第89話「士龍」
翌朝、あれだけ飲んだ割には不思議とすっきり朝日と共に目覚めることができた俺は、木刀を持って庭先に出た。
精神を集中し、正眼に構えてからの素振りを100本。
足の踏み替え、前後左右への素振りを100本。
全日本制定居合、無外流の立ち技合わせて18本の型。
これらをできるだけ朝の日課としていた。
もっとも、つい最近まで怪我人だった俺はしばらくサボってしまっていたので、久しぶりだ。
30分ほどかけて身体が温まった後、居合道着に身を包み、昨日の大部屋で全ての技をゆっくりと確認する。
村長とは、朝食の後、シリュウ・ナカガワの屋敷へ案内してもらう約束を交わしていた。
シェリィも初めての酒が効いたのか、俺以外のパーティメンバーは全員まだ客間でぐっすり寝ていた。
もし、演武を要求された時に、下手な物を見せるわけにはいかない。
時間が経つに従って、胸の鼓動が速くなり、手にじっとりと汗をかいてきた。
全ての型の演武を終えた後、外の井戸で水浴びをして気を引き締めた。
正直クソ冷たかったが、それくらいが良い。
程よい緊張感を持って、無礼のないように。
「では、向かいましょう」
「よろしく、お願いします」
村長と俺は2人で村奥の小道を歩く。
いきなり大勢で押し掛けるのも騒がしいだろうということで、みんなにはちょっと待っててもらうことになった。
20分ほど歩いただろうか。
森を切り開いた平地に、純和風の大きな屋敷が見えた。
「おお……」
「ここが、シリュウ先生のお屋敷で御座います」
「なんていうか、和風ですね。驚きました」
「ワフウというのですよね。シリュウ先生のご希望に沿って私たち総出で建てた、自慢のお屋敷です」
門の引き戸を開けて庭へ入ると、砂利敷きの地面に飛び石のアプローチ。
横を見ると石灯篭があり、池には橋、そして錦鯉のような魚が優雅に泳いでいる。
こりゃ、どこぞの有名旅館か御大尽の家だ。ずいぶん気合入れて作ったんだなぁ。
玄関の引き戸の前で村長が「ごめんください」と呼びかけ、しばらく待つ。
すると、中から30代くらいの女性が「はあい」と顔を出す。
奥様にしては随分若いと思ったが、お手伝いの女中さんらしい。
「これは先生の身の回りのお世話をさせている私の娘、オーランです」
村長に紹介され、お互いに頭を下げる。
「先生は?」
「今日は体調がよろしいようで、縁側でお茶を飲んでますよ」
オーランさんの案内で、庭先の方へ回ってみる。
すると、縁側の座布団に胡坐で座り、庭先を優しい目で眺めている老人の姿が目に入った。
転生した人間の見た目というのは前世とはかかわりが無いのだろうと思っていたが、その老人の顔は、白黒写真でしか見たことのない中川士龍師範の姿にどことなく似ていた。
オーランさんが近付いて声をかけると、促されたシリュウはゆっくりこちらを見た。
優しい、穏やかな目だ。
「……私に若い客人とは、珍しいですね。どちらさまかな?」
直感が言っている。……本物だ。俺は姿勢を正さずにはいられなかった。
「本城護と申します。居合道五段、無外流切紙です。中川士龍先生にお会いするため、こちらまで伺いました」
俺の自己紹介を聞いて、シリュウ・ナカガワの目は驚きで見開かれた。
「ホンジョウ・マモル……?君は、日本人か?」
この一言で分かった。やはり、この人も、日本の記憶がある。
村長とオーランさんにはちょっと席を外してもらい、俺とシリュウ先生は縁側に並んで座った。
庭先を見ながら、これまでのことなど、まずは俺から話した。
21世紀の日本から来たこと。
全日本剣道連盟居合道部という団体で五段であること。
無外流を学んでいること。
異世界に飛ばされて、アルガスやバリオンからの話を頼りに、ここまで辿り着いたこと。
「アルガスさんか……懐かしいな。君は無外流ということだが、誰が師匠なのかな?」
シリュウ先生が問う。
「直接の先生は伊藤先生という方です。その師匠は、私は面識がありませんが、岡本師範ですね」
「ああ、岡本君か……懐かしい。伊藤君……確か、若手にそんな名前の子がいたかな。あまり顔は思い出せんが……では君は、私のひ孫弟子に当たるのかな」
「弟子の、弟子の、弟子ですね。ひ孫、で良いのでしょうか」
俺とシリュウ先生はお互いを見てフッと笑い合った。
「いや、長生きはするもんだな。こんな人生の黄昏にあって、思わぬ出会いがあるものだ」
シリュウ先生は薄青い空を見上げて、手元の茶をすすった。
「ゆっくりしていきなさい。私も、これまでのことなど、話そう」
「ありがとうございます……お会いできて、感無量です」
―――それから。
シリュウ先生はこれまでのこと、この世界での人生についてたくさん話してくれた。
シリュウ・ナカガワ、この世界では現在74歳。生まれは東の大陸。
この世界に平民の子として生まれ落ちた後、しばらくは普通の冒険者として過ごしていた。
あるとき、「世界樹」を訪れ、精霊の加護によって前世の記憶を得て、この名を名乗り始める。
その後、ナーグル国へ旅した際にドワーフのアルガスと出会い、その技術に惚れ込み日本刀の製作を依頼。
武器を長剣から刀に持ち替え、旅を続けた。
各地での放浪の旅を経て、旧帝国で「ヨシツネ・ミナモト」の存在を知り、その生い立ち等を調べるようになる。
古代文明に何かヒントがあるのではないかと思い、ダンノウラで峡谷の遺跡探検を繰り返した。
その過程で、奥地へ進むためのルート開拓と拠点の小屋造りに尽力する。
峡谷の小屋のあの看板は、メッセージというよりは遊び心だったらしい。
見たこともない文字の記号で、一緒に小屋を組んだ仲間からは好評だったそうだ。
そして後進のための道を示した後、引退。縁あってこの村に隠居した。
村人たちの願いによって無外流を教えつつ、趣味の陶芸などをしながらこの地で余生を過ごしている。
「結局、源義経のことは歴史書に書かれている以上のものは分からんかったがなぁ」
茶をすすりながら、シリュウ先生は遠くを眺めた。
「どれ、抹茶でも点ててやろう」
先生の案内で和室の一室に通された。
見事な御点前で俺の手元に椀が置かれる。
「……美味しいです」
ぐいっと飲み干したその茶碗を見ると、能筆で「萬法帰一」と書かれていた。
「この書は……」
「ああ、私が書いたんだよ。いいだろう。前世でもお気に入りだった碗をこっちでも作ったんだ」
「無外流内傳、萬法帰一刀……」
「本城さんは切紙と言ったかな?内傳は習いましたか?」
「いえ、まだ教わっていません」
「ならば、私が教えましょう」
思わぬ有難い言葉に声が上ずる。
「いいんですか!?それはとても光栄ですが……」
シリュウ先生は自分の淹れた茶をゆっくりと味わいながら、話した。
「ここのところ体調がすぐれなくてね……どこまで教えられるか分からんが、君と会えたのも巡り合わせだからね」
「どうか、よろしくお願い致します」
俺は両手を付き、深々と頭を下げた。
おまけ ~士龍先生との語らい~
「それ、いい刀だねえ。鍔が良いね」
「ですよね!自慢の拵えです」
「私がアルガスさんに打ってもらった刀も、ほら」
「うわあ……これは見事ですね。ところどころの杢目肌……かつての奥州“宝寿”みたいな荘厳さです」
「本城君、よく分かってるねえ。その刀は銘はあるのかい?」
「あ、無銘です。個人的には“でんでん丸”って名前をつけていますが」
「………ああ、いい肌目だねえ」
「……先生?」
「この鍔も良い」
「それさっきも聞きましたが。あの、でんでん丸……」
「いや、この縁金具も良いねえ!」
「先生………」
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