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(後編)

「寒いですね」

 高所だということと、強風の影響で函館山山頂にある展望台の屋上はこの時期にしてはかなり寒かった。朝夕は冷え込むのを予想していたのだけれど、その予想を上回る寒さだった。ここまでのものは必要ないだろうと思いつつ用意していた長袖のパーカーをまさか着る羽目になるとは。姫も薄手のカーディガンを羽織っているのだけれど…。

「何も見えないので、私、下に居ます」

 寒さに耐えかねた姫はそう言って展望台の中に戻って行った。

 夜景にはそれほど興味もなかったボクなのだけれど、せっかく来たのであればやっぱりきれいな夜景を見てみたい。同じように、こんなコンディションなのにもかかわらず、屋上展望台にはかなりの人が夜景を見るために集まってきている。しばらく待っていると次第に雲が晴れて来た。同時に街のあちこちで明かりが灯り始めた。一緒に登って来た他のみんなの姿は辺りには見当たらない。みんな中に入ってしまったのか…。確かに中からでもガラス越しの夜景は見ることができるのだけれど。ボクは一人外で夜景が見栄えるまで待つことにした。

「この辺でいいか」

 夜景と言えるだけの明かりが灯ったところで写真を数枚撮って中へ引き上げた。みんな揃ったところで下りのロープウェイに乗った。来るときに登って来た坂道も今度は下りになるのだけれど、帰りはバスで帰ることになった。

「俺、夜の街を見たいから、ここから歩いて行きたいんだけど」

 小松が言うと姫もそうしたいと言う。ボクも本当は姫と二人で夜の街を散歩したかった。一度ホテルに戻ったら誘ってみようと思っていた。そこに小松からナイスな申し出があった。姫と二人だけではなくて小松も一緒だけれど、ボクにとっては姫が一緒だということが嬉しかった。


 三人で赤レンガ倉庫を目指しながらライトアップされた教会やしゃれた建物を見ながら歩いた。まだそれほど遅い時間でもないのに人も車も居ない道の真ん中を歩いた。そんな街の雰囲気はとても心地いい。何よりも姫が一緒に居るということがボクにはとても心地いい。小松も一緒に居るのだけれど、特に邪魔にもならないし、邪魔だと思うこともなかった。逆に小松が居ることで、ボクは自然に姫と一緒に居ることが叶うのだから。

 そして、この夜の散歩では歩いてみたから発見出来たものもあった。姫が行きたいと言っていたガラス工房。それとはまた別の工房を見つけた。姫にとっては二日目の楽しみが一つ増えた。

 赤レンガ倉庫のそばまで来ると街並みが一変した。ライトアップされた倉庫街や店舗が増えた。

「ハセガワストアがある!」

「焼き鳥弁当!」

「まだやっているかしら?」

「行ってみよう」

 店はまだやっていた。歩いて小腹が減ったのでホテルに帰って焼き鳥弁当を食べようと注文票持ってレジへ向かう。

「大口の注文が入っていて40分くらいかかりますけど…」

 申し訳なさそうに店員が言う。

「40分は待てないね」

 焼き鳥弁当は諦めて倉庫街へ。一部の飲食店を除いて、どこももう閉まっているのだけれど、昼間では味わえない雰囲気を堪能することが出来た。


 十字街から市電で駅前に戻る。

「軽く一杯やって行きますか?」

「行きますか!」

 昼間はまだ営業していなかった駅前横町へ行ってみた。今度はほとんどの店がもう閉まっていた。

「では、コンビニで何か買って帰りましょう」

「私、カップヌードルが食べたいです」

「ボクはこれを。本当は塩ラーメンが食べたいんですけどそれは明日に取っておきます」

 そう言ってボクは日本そばを手に取った。

 ホテルに戻ると大浴場での女性入浴時間にまだ間に合いそうだった。

「私はお風呂に行きます」

「はい。ボクはシャワーで十分なのでこれを食べたらそのまま寝ます」

「はい。では、おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」


 二日目の朝。小松からのLINE。まだ5時33分。

『起きてます?』

 当然起きている。朝は朝市で海鮮丼を食べるために7時集合の予定になっている。その前に朝市を散歩しようという提案だった。

『いいですね』

 小松にはボクのやりたいことが判っているかのようなタイミングで連絡が来る。そして姫にも連絡する。

『起きてますか? これから小松君と朝市を散歩するけどどうですか?』

『一度部屋に戻れますか?』

『7時ロビー集合ですからそれまでには戻りますよ』

『では1階で集合ですね』


 二日目も相変わらず風が強かった。けれど、曇り空ながら薄日もさしている。

「おはようございます」

「おはようございます」

 三人は朝市の方へ歩き出した。途中で小松が提案した。

「摩周丸を見に行きませんか? まだ乗れませんから外から見るだけですけど」

「いいですよ。行きましょう」

「はい。行きましょう」


 青函連絡船として活躍した摩周丸。哀愁漂うその姿はそれなりに感動した。桟橋の先端からは入江の向こう側にまっすぐ伸びる八幡坂を見通すことが出来た。

「あれが八幡坂ですね」

「そうですね。あの坂の上からの景色は最高でしょうね」

「あとで行きます」

「はい。行きます」


 摩周丸を後にして朝市へ。その最初の店で店員に呼び止められた。神奈川から来たというその店員は外から来たからこそ判るという朝市の良し悪しを話してくれた。そして、どこの店でもやっていないという、いくらの試食までさせてくれた。

「美味しい!」

「うん! 旨い」

 姫も小松もここのいくらを買って帰ることに決めたようだ。けれど、初っ端からかなり長い時間足止めされた。集合時間も気になるところで、速足で朝市の様子を見て歩いた。その道すがら、みんなで朝食をとる、きくよ食堂の場所も確認した。


 ホテルに戻るとすぐに持ち出せるように準備しておいた荷物を担いでロビーへ降りた。ボクたち以外の三人は既にロビーに集まっていた。

「新聞、買ってあるよ」

「大丈夫。もう決まっているから」

 昨日の出発時間が早かったから買う時間がなかった馬券を小野がネットで買うと言うので便乗させてもらうことにして、小野に買い目を伝え、現金を渡した。ちょうど7時小松と姫も居りてきた。小野が清算しチェックアウト。いざ、朝市へ!


 目当ての、きくよ食堂。先ほど通った時にはまだ空いていたのに、たったこれだけの時間で既に空き待ちしている人が居る。けれど、ボクたちはさほど待たずに入ることが出来た。但し、三人ずつに分かれた。ボクたちはボクと姫と小松。

「ビール飲みますよね」

「もちろん」

 小松が最初に瓶ビールとグラスを三つ頼む。

「さて…」

 姫はお好みで四種類の具を選べる四種丼、小松は同じく三種の具材を選べる三種丼をそれぞれ違う具材で。ボクが頼むものは来る前から決めていた。三種丼と、別にもう一杯、うに山盛りのうに丼を頼んだ。朝から丼二杯。旨くて二杯をペロッと平らげた。姫が丼と別に頼んだめかぶ酢も絶品だった。

 先に食べ終えた小野たちが店を出て行った。こちらのテーブルを通り過ぎるときに小野がボクらの伝票もさらっていった。本来、この朝食の代金は食べるものによって差が出るから自腹で会計することになっていた。それを小野が払うと言ったのだ。

「えっ!」

 姫と小松は呆気に取られていたけれど、金の管理は小野がやっている。その小野が伝票を持って行ったということは十分に余裕があるということなのだ。


 朝食を終えると、各々自由行動。ボクと姫と小松は元町辺りで坂をめぐって赤レンガ倉庫へ。小野、古谷、久美は坂がきついので摩周丸から赤レンガ倉庫へと二手に分かれた。小松は歩いて行くと言うのでボクと姫は二人で市電に乗った。市電で末広町まで行き基坂を登る。元町公園そばの旧函館公会堂で別の観光グループのおじさんたちに写真を撮ってくれと頼まれた。姫が写真を撮ってあげた。

「お礼にお二人の写真も撮ってあげますよ」

「あ、私たちは大丈夫です」

 ボクは撮って欲しかったけれど、姫はそう答えた。あとになって撮ってもらえばよかったと姫も後悔してると打ち明けてくれた。断ったせいで私たちの関係を変に思われたのではないかと。

「きっと、仲のいい夫婦に見えたと思いますよ」

「見えたかなあ?」

「はい。他の何にも見えてはいないと思いますよ」

「それならよかった」

 それならよかったと言った姫の言葉が無性に嬉しかった。


 基坂を一旦下り、途中で見つけたガラス工房を覗いた。

「見て! ガラスのペンがあります。これ、使い心地がいいんですよね」

「買ってあげましょうか?」

「そんな! こんな高価なものはもらえません」

「朝飯代が浮いた分で買えますよ」

「あ! そうか! でも、大丈夫です」

 姫のこういう控えめなところもボクは好きだ。先日もお茶代をボクが支払ったら自分の分をそっと手渡してくれた。

 基坂から今度は八幡坂へ向かう。向かう途中で小松に似た格好の人を見かけた。

「そう言えば小松さんもこっちに来ているんですよね」

「はい。歩いて来ると言っていたので、そろそろこの辺りに居るのではないですか」

「ちょっと電話してみますね」

 姫が電話をかけると小松は八幡坂を登っているところだと言う。見上げると坂の上で手を振っている小松の姿があった。小松は坂を登るボクと姫を写真に収めていた。

 八幡坂で小松と合流し、姫と二人だけの束の間のデートは終わりとなった。けれど、少しの間だったけれど、知らない街を姫と二人で歩けたことはボクにとって宝物とも言える貴重な瞬間だった。姫もそう思ってくれていたらいいのだけれど。ふと、そんなことを思った。

 それから、大三坂、二十間坂を制覇して、昨夜の散策で見つけた別のガラス工房を訪ねた。工房に入ることは出来なかったけれど、外から少しだけ作業風景を見ることが出来た。夢中で見ている姫の子供のような表情をボクはいつまでも見ていたいと思う。小松はそんな姫に気を遣ったようだ。

「俺、先に赤レンガ倉庫に行ってます」

「あ! 私も行きます。もう、リトさんの展示が見られるはずですから」

 赤レンガ倉庫ではちょうど今、葉っぱ切り絵アーティストのリトさんの作品が展示されている。姫はここに来る前からそれを楽しみにしていた。三人で赤レンガ倉庫へ向かい、真っ先に展示が行われているBAY函館へ。場所は昨夜に確認済だ。


 作品を夢中で見ている姫がボクは好きだ。初めて二人で行った上野の美術館や江の島の水族館の時と同じように。そんな姫を見ているとボクはいつもドキドキする。そして、そんな姫をずっと間近に感じていたい。

「キラ星さんも自分の行きたいところに行ってくださいね」

「はい。そうします。では、また後で」

 ボクはここで姫と別れて単独行動をする。港を眺めながら駅前まで歩いて戻り、少し早めの昼食を取ることにした。朝に丼二杯食べたばかりだと言うのに、たくさん歩いたせいか腹も減って来ていた。函館と言えば海鮮丼の次に塩ラーメンだ。目当ての店へ行くと開店時間が遅れるとの張り紙が。まだ、1時間も先だ。元々ある程度並ぶのは覚悟していたのだけれど、1時間はきつい。仕方がないので別の店に行くことにした。そこで食べた塩ラーメンは普通に美味かった。けれど、味の云々より函館で食べた塩ラーメンだというところにボクは価値を見出したい。実際、函館塩ラーメンの店は東京にもあるのだから。


 函館駅前での集合時間は12時半。早めに着いたボクは駅の土産物売り場へ行ってみた。土産の品は既に買っているのでもう何かを買う予定はなかったのだけれど。

「キラ星さん」

 不意に声を掛けられた。その声が姫だということはすぐに判った。いくつかの土産品が入った買い物かごをぶら下げていた。

「職場の皆さんへのものですか?」

「はい」

 姫はまだまだ買い足すようだったので、ボクはコンコースのベンチでみんなが集まって来るのを待った。すぐに小松が戻って来た。土産物が入った大きな袋を抱えている。

「吉良さん、俺、あの店でいくら買って来たいんですけど、まだ間に合いますよね?」

「大丈夫でしょう。早く行って来な」

 それから別動隊の三人も戻って来た。小松もすぐに戻って来た。時間にはかなり余裕がある。そこで姫が駅の外へ。何かを思いついたのだろう。今なら一本早い電車に乗れるところなのだけれど。何しろ新函館北斗での乗り換え時間は10分しかないから。でもまあいい。姫がしたいこと、行きたいところ、それはみんな叶うといい。ボクはそう思った。そうこうしているうちに予定の電車への乗車案内のアナウンスが流れ始めた。姫がまだ戻っていない。駅の外に目をやる。すると、こちらに向かって走って来る姫の姿があった。

「急いで! もう行くよ」

 無事に全員揃って函館駅を出発。


 すぐに移動できるように全員1両目の電車に乗った。乗り換えへの準備は万端だ。ところが途中駅で停車した電車がなかなか発車しない。

『札幌発函館行の電車が遅れているため、その電車が通り過ぎるまでしばらく停車します』

「なんだって!」

 これで乗り換えの時間が削られる。

「これはマジでダッシュだな」

「そうですね」

 ボクはお気楽にしている久美と古谷に伝えた。半ば脅すように。

「乗り換え時間が少なくなるから着いたら走るよ。ボクは人のことなんか構っていられないから、乗り遅れたら自力で何とかしてね」

「えーっ!」

 驚いた顔をする久美。事の重大さに初めて気が付いたようだ。札幌発函館行の電車が5分後に通り過ぎた。乗り換え時間が5分減った。来るときに乗り換えでかかった時間は4分だった。だから、5分なら十分に間に合う時間ではあったのだけれど、久美には敢えて、釘を刺しておいた。

 乗り換えホームは幸いにも降りたホームのすぐ隣だった。無事に全員新幹線に乗車することが出来た。帰りはボクが後列の真ん中で窓側に久美、通路側に小野だった。姫と一緒には座れなかった。残念だけど仕方がない。そして、二日間の疲れのせいか乗車して間もなくみんな眠ってしまった。姫の可愛い寝顔が見られないのが残念だけれど、もう、何度も見ているから我慢しよう。


 東京の気温は夕方になっても30℃近い。昼の函館よりも8℃近く高い。しかも、じめじめしている。そんな東京、上野駅で新幹線を降りた。いつもなら、この上野で反省会を兼ねて一杯やるのだけれど、時間も時間なので今日はその場で解散することにした。



「いらっしゃいませ」

 いつものきれいで通った声と素敵な笑顔が迎えてくれた。

 函館から帰った二日後。ボクは姫が勤めている店に顔を出した。

「こんにちは」

 もう、いつもの日常だ。二日前の函館は既に過去の想い出になった。ボクはまだこの先もずっと姫のこの笑顔を見て過ごせることがとても嬉しい。





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