65.人それぞれ違う、そこを理解するのが伴侶である
レイヨン公爵がそんなことを?いや、絶対違う。彼はオリバーの成長を喜んでいた。
前にパーティーの入場前に会ったときも、オリバーの将来を楽しみにしていた。さっきだって、モレーナが『3番目でいい』って言ってたことを話している時も嬉しそうだった。そんな彼がオリバーを疎ましくなんて思っているわけがない。
「オリバー様、何か勘違いをしていらっしゃいますわ。レイヨン公爵様はあなたのことを愛してます」
「じゃあなんであんな言葉を言ったんですか?私を産んだせいで母上は亡くなったんです!父上は私のことより母上のことが大事だったんです。恨みだって相当あるはずです。……私はこれから王宮へ殿下の手伝いに行ってきますので、これで失礼します」
「オリバー様……」
きれいなお辞儀をして、オリバーは部屋から出ていった。これが彼の、家族に対する歪みなんだわ。何とかしてあげたいけど……私が介入していいのかもわからない。でもこのままじゃレイヨン家がギクシャクしてしまう。
オリバーが部屋から出た後にレイヨン公爵が入ってきた。
「すまない。準備が出来たので調理場へ案内しよう」
レイヨン公爵家の厨房を借り、好奇心の目で見られながらも料理をした私はそれを持ってモレーナの部屋の前に来た。
「モレーナ。君の話し相手をしてくれる令嬢を呼んだ、入るぞ」
レイヨン公爵がドアを開け先に入ろうとした瞬間、クッションが飛んできた。レイヨン公爵はそれを受け止める。
「今度はなに?あら、子供じゃないの。他の大人たちが使えないからって子供を呼んだのかしら?誰に何を言われようと私は産むわ。これは私の権利よ」
「モレーナ!何度も言ってるだろ。このままだと君の命だって危ないんだ」
「うるさいわ」
そこには以前会ったときのようなきりっとした顔立ちではなく、一目で痩せたのがわかるくらい細くなったモレーナがいた。
彼女はとても冷静だ。投げたのも手元にある花瓶ではなく手を伸ばさないと取れないクッションだった。だけどその静かさには相当の怒りが混じっている。何人も『子供は諦めろ』と言われたんだろう、もはやレイヨン公爵の話を聞こうともしない。
「以前パーティーで挨拶だけさせていただきました、ジュベルラート公爵家令嬢、ドロレスと申します」
「こんにちは、ドロレスさん。あなたも夫に説得するように言われてきたんでしょう?もう大丈夫よ。私は産むって決めているから。ごめんなさいね、わざわざ来てもらって」
なんの皮肉も入っていない、とても優しい声で彼女は私に帰るよう促した。ここは思いきるしかない。
「モレーナ……」
「レイヨン公爵夫人、私は『産むな』と言いに来たわけではありません。むしろ公爵夫人の意見に同意します」
「え?」
「ドロレス嬢、何を言うんだ?!」
「子供を産まない男性に産みたいと言う公爵夫人の気持ちなどわかるはずもありません。ここは女性同士で話しませんか?私はただ、つわりの時に食べたくなると言われるものをいくつか持ってきましたので、よろしければ一緒に食べませんか?」
「……」
「ドロレス嬢、話が違うぞ!このままだとモレーナ自身も危ないと言ったじゃないか!なのになぜモレーナの意見に同意するんだ!」
「……いいわ。夫を下がらせて。その食事?はそこに置いといて、ドロレスさんと二人きりにして」
「モレーナ!私は産むのに反対だからな!」
メイドがなんとかレイヨン公爵を部屋から下がらせ、自分たちも部屋を出る。そうして部屋に残された私とモレーナは無言の末、彼女が先に口を開いた。
「ドロレスさんは何をしに来たの?」
「私のことは呼び捨てで結構です。公爵夫人と世間話をすることと、先程お話しした、食べたくなりそうなものをお持ちしただけです。他意はないです」
今までずっと産むことに反対されていたからか、まだ疑いの目は向けているものの、ただの子供である私に少し心が開いた気がした。
「何を持ってきたの?この家の者は肉やら野菜やら食べさせようとするのよ。そんなもの口にできるわけないじゃない。口の中が青臭くなって気持ち悪くなるし。ジェシカ様はあんなものをつわりの時に食べさせられたのかしら……気の毒すぎて心苦しいわ。あ、私のことはモレーナでいいわよ」
「ありがとうございます」
今でも亡くなった前妻のジェシカを気遣えるほど優しい方だ。それがここまで怒りを溜め込んだのだ。きっとレイヨン公爵は、ただただ馬鹿正直に正面から『産むな』攻撃をしたのだろう。そりゃこうなってもしょうがないわよ。
「つわりの時期は人それぞれ食の好みがあります。肉しか口にできない人ももしかしたらいるかもしれません。前妻の方がもしかしたらそうだったのかもしれないですね。でもモレーナ様はきっと違うんですよね」
「ええそうよ。吐いたりはしないのだけれど、食べられるものがなくて。もっとこう……さっぱりしたものも食べたいし、でもなんか違うときもあるし……わからなくて困っているのよ」
「一応何種類か作ってみたので、よろしければ召し上がってください」
ワゴンをずらしてモレーナの前に持ってくる。
「レモン、グレープフルーツです。どうぞ」
「レモン?レモンはさすがにそのままは酸っぱくて食べられないわよ」
「先程さっぱりとしたものを求めているとおっしゃっていました。イコール『酸っぱいもの』の可能性が高いので是非口に含んでみてください」
信じられないという目でレモンを見つめ、決心して彼女はレモンを一口食べた。
「あ……確かに酸っぱいけど……これは飲み込めるしまだ食べられる」
「グレープフルーツはどうですか?」
「んー、食べられないことはないけどどちらかと言えばレモンかしら」
「メモを書きますので少々お待ちください」
これはラッキー。最初の挑戦でレモンが大丈夫だとわかったし、これならビタミンも取れる。
「『レモンは食べられる』って書くの?私が妊娠してなかったら、それはとても滑稽なメモよね」
フフフと彼女が笑った。痩せてしまってはいるが、笑うとやはり美人だ。
「冷たい水にレモン果汁を入れるのもいいかもしれません」
「それはいいかも。レモンをうちでも用意させてやってみるわ」
食べること、飲むことに積極的になってくれれば、今日はそれで良い。次の料理をテーブルに下ろす。
「次はトマトリゾットです。穀物の米を使っています」
「米は私が子爵家にいたときに食べていたけど、こんな真っ赤にはしてないわ……」
トマトの酸味を効かせたリゾットを口につける。するとすぐに眉間にシワを寄せる。
「ごめんなさい、これは無理だわ」
ちなみにトマト単体もダメだった。口から出したことを謝られるが、むしろこっちが勝手に持ってきたものなので私がごめんなさいと言った。
「これはどうですか?」
この料理が一番可能性がある。私の友達も、幼稚園のママたちも、ネットのサイトでもみんなこれを欲していた。
「じゃがいも?を揚げた?」
「ええ、細く切って油を多めに入れた鍋で火を通すんです。最後に塩をかけました」
そう、フライドポテト。みんながみんな口を揃えて『あのポテトなら食べられる』と言っていた有名ファストフード店のフライドポテト。それをできる限り近い状態になるよう料理をしたのだ。
モレーナはそれを指で掴み、一口食べる。
「……」
もう一本、もう一本と彼女の手が止まらない。これはもしかして。
「ドロレス、あなた素晴らしいわね。私の口が欲していたものにピッタリよ!どうしましょう、一ヶ月ぶりくらいに食欲が出てきたわ!」
彼女は喜びを露にして、今まで何も食べられなかった分の空腹をフライドポテトで満たす。
「あら、もう無くなっちゃったわ」
「あれは塩をたっぷり使っていますので、取りすぎは禁物ですよ?産む産まないの話じゃなくなってきますから。産みたいのでしたら、1日にさっきの量を限度にしてくださいね。ここの料理担当には作り方を教えていますから食べたくなったら伝えてみてください。あ、レモンも食べてくださいね」
「それは危険だわ……。ほどほどにするわよ。あぁ楽しかったわ試食会!まだ他にも食べられそうなものある?」
「ええ、思いつくものはあと何点か……また来ても大丈夫ですか?」
「もちろんよ!あとで教えてちょうだい、うちでも取り寄せてみるわ。あ、そういえばあなたもしかしてトランプを開発した方?ねぇ、トランプ、私もやってみたいのだけれどいいかしら?」
「はいもちろんです」
アレクサンダーのお披露目パーティーで国王がやらかしてくれたおかげで、貴族ならみんなトランプを買ったのかと思ってたけど、そうではなかったのね。
「いつでも来てちょうだい。私から家の者には話を通しておくから。みんな夫に言われて私を否定しに来るだけだから疲れちゃったの。あなたみたいに、私の意見の味方をしてくれた人は初めてで嬉しかったわ。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ。また来ますね」
意外と楽しかった時間はあっという間に過ぎ、モレーナの部屋を出た私はレイヨン公爵に詰め寄られたが、「彼女の話を最後まで聞いただけです。レイヨン公爵様はいつもそうしていますか?あと、モレーナ様に対して『体調は大丈夫か』という言葉をかけてますか?それは子供を諦める前提ではない方の意味で、ですよ?」と聞くと無言になってしまった。たぶんレイヨン公爵は脳筋……。思慮深いモレーナとは根本的な性格が違うからこういうときに話が合わなくなる。あとで注意点をまとめてお互いに渡そう。
私とモレーナはそのあとすぐに文通を始めた。
私が帰ってからすぐに、私が伝えた食べられそうなものを取り寄せたそうだ。体調は悪いながらも積極的に口にするものが増え、少し明るくなったとレイヨン公爵からも手紙が来た。相変わらず産む産まないは揉めているそうだけど。




