第2話「草原」
瞳の中に映るのは、地平線まで続く草原。
足元を見れば膝下くらいまで伸びた青々とした野草と白や黄色の花。
青い空、白い雲。燦燦と照らす太陽。
はるか遠くには小高い丘。
まるでwind〇wsの昔のスクリーンのような風景だ。
「なんだ……こりゃ。どうなってんだ?」
落ち着け俺。
こういうときは冷静さが大切だ。
まず、整理しよう。
さっきまで、俺は、アーケードの、商店街の、居合道具屋にいた。
店のドアを開けて、通りに出たはずだ。
そうしたら、目の前が光って、ここにいる。
つまりこれは、神隠し。
そう、神隠し的なやつだ。
だって現実だ、これ。
さっきから自分の頬をつねっているがきっちり痛いし。
とりあえず今やれることは……状況を確認することだ。
落ち着け俺。
―――数分後。
俺は瞑想にもってこいな大きさの岩を見つけ、その上にどっかりとあぐらをかいていた。
荷物を足元に置き、腕を組んで思案に暮れる。
ここは、どこかの草原だ。人の気配は全くない。
人工物も見当たらない。
日本ではないのかもしれない。
地球ですらなかったらどうしよう。
とにかく、ここにいても、助けは来ないと思う。
安全な場所まで移動しなければいけない。
持ち物は、小さなリュックに、飲みかけの麦茶、居合道着、財布とスマホ、煙草とライター。
あと、居合刀ケースの中に、愛刀でんでん丸。
どう考えてもこの状況の原因はこの愛刀様にある気がするが、今、それはスルーしておく。
スマホはもちろん圏外。
とりあえず残り5本しか残っていなかったセブンスターに火をつけ、考えを練る。
「さて、どうしようか……」
上を向いて空に向かって白煙を吐き出す。
道があれば。どこかの街につながっているはずだ。
何しろ手持ちの食料は全く無いし、飲み物は500mlペットボトルの麦茶だけだ。
一刻も早く助けを求めなければ飢え死にだ。
「丘に登って周りを見てみるかな……」
吸い殻をポケット灰皿に入れ、荷物を担いで歩き出す。
遥か遠くに見えたような気がした丘は、目指してみると案外近く、30分程で麓まで到着した。
「うーん、けっこう高いな……」
見上げると、標高100mくらいだろうか。
少なくとも近所にあった公園の前方後円墳よりははるかに大きい丘だ。
さらに30分ほどかけて、なんとか登頂した。
「風、気持ちいいなー」
吹き抜ける風が汗ばむ身体を適度に冷やしてくれる。
身体的にはかなりしんどかったが、精神的にはわりと充実していた。
こんな爽やかな気分になったのはいつ以来だろう。
純粋にプチ登山を楽しめたような気分だった。
仕事は忙しいし、家と会社の往復の日々で、休日も道場以外にはろくに出かけたりもしなかった。
荒んでいた心が少し洗われた気がした。
「遭難してるってのに、なんか楽しいな……」
このまま、戻れなくてもいいかもしれない―――
なんてのんきに背伸びをした俺の眼に、ヤバい光景が映る。
丘の下。
獣だ。
こっちへ猛然と登ってくる。
大きいトラのような体躯の獣が、立派な牙をむき出しにして、目を血走らせて登ってくる。
どう見ても、俺を狙っている。
今日のランチに違いない。
「やばいやばいやばいやばいやばい!!」
まず落ち着け俺!あとものの十数秒であの獣はここまで………
あ、十秒もかかんねえな。
すごーい。
はやーい。
死ぬ。
絶対死ぬこれ。
せめてもの抵抗をしよう。
幸い、ぴかぴかの日本刀がここにある。
俺、型ばっかりで何も斬ったことないけど。
俺は獣から目を離さず、手探りで居合刀ケースに手を突っ込んだ。
ケースの中で刀の柄を掴み、そのまま抜く。
鞘はケースの中に置き去りだ。
震える手で正眼の構えを取り、迫りくる獣を精一杯睨む。
獣はおかまいなしに真正面へ駆け上ってくる。
「あっ」
あっという間っていうのは、本当にあっという間なんだなと分かった。
獣がいよいよ大きくなったかと思った次の瞬間には、すでに両前足の鋭い爪が俺の眼前にあった。
無理無理。
人間じゃ勝てない。
刀振り上げる暇も無かったよ。
おとなしく大自然の肥やしになりましょう……
短い人生でした。さようなら皆さん。
走馬灯見れないなー。
こんなことを考える時間があるってことは、これが走馬灯がわりなんだな。
俺はそっと目を閉じた。
「……あれ?」
衝撃が来ない。
痛みも来ない。
一体どうなってんだ?
焦らしプレイかこれ?
恐る恐る目を開けると、獣はさっきの襲いかかるポーズのまま固まっている。
いや、固まっているわけではなく、よく見るとわずかに動いているようだ。
ハイスピードカメラのスロー映像みたいな遅さで、ゆっくりゆっくり俺に爪が迫ってくる。
どういうことだ……?
などと考えている場合ではない。
殺らなければ、殺られる。
意を決して、刀を受け流しに振りかぶりつつ、獣の横に身体を躱し、
無防備な横首めがけて袈裟に刀を振り抜いた。
染み付いた型『無外流 野送り』である。
肉を切る感触、骨を断つ感触、リアルな感触。
初めての経験。
ゆっくりと獣の首が胴から離れていく……
グシャァァッ!!
首が落ちると同時に獣のスローが解け、胴体が血を吹き出しながら突進の勢いのままはるか彼方へ吹っ飛んでいった。
業について
居合道は「全日本剣道連盟居合道部」が最も規模が大きい団体です。
部活でもおなじみの「剣道」と同じ連盟で、同列の権威があります。
居合道の業には、「全日本剣道連盟制定居合」という連盟で決められた型が12本あります。
それ以外に、各道場では「古流」と呼ばれるその道場に伝わる流派があります。
一番多いのは「夢想神伝流」ですが、私は「無外流」の道場に所属していました(今は引っ越したので夢想神伝流の道場ですが)。
その経緯があり、主人公は「無外流」をメインで使用します。
今回の無外流立ち業 五応の四「野送り」は、敵の刃を紙一重でかわし、間を空けず袈裟切りする業です。