第202話「雷声」
繰り返されるリーリンの炎槍とフェネクスの鉤爪の応酬。
十数度目の槍がかわされた後、再び上空に飛び上がったフェネクス。
「……ヨルム!!」
足元の枝に隠れさせていた蛇状態のヨルムに、リーリンが声をかける。
「はいっス!ついに出番スか!?」
「巨大化の薬、使うの今よ!」
「……何分持つか、わかりやせんぜ」
「何秒でもいいから、アイツの動き止めて」
「……承知っス!!」
「鉤爪の攻撃を、アタシが避けるから、飛び上がるところを捕まえて!!」
「おいらが食ってやるっス!!」
ヨルムはその尾で持っていた巨大化の魔法玉を、口で咥えて割り砕いた。
『……ケケケェェッ!!……』
コンドルが地上の獲物を狙うように、フェネクスが太陽を背負い急降下してくる。
多少のフェイントを交ぜてやろうか、そろそろ本気で傷の一つも負わせてやろうか、などという余裕の笑みを含ませて。
事実、フェネクスは今度の攻撃に緩急をつけた。
降下スピードを完全に見極めて回避したはずのリーリンだったが、フェネクスは敵に気付かれない程度にわずかばかり羽を広げ、これまでよりも速度を落とした。
タイミングをずらされ、着地と同時に迫りくる爪撃。
身をよじってかわそうとしたものの、その鋭く大きい爪はリーリンの左肩に食い込み、飛び散る血と共にその肉をえぐっていった。
「あぐうぅぅっッ!!」
……一瞬の油断、いや、油断と言ってしまうのはあまりに酷だ。
そのくらい巧妙に、フェネクスの攻撃は偽装されたものだった。
致命傷ではないものの、大きなダメージ。
リーリンの目が痛みに霞む。
フェネクスは苦痛に歪む娘の顔を愉悦の目で眺めた後、大きく羽ばたいて上空へと舞い上がった。
それとほぼ同時に、リーリンの足元でヨルムが魔法玉の魔気を浴びていた。
カッ!!という閃光がヨルムを中心に周囲を包んだかと思うと、巨大化した蛇の身体は縦にまっすぐ伸びた。
まるで大樹の先端がさらに数百メートル急成長したかのように。
ヨルムンガンドはそのまま羽ばたいているフェネクスへ大口を開けたかと思うと、閃光にたじろぐ怪鳥をひと飲みに飲み込んだ。
ズズズズズ……と大樹の幹がきしむ。
下方では、まるで大地震のような揺れに見舞われていた。
無理もない、かつての世界蛇ヨルムンガンドの大きさに戻った大蛇が、大樹の先端に巻き付いたのだから。
メキメキと音を立てて先端から次々と枝葉が折れ、幹にまきつくヨルムの胴はずんずん沈んでいった。
その緩やかな下降は、ボリーのとっておきの書庫を破壊し、古代の本を空へばら撒いた後に止まった。
一方、その口中では。
フェネクスはかつての同輩の気配を思い出し、自身に何が起こったのかを考えていた。
彼はすでに大蛇の喉元を通り過ぎ、強力な酸によって体中が熱く溶かされていく。
暗闇に包まれる前の一瞬で見たのは、魔王様の僕、海の守護者“ヨルムンガンド”の姿。
しかし、ついさっきまでそんな気配は無かったはず。
……いや、そんなことは、今は重要ではない。
ここが世界蛇の胃の中なのは間違いないようなのだ。
一刻も早く脱出しなければ、胃酸によってものの数分で溶けてしまう。
フェネクスはむせかえるような湯気の立ち込める暗闇の中、胃液の海から嘴を突き出し、大きく息を吸った。
『……我は世界蛇、ヨルムンガンド……』
「……やったの?……」
巨大化したその顔をリーリンに向けるヨルムと、その胴に飛び移り、左肩を押さえながらそれを見上げるリーリン。
『フェネクスは……我の胃の中……すぐに溶けてしまうだろう……』
「……アンタ、でっかくなるとその喋り方しなきゃ気が済まないの……?」
「いや、ついノリで……大丈夫っスか?リンさん」
「大丈夫じゃ、ないわよ……かなり、やられたわ……腕上がんない」
そう言ってリーリンは器用に腰布を破り、左肩に巻いて止血した。
「……焼き鳥にできなかったのは残念だけど、ヨルムありがと。正直助かったわ」
「いえいえ……お役に立てて光栄っス……」
1人と1匹が向かい合って笑ったその時だった。
『ギエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッッ!!!!!!!』
この世の終わりのような、雷鳴のような声がヨルムの腹から響き渡る。
その声は電撃のようにヨルムを一瞬で硬直させ、その全身を麻痺させた。
白目を剝いて上を向き、口を開けた状態で意識を失ったヨルムの喉元から、オレンジ色の塊が飛び出した。
これこそがフェネクスの真髄、魅了する美声と真逆の、雷声。
リーリンもまた、その雷声を受けて両の鼓膜を一瞬にして破裂させていた。
耳から血が噴き出し、充血した目からも血が滴り落ちた。
『……やってクレタなぁぁぁ!!!小娘ェェッ!!……』
フェネクスもまた、死の淵を味わった。
数千年に渡る生の中、おそらく一番の死の恐怖。
その羽は身体を浮かせることで精一杯なくらいボロボロに傷つき、剥がれ、ところどころ黒く焦げ付いていた。
自慢の鉤爪の足も爪先が丸く溶かされ、尾羽に至っては優雅なその姿を二度と見せられないくらいに失われていた。
硬直するヨルムンガンドを振り返り、憎悪と殺意の視線を向ける。
『……ギイアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』
トドメと言わんばかりに、フェネクスは世界蛇に向かって再び吠えた。
ヨルムンガンドは再びビクビクと痙攣したかと思うと、ゆっくりと大樹から剥がれ、エルフの森の北側、中央山脈の方角へ倒れていった。
リーリンもまた、ヨルムとともに大樹の上空から投げ出され、落下していく。
彼女は2度の雷声を受けても辛うじて意識をつないでいたが、身体が動かない。
数百メートルという高さから落下しているというのに、全身が麻痺して身動き一つ取れなかった。
その右手は剣を握りしめたまま硬直している。
……マモ……ごめん………。
リーリンの頭に浮かんだ言葉は、声にならずに空へと向けられた。
灼熱の戦いが続いておりますが、世間は冷たい雨雪が止みませんね。
ご自愛くださいませ。
今週から本格的に仕事が忙しくなりましてストックが死にそうです……。




