清水の舞台④
嘘だろ。俺に許嫁がいたなんて聞いてないぞ。って言うかまずこの時代に許嫁とかあり得ないだろ。それこそどっかのアニメでもあるまいし。そうだこれはきっと冗談だ。多分昔からこういう性格だったのだろう。
「先輩! どうしましたか!」
俺を呼ぶ声が聞こえてきた。しかも足音が俺の方に近づいている。それもこのタイミングで一番来て欲しくないやつの。これって絶対面倒なことになるよな。俺のせい? 俺のせいか?
「先輩、この人誰ですか?」
妃菜が俺の横に来て(正確に言うと俺の右腕にしがみついて)美紅のことを指さしながら聞いてきた。その姿はさながら変な人に会った子供のようだが、実際は餌を独り占めしたい猛獣だ。
指さされた当人はあからさまに不機嫌な顔をして扇子をたたんだ。そうなるよな。多分これから「ビッチ」とか「阿婆擦れ」とか言われると思うんですけど、何とか堪えてください・・・・・・
「なんやこの泥棒猫は? あんたみたいな小娘がうちの亮君に近寄らんといてくれはる?」
「先輩、どういうことですか! この売女が先輩のことを『うちの』って言いましたよ! 私の先輩のことを『うちの』って!」
「小娘、人のことを売女呼ばわりはどうかと思うけど、それより亮君、その小娘のってどういうこと?」
「馴れ馴れしく亮祐先輩のことを『亮君』なんて呼ばないでもらえますか!」
「あんたこそ! うちの亮君から離れんか!」
二人から「ぐぬぬぬぬ」という声が聞こえてきそうだ。ちなみに俺はこうなった妃菜は俺から離れないということを知っているので無駄な努力はしないようにしている。
「先輩、説明していただけますか?」
「亮君、うちにも」
二人の顔が急に俺の方を向く。こうやって二人に見つめられると照れる、なんてかわいいことはまったくなく、俺はただただ面倒だなと思っている。あと、妃菜はまだ俺の右腕をつかんだままだ。
さてどうするか。素直に妃菜には「この人は俺の許嫁の赤羽美紅」と言い、美紅には「この人は俺と同居している小豆沢妃菜」って言うか。それが簡潔だよな。
って言えるか! そんなことを言ったら絶対に面倒なことになる。それに俺だってこの状況を知りたい。美紅が俺とどういう関係なのか俺だって知りたい。
二人の目が痛い。「早く説明してください」「早ー説明し」と言わんばかりの目をしている。
だが本当に説明できないんだ。そもそも俺と妃菜の関係も未だにどう説明すればいいのかわからない。妃菜は「先輩の妻兼永遠の恋人」というわけのわからない肩書きを作っているし、居候と言うのもどこかかわいそうな気がする。
でも、まぁ、ここにエミリーたちがいなくてよかった。そうじゃないとイジられるかもっと面倒なことになってたからな・・・・・・って、もしかしてフラグ立てたか?
「亮ちゃん、どういう状況?」
「お兄ちゃん! いい加減、そういう風にベタベタするのやめて!」
「あれ~、アユミン焼きもち焼いてる?」
「ち、違います! その、えっと、ほら、見ていて恥ずかしいと言うか」
「もー、照れちゃって」
「エミリーさん!」
「亮祐君、その人誰?」
東明高速道路の蝦名みたいに言葉が渋滞している。ちなみに最後の台詞だけ鈴花のものだ。さすがは鈴花と言うべきなのか、この状況で妃菜ではなく美紅の方に注目している。慣れただけかもしれないが。
俺の後ろからエミリー、アユ、鈴花の声がした。これで全員集合だ。つまり面倒くささが何十倍にも跳ね上がったということ。どうしたらいいんだ? とりあえず何から処理するか・・・・・・
「って、いい加減離れろ」
「嫌です! この売女が先輩をとろうとしているので私は断固離れません!」
いや離れてくれ。この状況に気まずさはあるが、一番はこの態勢だと振り返ったり、話したりするのに色々と面倒くさい。これから色んな説明をしないといけないこの状況で何かと不便が生じるのは避けたい。
だが、俺が説明を始めようとする前に美紅が口を開いた。
「何かわかりませんけど、うちの亮君から離れてもらえます?」
「ふん。亮祐先輩は私の夫なので何をしてもいいと思いますけど!」
「え・・・・・・」
美紅が驚きのあまり扇子を落とした。それが清水寺の床に当たって乾いた音を出す。
「・・・・・・それほんまなん、亮君?」
「まったくの嘘だ」
「せやんな。優しい亮君がはそないなこと、せぇへんよね」
「先輩! 本当じゃないですか! この前婚姻届も持って行きましたよね!」
「あれは捨てた」
「えー! どうしてですか!」
どうしてってそりゃそうなるだろ。しかもこんなところで誰にも言ってない爆弾発言をするな。(もちろんアユは知っている。しかも俺が捨てたんじゃなくて、アユがビリビリに破いて捨てた)
色々なところから視線を感じる。後ろからの視線も怖いので振り向きたくはないが、それ以上に前からの視線が怖い。ちなみにさっきちらっと確認したが、横にいる辰弥は興味深げな顔をしていた。
「亮君。後でゆっくり話聞かせてもらいましょうか?」
ゆっくりした口調で言ってくるので余計に威圧感がある。この話をこのまま続けるのは得策ではないだろう。
「そ、そんなことはどうでもいいが」
頼む、ここはどうでもいいことにしてくれ。
俺は後ろを振り返る。
「その子は赤羽美紅。俺が昔京都で会ったことのある女の子だ」
「「「へぇ」」」
全員(辰弥以外)から声が漏れ出る。だが、俺のこの説明ではどうやら物足りない人物が一人いるらしい。
「初めまして、赤羽美紅と言います。そこにおる嘉神亮祐君の許嫁、と言うても本人の口約束があるさかい、婚約者言う方が正しい気もしますが」
「「「「えっ!!!!」」」」
今度はこの場にいる全員(俺と辰弥を含めて)が驚きの声を上げ、全員が俺の方に注目する。
口約束? 本人の? 許嫁ってだけでも驚きなのに婚約者って・・・・・・
あれ、そう言えば俺、昔・・・・・・
「美紅のこと好きだったんだ・・・・・・」
初恋と言ってもいいのかどうかわからない恋をしていたことを思い出してしまった。




