64.全てが奇跡であり、当たり前など存在しない
当たり前のように解雇だと思っていたルミエは、驚いたように目を見開いている。それだけのことをした。この場にいるものはみんなわかっている。
「えっ、商会長……私は」
「確かに君のしたことは犯罪だ。だが私も君を信頼するという言葉で管理を全て任せ、自身で確認する義務を怠った。私の責任でもある。よって先程の罰とする。もちろん、君がこの職場を辞めたいのなら辞表は受け付ける」
「し、商会長……そんなっ、辞めなくても……良いのですか?」
ルミエは窃盗を犯した。ギルバートに盲信し、犯罪に手を染めた。だけどギルバートに出会う前から自ら努力して勉強していたのも事実。ギルバートの為にとはいえ、下働きから商会内部に入れるまで必死で勉強したのも事実。
その今までの彼女の功績を加味したのだろう。日本なら即解雇だが、この世界は日本ではない。ルトバーン商会長がそういうなら、それでいいのだ。
「2度と同じことをするんじゃないよ」
「うぅっ……本当にっ!申し訳ございませんでしたっ!うぁぁ……あぁ!」
ルミエは膝から崩れ落ち、大声で鳴き始めた。幼い自分を雇ってくれたルトバーン商会に対する感謝の気持ちが甦ってきたのだろう。なかなか泣き止まず、会長に連れられて部屋を出ようとしたときにふと立ち止まり、こちらを見た。
「あの、先程は酷いことを言ってしまい申し訳ありませんでした……」
ルミエは私にそう言うと、深くお辞儀をして部屋から出ていった。
「根はいい人じゃん……」
元々は本当に努力家だったんだろうな。そう思えるほど、最後の謝罪は心から謝っているようだった。
きっと彼女はギルバートに出会ってから全てが変わったのだ。彼の無責任な発言に、夢を見て、それが現実になると思い大きな勘違いをした。恋は盲目と言うけれど、身分差の婚姻はお互いの血の滲むような努力がないと不可能だ。努力したとしても決して叶う保証はない。片方、しかも上の立場が努力をしなければ100……150%叶わない。
ルミエは残念だが、ギルバートはそういう男だ。この男をなんとしてでも潰さなくてはいけない。巻き込まれた全ての女性のために。そして宰相になるのを防ぐために。
「自ら自白するかなとは予想していましたけど、想像以上でしたね。ルミエも、ドロレス様の演技も。フフフ」
隣の部屋から出てきたジェイコブが口にする。
「ドリー、悪役な令嬢感が凄まじく似合っていたよ……。本当はそっちが真の性格なんじゃないの?って思ったくらいだよ」
「フレッド、それは褒めてるの?バカにしてるの?」
「んー、7:3くらいかな」
「もう!信じられない!すごい頑張ったんだから!」
悪役令嬢はなんて大変なんだ!世の中の全ての悪役令嬢を尊敬するわ。こんなにも人様に失礼な言葉を投げかけてよく平気でいられるわね。精神を保つのにとんでもなく労力を使ったわよ。
「悪役はもう終わりです。ありがとうございました。最後の大ステージがありますから、楽しみにしましょう!」
「ジェイコブ様……だいぶ怖いんですけど」
「え、ほんとですか?ありがとうございます!そう言われるの夢でした!」
「「…………」」
私とフレデリックは思わず目を合わせ、諦めたように苦笑いをした。
「甘いもの食べたい!!」
「じゃあロレンツさんの店にでも行きましょうか?」
「いいですね!」
「ジェイコブ様、私とてもとても頑張りましたの。慣れない悪役を演じてとっても疲れましたわ。ですから!もちろん奢りですよね?」
「え……」
この後私たちはロレンツの店に行き、おもいっきり甘いものを食べた。当たり前だけどジェイコブの奢りである。
もう1月も終わる。まだまだこの国は寒い。雪も降るし風も冷たい。ルームソックスは手放せない。
「レイヨン公爵家から?」
「そうだ」
お父様は、レイヨン公爵家からの手紙を渡してくれた。
「私のところにも連絡が来たが、どうやら後妻について少し揉めてるみたいでな。公爵内の者もダメ、年が近い女性もダメ。……以前にドロレスが『何かあったら呼んでください』とオリバーに話していたとのことで、君になんとか話を聞いてほしい、と」
「……そんなに皆がダメなのに私で話を聞けると思ってるのですか?」
なぜ?なぜ大人が対応しきれない話を私のような11歳の子供に任せようとしてるの?無茶ぶり?諦め?責任転嫁?
「んー、ドロレスは今まで誰も思いつかなかったものを発明してきただろ?だから、ドロレスなら別の視点で話を聞けるのではないかというわけだ」
確かに中身は後妻のモレーナ様に近いだろうから話は合うと思うけど……結構重い話なら私じゃ役不足になるんじゃないかな?でもオリバーには言っちゃったし、1度行ってみるか。
「ドロレス嬢、よく来てくれた」
数日後、私はレイヨン公爵家を訪れた。公爵が迎えてくれたものの、めちゃくちゃ疲れ果てている。あの屈強なレイヨン公爵からは全く想像できないほどだ。これは何?モレーナ様の件?仕事?どうしたこれ。
応接室に案内され、公爵家のメイドが紅茶を入れてくれた。
「君なら面白い話でもしてくれそうだったので呼んでみた。……もう誰に頼っていいかわからなくてな。妻の精神状態がとても悪くて、食事も全然取らないんだ」
妊娠二ヶ月過ぎくらいと聞いていたのでおそらくつわりだろう。幼稚園のお迎えで妊娠中のママが来たときはとてもツラそうだった。迎えに来れないときは友達のママに頼んでいたわ。人によってツラさが全然違うし、理解が出来る男の人はなかなかいないだろう。
「それに、……彼女は元々体が弱くてな、妊娠は出来ないだろうと言われていたんだ。もし妊娠したとしても母体の方が耐えきれるかわからないと初めから言われてた。だから気を付けてはいたんだが……」
うん、それを11歳の私に言われても、なんて反応していいかわからないんですけど。
「今はまだ早期だが、これからお腹が大きくなるとモレーナが危なくなる。出来れば子供は諦めてほしい。……前の妻は、出産の2ヶ月ほど前に『母体が危ないかもしれない』と言われた。でも二人で話し合って産むと決めたんだが、オリバーを出産したときに亡くなった。だから、もう2度と妻を亡くしたくないんだ……。だから彼女には生きていてほしいんだが、産むと言って私の話を聞かないんだ」
「公爵様……」
「私は今でも前の妻を愛している。再婚など絶対にしないと決めていたのだが、昔色々あって離縁し働きに出ていたモレーナに惹かれてしまってね。彼女と想い合うようになったんだが、プロポーズしたら条件をつけられてね。『私を3番目として愛してくれるのならお受けいたします』って……ハハハ。前妻のジェシカをそのまま愛してていいって言われたんだよ、嬉しくてさ。1番はモレーナ、2番はオリバーだ。家族ごと彼女は受け入れてくれたんだよ。だから彼女がまた私の側からいなくなってしまったら……私は……」
レイヨン公爵は目に涙を溜め、自分の心境を話してくれた。彼はポケットからハンカチを出して涙を拭う。
きっとレイヨン公爵も苦渋の決断なんだろう。前妻のジェシカが出産時に死亡してる時点で彼は『またその可能性があるかもしれない』と脳裏に焼きついているんだ。
普通の出産なんてないし、全てが奇跡的なもの。順調に出産した人も奇跡だけど、かなり危険な状態で出産した人も奇跡。出産を当たり前と思ってはいけない。日本のように最先端の技術があったとしても、毎年、妊娠中の病気の発症や、出産前後で二桁の数字の母親が死亡している。他人事ではない。
モレーナは産みたいと言っている。今はレイヨン公爵の話しか聞いていないのでなんとも反応が出来ない。どうして精神状態が悪くなるほど話ができないのか。私でそれが聞き取れるのか。不安でしかないけど、やってみるしかない。
「公爵夫人とお話はいたします。とりあえずまともに私と話してくれるかを確かめたいです。それと、食事ってどのくらい食べてないですか?何を食べさせようとしていますか?」
「1か月近くあまり食べ物を口にしていない。栄養のあるものをと思って、野菜とか肉を……」
あ、ダメだ。それは食べない。
妊娠中、特につわりの時は味覚が変わる。この時期は栄養云々ではなく『何でもいいから食べる』ことが大事なのだ。たとえお菓子だろうとおやつだろうと、食べられるときは食べる。つわりの種類は色々あるので、決して食べることに固執してはいけない。だけど食べられるのに食べられないものを渡しても全く意味がない。
こんな時、アイスがあればいいのに。私の友達の一人が妊娠してつわりになったときはいつもアイスを食べていた。むしろアイスしか受け付けず、それ以外は全部戻してしまったそうだ。
「調理場を借りることはできますか?何種類か作るので、公爵夫人に選んでもらおうと思います」
「あ、あぁ。君は料理が出来るんだね」
「えっあ、そ、そうですね。うちの料理長に教わってきました」
「そうか、じゃあ今開けてくるから少し待っててほしい」
そう言って部屋から出るタイミングでオリバーが来た。
「失礼しま……あ、父上」
「オリバー。すぐ戻るからここで待っていてくれ」
「はい」
オリバーが正面の椅子に座る。メイドが新しい紅茶を入れた。
「今日は来てくれてありがとうございます」
「いいえ。私も『何かあったら呼んでください』って言いましたから」
オリバーが申し訳なさそうな顔をするので、微笑みを返す。
オリバーは紅茶を一口飲み、目を伏せて話しだした。
「こんなこと言うのはどうかと思うのですが、……私は、モレーナ様の出産を受け入れられないんです」
彼は真剣な顔でそう言った。
「どうしてですか?」
もしかしたらこれがオリバールートの分かれ道なのかもしれない。あのときの家族とのいざこざはここから生まれたのではないだろうか。
「母上が私を生んで亡くなってしまったように、もしモレーナ様が亡くなってしまったら、きっと生まれてくる子供も私と同じように、父上に疎まれる存在になってしまうからです」
「そんな!公爵様はそんなことを思ってないですわ」
私は全力で否定をする。さっきのレイヨン公爵にそんな気持ちは微塵もないはずだ。
「いいえきっとそうです。私が5歳の誕生日の夜、父上が一人で部屋で泣いているのを偶然見てしまいました。父上は母上の肖像画の前で『君がいなくなるくらいなら子供なんてどうでも良かった。子供なんていらない』と言っていたのを聞いてしまったんです。それを聞いて私は衝撃を受け、走って部屋に戻りました。父上は、私よりも母上のほうが大切だった。私のせいで母上が死んだと思っているんです。私が生まれてこなければ、母上は今も生きて父もそんな思いをせずに済んだはずです」




