79.ゲームと現実の違い
モレーナの出産から2ヶ月がたとうとしている。
なのに、今私が見ている目の前の彼女は未だに寝たきりだった。オリバーにいつでも来ていいと言われたので、誕生日会の数日後、本当にレイヨン公爵家に来た。そしてモレーナの姿に愕然とする。つわりの頃、何も口に入れなかったあの姿より酷い状況だ。悪く言えば、これでよく今まで生きていたなと感心するほどに。
「ジュベルラート公爵令嬢様、申し訳ありません。奥様はさきほどお休みになられまして……」
お付きのメイドにそう謝られ、こちらも急に来て悪かったと謝罪する。このメイドも相当参っているのか、顔全体に疲れが見えた。
私はモレーナの手を握る。
「モレーナ様、私、新しい甘い食べ物を開発しましたよ。今度料理店で発売しますから、一緒に行きましょうね」
少しだけ感じるその温もりに幾分かホッとする。
……。
【治癒の力】、使おうかな……。
いや駄目よ。それじゃゲームのストーリーが大幅にズレちゃうわ。私がこんなところで力を使ってはいけない……。メイドだっているし。ここに来る前も、力を使おうかとふと思ったけど、それはさすがにだめだと頭から消し去った。
だけど、モレーナのあまりの姿に心が痛む。現時点で、なぜモレーナがこのような状態なのかがわかっていない。だから医者も出来ることは全てやった。あとは彼女本人の回復力だけである。
ゲームでは生きている。
でもこの状況で3年後に「絶対生きてる」って言える?こんなにやつれているのに?レイヨン公爵に言う勇気ある??
というかゲームのモレーナって、まさか寝たきりで家族問題を解決したわけでは……ないわよね?そんなことないよね?回復はしたけどずっと寝たきりだったとか、そんな描写はなかったし……。考え過ぎかな?
「ジュベルラート公爵令嬢様、旦那様が帰宅されました」
「あ、今行きますね」
レイヨン公爵は、モレーナが寝たきりになってからほぼ毎日勤務を早く切り上げて帰ってきている。休みも多く取り、生まれてきた子供の部屋とモレーナの部屋をずっと行き来しているそうだ。
「お久しぶりです。レイヨン公爵様」
「おおドロレス嬢か、よく来てくれたな。モレーナは寝ていたか?」
応接室に入るとレイヨン公爵が迎えてくれた。いつもの近衛騎士団長の威厳も威圧も全くなく、大きな体が私よりも小さく見えた気がした。相当疲れ果てているのがひと目でわかる。
「たまに起きるんだが、自分のことより子供のことを気にかけてばっかりでな……。子供を連れて行くと喜ぶんだよ」
彼は疲れ切った顔でハハッと笑う。
「モレーナ様は絶対に産みたいとおっしゃってましたからね。それに、二人とも無事に生きているではありませんか。『出産で死ぬかも』と言われても生きていた。ならばもう大きな壁は越えたんですよ。あとは回復を待ちましょう……」
かける言葉がなかなか見つからない。「絶対に大丈夫」など、12歳の子供に軽々しく言われたくもないだろう。レイヨン公爵自身が1番苦しい思いをしているのだから。
「ドロレス嬢。以前言っていたことだが、私が『子供をいらない』と言っているのをオリバーが聞いたんだろ?それっていつのことがわかるか?」
私がずっと疑問に思っていたことを、レイヨン公爵が話題に出してきた。
「え、ええ。確か5歳の誕生日にレイヨン公爵様の部屋から聞いたと」
「5歳の誕生日……」
しばらく悩んだあと、目を大きく開いて「あれか!!」と大声で叫ぶレイヨン公爵。なんだ?なにか思い出した?
「ちょっと待っててくれ!きっとアレのことだ!!」
そう叫びながらレイヨン公爵はドタドタと走りながら部屋を出ていき、しばらくしてから数枚の紙を持ってきた。
「レイヨン公爵様、それは?」
「これはだな、……かなり恥ずかしいものなので正直誰にも見せたくはなかったのだが……。オリバーが言っていたのはおそらくこれだと……私が口に出して読んでいたのでな」
そう言ってその紙を私に差し出す。差し出したものの、私が取ろうと思ってもなかなか手を離してくれない。やっと手を離したレイヨン公爵は落ち着かない様子だ。
私はその紙に書かれたものを読む。長い長い文章をじっくりと読んだ。
「これだ……」
確実にこれだ!オリバーの歪んだ考えの原因!!こんな……こんな勘違いでここまでこの家族はすれ違っていたのか。原因がはっきりとわかった。あとはもうレイヨン公爵とオリバーがちゃんと話せばすれ違いを解消できる。そしてモレーナとも話し合ってほしい。きっと大丈夫だ。
こうなってしまうと、モレーナとオリバーの間を繋ぐためには、オリバーとレイヨン公爵の関係修復を先に終わらせないといけない。そしてモレーナを……助ける。それしかない。
本当は駄目なのをわかっている。私がこんなにもこの世界をごちゃごちゃにしてしまっているのに、さらに【治癒の力】を使おうとしているのだから。
でも大切な友人を助けたい。大切な友人の大切な家族を守りたい。
……そもそも私、神様のミスで勝手に転生させられて勝手に【治癒の力】つけられてさ。
なら、1回くらい大きな出来事に力を使っても神様は文句言えないわよね?いいえ、言わせないわ!
なぜこうなったかの経緯と内容を伝えると、レイヨン公爵はなるほどと納得している。
「レイヨン公爵様。モレーナ様が回復し始めて、大丈夫そうになったら、オリバー様と二人で会う時間を必ず作ってください。これをきっと彼は勘違いしてますので、落ち着いて話してあげてください。二人とも感情が高ぶると勢いで話してしまうタイプなので、絶対に!落ち着いて!話してくださいね?」
「あぁ。……君はジェシカみたいだな。よく『感情を抑えて話せ、うるさい』と言われていたよ……」
苦笑いをするレイヨン公爵。ああ、ここも尻に敷かれるタイプの夫婦か。そうはいいつつも、とても仲が良かったんだわ。素敵な夫婦だったのね。
「あとこれなんですけど、モレーナ様から『万が一の時のために』と公爵様とオリバー様あての手紙が入っています」
私は以前、陣痛中のモレーナに渡された封筒を渡した。
「なっ……!なんでこんなものを!モレーナ!死なせないと言ったのにこんなものまで……」
きっとモレーナは、レイヨン公爵に預けようとしても今みたいに「お前は死なない」とかポジティブ発言して受け取らないと思っていたのだろう。だから私にお願いしてきたのだ。
「その手紙は破棄してください。モレーナ様は無事でしたから」
「あぁ、わかった……。すまないが、そろそろ家での仕事もやらねばいけないのでここで失礼するよ」
手紙を握りしめながらレイヨン公爵は立ち上がり部屋を出ていった。
私はもう一度、モレーナの部屋へ行った。まだ彼女は寝ている。メイドもいるが一人だけだ。なんとか一瞬だけでも外に出てほしい。
「あの、すみません。お茶を頂いてもいいですか?」
「かしこまりました」
この部屋にお湯を沸かす場所などない。メイドが外へ出た瞬間、私はモレーナの手を強く握る。
ーーーー体の負担を最大限に減らしながら徐々に回復して、1ヶ月後には元気になってーーーー
今まで見た中で一番明るい水色の光が私とモレーナの手から滲み出る。これは具合を示しているのか?それならば、結構重かったということ?
数秒後、ふと光が消えた。
これで私の役割は終わり。あとはモレーナ、あなた自身の気持ちよ。
子供を育てたいのよね?レイヨン公爵を愛してるでしょ?オリバーとも本当の家族になりたいって言ってたじゃない?あなたがそれを望むなら、頑張って回復して。そしてまた私と一緒に楽しい話をしましょう。甘いもの、たくさん食べに行きましょう。あなたの友人の私が待っているんだから、諦めちゃダメよ。
絶対に、元気になって。
「モレーナ様。早く甘いものを食べに行きましょう。もちろんモレーナ様の奢りですからね」
そっと手を離し、起きないようにゆっくりと横に下ろす。ちょうどお茶が運ばれてきたので、なんとか飲み干し、部屋を出た。
家に着くと、お兄様の部屋に向かう。お兄様は学園に通っていて、最初は寮に住んでいたけどここ最近は自宅から通うことにしていた。そんなに遠くないからね。どうやら寮通いの貴族令嬢たちが寮の前で待ち伏せしていることが多く、それをかわすのが面倒らしい。ゲームの中とはいえ、結構ゆるゆるな学園なのよね。どっちでもいいしあとから変更もできる。それくらい寮にも余裕があるのだろう。私もどうしようか未だに悩んでいる。
「お兄様、私、レイヨン公爵夫人に【治癒の力】を使いましたわ。本人は寝ていたので気づかなかったと思いますけど」
人払いをしたお兄様の部屋でそう話す。
「ま、大々的に使ってないなら大丈夫だろ。それより生まれた子供が男の子だったんだって?ドロレスの言うとおりになったな」
「ええそうですわね。母子ともに生きていてくれて本当によかったです」
私が【治癒の力】を持っていることを知っているのはお兄様だけ。だから誰よりも気軽に話せる。
「これからまだ大きな危ない出来事とかはないよね?」
「んー、そうですね」
私がほぼほぼイベントを潰しかけてしまっているので、目立つようなことはないはず。
「もうない……!あっ!」
「どうした」
あった。1番の危機が。
「アレクサンダー殿下に命の危機が……」
「なんだと?」
そうだ、それがきっかけでヒロインの【治癒の力】が初めて発動するんだ!いつだっけ?毒を盛られたはず……。もう4年も前で、いつ倒れたのか覚えてない!もう!思い出して!
「毒を盛られて……ごめんなさい、いつだかハッキリ思い出せないのです……でも【召喚の儀】以降で、学園を卒業するまでなのは確実です。そこで【治癒の力を持つ女神】が治してくれるのですが、果たして【治癒の力】が発動するかはなんとも……私がその力を持ってしまったので」
「そうか……ただ大まかな時期でもわかっただけ助かる。その時期は僕も学園を卒業してしまうけど王宮で働いているだろうから充分に気をつけるよ」
「お願いします……。もし、万が一のことがあればさりげなく私を呼んでくださいね」
「もちろんだ。最大限に力を貸す」
自分が婚約者から逃れるために必死で、アレクサンダーの命の危機があるのをすっかり忘れていた。いや、忘れてはいなかったけどそれは今までゲームの話だったから、そんなには気にしていなかった。
だけど今は違う。ここは私の今の現実なのだ。ゲームのキャラクターではなく、一人の人間の命の危機。しかも次期国王。他の誰よりも危ない状態だ。
「自分のことばっかり考えてた……」
国王になるためにあんなにも努力をして、最近はジェイコブたちと軽口を言い合うほどまでに明るくなったアレクサンダー。ゲームでもそこまで明るくはなかった。ずっと真面目に国王として真摯に生きてきた彼だ。万が一のことがあれば私だって助けたい。それは婚約者になってしまったとしても、ならなかったとしても彼自身のことをとても尊敬しているからだ。
また私がストーリーを崩してしまうかもしれない。
だけど……。
私は、他の人が出来ないことを出来るのだ。
これも運命。
みんなのことが大切だ。
私は私の願うことを行動に移していくだけ。




