果はどうなるかはわかんねぇけどよ、後悔だけはしねぇようにな。」
励ましの言葉を残しエルガレドは部屋から出て行った。
「後悔…か。」
後悔しないようにするにはひどく難しく思えた。
この決闘を受けることにしたのは紛れもなく自分の意志だ。
たとえ勇者の説得があったからと言って、今この場所に居るのはその選択の結果だ。
微塵の後悔もないと言えば嘘になるが、それでも自分の運命は受け入れているつもりだ。
部屋の外で歓声が響く。
どうやら時間が来たらしい。
用意された木剣を手に修練上に向かう。
足取りは重く、進めている気がしない。
負けに行こうとしているのだ、それも仕方ないだろう。
できるだけ負傷せずに早めに負けたいものだ。
また笑われることも増えるのだろう。
慣れていることだし別に構わないか。
そういえば何者かと戦うのは久々だったな。
初めて依頼を受けた時は手ひどい怪我を負ったものだ。
その時だっただろうか。
俺が冒険者になるのを諦めたのは……。
扉に手をかけ不意に思う。
――――そういえば…勇者に信じていると言われたんだったな。
「あいつを裏切ることになるな。」
勝つと約束をしたわけでもないのに何を信じていると言ったのだろう。
考えても仕方のないことか。
扉を開き修練上の中に入る。
大勢の組合員に囲まれ歓声を受ける。
この時を今か今かと待ちわびた群衆、それを一番に待ち望んでいた男が無能者に相対した。
「よぉ、逃げなかったみてぇだな。褒めてやるよ、わざわざこんな大勢の前で醜態を晒そうなんてそうそうできたことじゃねぇよ。さすがは無能者様だ、俺たち人間様に笑われるのは慣れっこらしいな。」
木製の槍を肩にかけメノスは無能者に睨みを利かせる。
「メノス、決闘前に威嚇するのは構わんがそれだと負けた時に恥をかくのはお前だぞ。」
「はっ!組合長も面白いことを言ってくれるねぇ!俺がまさかこの無能者に負けるとでも?」
「加護の有無を見極める決闘。加護があればお前でももしや、があるかもしれんぞ?」
「へぇ、そいつは面白いじゃねぇか。あんまり抵抗されると加減を間違えてよぉ、その加護ごと無能者を潰しちまうかもしれねぇが……そん時はおとがめなしだよなぁ?」
エルガレドはため息をつき決闘の決まりを口にする。
「決闘の決着は俺の判断で行う!武器はそれぞれ持った木製のもののみ、今回は魔法の使用、回復手段もなしだ!降参の際は声に出し宣言するものとする。最後に相手を死に至らしめるようなことがないように。もし仮にどちらかが死んだときはもう片方にそれ相応の罰を与える。以上を理解したなら神に……いや、両人とも俺に誓え。」
「ああ?そこは神にだろ?……まぁいいか、組合長エルガレドに誓いますよぉ、っと。」
「組合長エルガレドに誓う。」
誓いは立てられ決闘の開始の合図が鳴った。