75.すれ違う親子
「久しぶりね、ドロレス」
「すみません、陣痛が来ているとは知らずに」
「いいの。敢えてギリギリに呼んだのよ。……っ、痛い……けど大丈夫……」
この国、夏はとてつもなく暑く、冬はとてつもなく寒い。一気に夏の暑さがやってきた7月末。出産間近なので万が一の時のために会いたいとモレーナからの手紙をもらっていた私は今日、レイヨン公爵邸に来ていた。だけどまさか本当に出産超ギリギリになっているとは知らず、私が来たときにはメイドや助産師がバタバタと慌ただしく動き回っている。
そんな中で私のような部外者がいたとなれば普通大迷惑になるんだけど、レイヨン公爵夫婦の仲を繋いだという大きな功績があるため、むしろ「旦那様がまだ帰宅されていないので、ギリギリまでモレーナ様についていてください!どうかお願いします!」と懇願されるくらいだ。いやその前に公爵はどこいった?
「予定より早く出産するかもって昨日医者に言われたわ……だからあなたが謝る必要はないの。夫は今王宮にいるから、使いを出したのでそろそろ戻ってくるとは思うんだけど……」
もともと体の細いモレーナが苦しそうにしている。陣痛の感覚が5分おき。かなりギリギリでしょ!出産したことない私ですら理解できるほどだ。貴族は家に助産師などを呼んで出産するため、彼女はここから病院などに動く必要はないけど、私ここにいていいの?だめじゃない?11歳の子供がいるのおかしくない?彼女の背中や腰をさすりながらふとそんなことを考える。
ドンドンドン!ガチャ!バタン!
「モレーナ!!!」
いきなり大きな音がしたと思ったら、息を切らしたレイヨン公爵がこちらへと駆け寄ってきた。
「おい!!大丈夫か!!がんばれよ!!無事に生きて戻れよ!!おまえも!子供も!一緒に!生きるんだぞ!!」
「あなた、……うるさいから黙ってて……頭に響く」
「あっ!!……はい」
結構な声量でモレーナに声をかけるレイヨン公爵。私と同じことを思っていた彼女は、痛みに耐えながらもレイヨン公爵に注意する。そしてシュンとするレイヨン公爵。
「旦那様、ドロレス様。そろそろ私達も準備をいたしますので、退室をお願いいたします」
助産師に促され、私とレイヨン公爵は立ち上がる。
「はい。モレーナ様、ロールケーキ食べに行きますからね?」
「ええ。当たり前じゃない。そのときは私がおごるから」
「無理はするなよ……俺はお前が大事だからな!!」
「私は絶対にこの子を抱きしめるわ……っ……またあとで会いましょう」
痛むお腹を抱え、モレーナは笑顔で私達を見送った。
部屋から出た私は応接室へと案内された。レイヨン公爵にモレーナとのことを感謝されつつも、彼は気が気でない。前妻も出産時に亡くなっているので、本当はいてもたってもいられないはずだ。私の話し相手なんかしなくていいのに。
「ここからは家族のことになりますので、私は失礼させていたーー」
「待て!待ってくれ!誰かと話してないと落ち着かないんだ!話してても落ち着かないけど、一人でいるよりマシだから!頼むから!オリバーも呼んでくるから!!」
必死でレイヨン公爵にお願いされ、断るに断れなくなって私はその場に留まることになった。
なぜ……、私は人の出産現場にいるのだろうか???疑問すぎてレイヨン公爵の話の内容など入ってこない。確かに彼女とは仲良くさせてもらっているけど、だからと言っていくらなんでも友達の出産現場に行く人ってなかなかいないよね???私帰ったほうがいいと思うんだけど。
「失礼します」
ドアのノックの音がした方を振り向けば、そこにはオリバーがいた。
「おお!オリバー!すまないが話し相手になってくれ!落ち着いて座っていられないんだよ!」
立ち上がったり座ったり、忙しないレイヨン公爵はオリバーを歓迎する。だけど彼は無言だ。
「モレーナが、無事に出産できたら一緒に食事に行きたいと言ってたぞ!お前と三人でまだ行ったことないだろ?今度こそは何が何でも行くからな」
「……」
「あと、家族四人で一緒に肖像画を描いてほしいと言ってたから、一流の画家を呼ぶぞ!」
「……」
レイヨン公爵が一方的に話してるだけだ。オリバーは何の反応もしない。……ってゆーかこれ家族内の会話ですよね?私退席しますよ??
「オリバー、お前聞いてるのか?」
ずっと黙っていたオリバーがボソッとつぶやいた。
「……死ぬかもしれないのに?」
バシッ!
気づけばレイヨン公爵は立ち上がっていてオリバーの傍まで行き、頬に平手打ちを食らわせていた。そのあまりの勢いに、オリバーがよろける。
「お前!なんてことを言うんだ!縁起でもないことを言うな!!」
今にもオリバーに斬りかかりそうな勢いで叫ぶ。私も思わず立ち上がり、執事とともにレイヨン公爵の腕を掴む。ほぼ執事が抑え込んでいるので私は添えているだけでしかないけど。それでもオリバーは冷静だ。
「助かる保証なんてあるんですか?私の母上だって助からなかったのに。しかもまた命の危険?それで子供だけ助かったらまた子供を恨むんですか?またあなたは憎しみを増やすんですか?父上がモレーナ様と結婚しなければモレーナ様だってこんなつらい思いをしなくて良かったんじゃないですか?」
「オリバー!何を言っているんだ?!モレーナは覚悟を持って産もうとしているんだぞ?後妻だがお前の母でもあるんだ!死ぬことなど考えるな!!」
……私は知らなかった。オリバーが、実際は想像以上に深く歪んでいたことを。
母が死んだのは自分のせい。子供だけ残ったら憎しみが増える。誰もがつらい思いをする。
いろんな小さな勘違いが積み重なって、戻れないほど大きく膨らんでしまっている。一つ一つを解いていったとしても、絡み合ってるこの歪みを取るには一筋縄ではいかないだろう。オリバーはそこまで深いところに堕ちてしまったのか。
「いい加減にしろ!!!勝手なことを言うな!」
「じゃあ子供だけ助かったらどうするんですか?!子供なんていらなかったとまた言うんですか?!そんなの生まれてきた子供が可哀相ではないのですか?!」
「そんなこと、言うわけ無いだろ!馬鹿なことを言うな!」
「もういいです!私は失礼します!」
オリバーは大声でそう口にすると、部屋を出ていった。
オリバーはもともと真面目な人だ。それはゲームで知っているから、ではなくアレクサンダーの護衛としてついている様子を見ているだけでわかる。だからこそ頑固な性格なのも理解ができた。
自分なんて生まれてこなければよかったと思い込み、レイヨン公爵から恨まれていると勘違いしたままの彼はきっと、モレーナにはつらい思いをさせたくなかったんだろう。
自分が死んでいれば母は生きていて、父も喜び、モレーナは再婚で妊娠して危険な目に遭わなくてすんだはずなのに。全て自分が生きているせいだと。
でも実際は違う。レイヨン公爵はオリバーをとても大切に思っている。モレーナとも仲良くしてほしいとも思っている。そして、生まれてくる子供と四人で幸せに暮らしたい、と。彼女だって、オリバーと本当の家族になろうとしている。
家庭内の喧嘩に運悪く巻き込まれてしまったけど、私はモレーナの友人だ。彼女はどう思っているかわからないが私の中身がほぼ同じ歳なのでとても仲良くできた。出来ればこれからも二人で楽しく話をしたり遊んだりしたい。前世の自分に戻ったように楽しかったんだから。
「なんなんだ、あいつは一体どうしてあんなことを……。昔はもっと無邪気な子供だったのに、いつの間にあんなになってしまったのか……私がもっとあいつを見てあげればよかったのか?ジェシカ……君ならどうするんだ……」
モレーナの出産も始まっているだろうに、レイヨン公爵はオリバーのことで頭がいっぱいになっている。
「あの……以前オリバー様から聞いたのですが。レイヨン公爵様が昔、『子供なんていらない』と言っていたのを彼は聞いたそうです。実際にそう思ったことはありますか?」
「そんなことはないぞ!オリバーは私の愛する家族だ。1ミリもない!」
「では、まだオリバー様がお腹にいて、ジェシカ様の命の危険があると聞いたとき、子供を諦めろって言いませんでした?今回と同じように」
「そ、それは……確かにそれは口にしたが……。いや!だからといってジェシカの腹の中にいたオリバーに聞こえているわけがないだろ?」
それはそうなんだけど……じゃあなんでオリバーの5歳の誕生日にこっそり部屋の中でそんなことを言っていたんだろう。そこがわからないと真実が見えてこない。
「……オリバー様が生まれてから、一度もそのようなことは言ってませんか?」
「言うわけ無いだろ。オリバーはジェシカが産んでくれた大切な家族だ。まだ見せていないがジェシカからオリバーに向けた手紙だってあるぞ。私もジェシカも、オリバーのことをいらないなんて思ったことはない」
手紙かぁ。オリバーがまだ読んでないってことは、ジェシカの気持ちを理解できていないのかも。
ジェシカは死ぬかもしれないのをわかってて、きっと手紙を残したんだ。どんな思いでその手紙を書いたんだろう。自分が産んだ子供が話すのも歩くのも、学園の制服を着るのも結婚するのも見ることができない。全てを覚悟しながら、それを認めて書いた手紙。ジェシカの事を思うと心が痛む。
「その手紙って、なんでオリバー様に見せないんですか?」
見せてあげればいいのに、と思った私はふと単純な疑問として聞いてみた。
「いや……実は、節目節目で手紙があってな。1通目は10歳の誕生日の時に渡すつもりだったんだが……。オリバーがここ数年、誕生日が来ても喜びもしないんだ。誕生日会も行わないし、家で盛大にやろうとしても嫌がられる。私に対してもよそよそしいというか。だからなんとなく渡すタイミングを見失ってしまってな……2通目が学園入学のときだから一緒に渡そうかと……」
なんと!それってもう渡す時期を過ぎてるじゃん!そのときに渡していたらもっと上手くいっていたのでは……。それに、誕生日会を開かないのも喜ばないのも、自分は父からいらない存在だと思われている、と勘違いしているからだ。
こうなってしまえば、その手紙はタイミングを見て渡さないといけない。その前に今はモレーナが無事に出産できることを祈るのみだ。
「今はオリバー様のことは置いときましょう。彼はとても真面目な方ですから、きっと大丈夫です。モレーナ様の無事を願いましょう」
「そうだな!きっとモレーナも子供も大丈夫だ!」
そのまましばらくレイヨン公爵の話に付き合わされたが、夕方になってしまったため私は帰宅した。




