32.どんなに固い氷も温かさには弱い
翌日。
夕食後の空いた時間に私の部屋にお兄様がやって来た。
メイドには納得できるような嘘をつき、部屋から出させる。扉が閉まると、ドアから遠い椅子に座ったお兄様から口を開く。
「無理はしなくていいんだよ?」
優しい声で私の緊張をほどいてくれる。この人まだ10歳よね?アレクサンダーもだけど、どうなってるのこの世界の子供は。人生何周してきたのって思うくらい、お兄様のほうが冷静だ。
そうよ、落ち着いて私。私も心を決めている。転生ものの小説って、話したところで信じてくれる人はあまり少ない。だからこそ、言わない人が多い設定が多い。
「大丈夫です。でもこれだけは最初にお伝えします。私はふざけていません。信じてください」
「大丈夫だよ。君は正面からまっすぐ来る性格だ。嘘をつくとは思えない」
お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁあ…………ちょっと泣きそう。
「私……2つの記憶があります。1つは【ドロレス】として。もう1つは【この世界の先を知ってる人】として」
お兄様が息を呑んだ。
「正直、後者の記憶は誰のものかわかりません。でも、体験したようにわかってしまうことがいくつかあります。ただ、断片的にしかわかりません。現段階で、見えているのはずっと先のことだけです」
転生者ということは隠した。少し嘘を入れてしまうが、話をスムーズにするにはこれが一番だと思う。私の記憶はゲームの中だけ。学園前までの記憶はないのだ。
「次の【召喚の儀】で確実に【治癒の力を持つ女神】が来ます。黒目黒髪です」
「なっ!」
お兄様が声を出した。100年以上も成功していない【召喚の儀】が成功すると発言したのだ。驚かないわけがない。
「ですが、その前提が数ヵ月前に崩れました。孤児院に初めて行ったとき、私は神託を受けました」
「神託って……この国で受けられるものはいないはずだ。大司教様だって神の言葉を聞くことができない」
「ええそうです。でも私は聞きました。私に【治癒の力】を授けたと」
「!!!」
お兄様が固まってしまった。でもこの反応は承知の上だ。
「それに、もうひとつ。別の力をくれたそうです。探し物が見つかる、と。でもなんのことだかわからないのです」
私が【治癒の力】を持ってしまったことにより、召喚の儀で来るヒロインが同じ力を持つのか、私が持ったことにより来なくなるのか、力を持たないまま来るのか、二人とも力を持つのか。【召喚される】という前提が覆り、どうなるかわからないとも話した。
「でも……僕たちはただの人間だよ?それなのにそんなことって」
お兄様の言いたいことはわかる。でもね、私は転生してるから、もう普通の人間ではない。
「私もその神託を聞いたときは冗談だと思いましたの。夢でも見ていたのかと。でもお兄様。昨日見ましたよね?あれがきっと【治癒の力】なんだと思います」
お兄様は顎に手をかけて少し黙り込んだあと、口を開いた。
「ちょっと……試してみてもいいか?」
「いいですけど、何をですか?」
お兄様が上着のボタンをはずし、左の肩を見せる。そこには痛々しい打たれたような痕が残っていた。
「これは小さい頃に、先を潰した剣で遊んでいたときにつけた傷だ。潰してはいたものの強さと勢いがあって、痕になってしまった。肩を上げるのもちょっと気にする。だから剣は将来持てないと諦めたんだ。肩だから……痛みは無くてもなんとなくダンスを踊るのがちょっと嫌でね。母上とドロレスとしか踊ったことないよ」
お兄様は、ハハハっと小さな苦笑いをした。ダンスを踊らないのはそういった事情があったのね。
「これを、治してほしいと」
「そうだね、治してほしいと言うより、改めてその力を確かめたい、というのが本当の気持ちかな」
「わかりました。では……」
席を立ち、お兄様のもとへ向かう。お兄様は服の端を持ち、グッと出した肩に私は手を添える。正直なところ、【治癒の力】を使う方法はわかっていない。ただ『治ってほしい』という気持ちを強く願うことなのかな、と考える。
古傷よ、お兄様から消えて。
──────フワッ。
一瞬、小さな風が吹く。
私の手からはうっすらと水色の光が溢れ、肩の傷へと入っていくようだ。
わずか数秒で光が消える。恐る恐る手を離すと、そこにあった痛々しい古傷は跡形もなく消え去っていた。
「!!消えた!?」
どんな治療をしても消えなかったのに!と、自分の肩を覗きこんだお兄様が思わず立ち上がる。やっぱり。【治癒の力】は本当だったのか。2度も水色の光を見て、これが嘘だと言える方が不思議だろう。
「本当に……【治癒の力】なんだな。嘘みたいに肩が上がる」
今まで融通が効かなかった自分の肩をくるくる回している。どうやら治ったみたいだ。
「これは……疑いようがないな。父上や母上には話すのか?」
「今は悩んでいますわ。【召喚の儀】で黒目黒髪の少女が来れば、私の力は出さなくてもいいんですもの。このまま秘密にしておいて、万が一召喚された少女が出来なかったときに助けてあげればよろしいかと思いまして」
「うーん。でもそれだと『なぜ言わなかったのか』って言われるんじゃないのかな。国を助ける力なのに、ずっと黙っていたのか?って」
そっか!そういうこともあるわ。黙っていたら、国を助けなかったってことで反逆罪にならないだろうか?でもこれが【治癒の力】だと断定する方法がない。お兄様に言われなかったらその可能性をすっかり忘れていた。
あーー。もうどうすればいいの?
「とりあえず今は黙っておこう。下手に広めるのはよくない。その間にいくつか策を考えよう」
「えぇ。……お兄様、聞いていただいてありがとうございました。信じてもらえるか、不安でした」
少し泣きそうになってしまった。ダメよ私、中身はもういい大人なのよ。堪えて。
お兄様がそっと私の背中に手を回してやさしく抱き締めてくれた。ああ、温かい。頭の上に手を置いて、そっと抱き締めてくれる。ずっと誰にも言えなくて悩んでいた苦しみは、私が思ってる以上に重かったようだ。
「最初に言っただろ。信じるって。それに、これを知ってから数ヵ月もずっと一人で考えていたんだな。気づいてあげられなくてごめん」
無意識だった。気づいたら私の頬に大粒の涙が流れていた。張りつめた氷のような苦しさが、お兄様の温かい言葉で溶けていく。
ずっと一人だった。
前世。兄弟の一番上だった私は、家では弟や妹たちの面倒を見て、学校では【しっかり者】と言われ。悩みがあっても共働きの両親には負担にかるかと思い、伝えることが出来なかった。それがそのうち当たり前になり、いつしか自分の悩みは自分の中で消化していく方法になっていた。私にとって、それが普通だった。
転生してからだって、周りに恵まれて、友達も出来て楽しく過ごしてると思っていた。
なのに。
涙が止まらない。どんどん溢れてくる。
誰かに聞いてほしかった。悩みを、苦しみを、辛かったことを吐き出したかった。でも今まで誰もいなかった。自分の知らない間に、ずっと奥の方に溜め込んでしまっていたのだ。
転生は現実だけど現実じゃない気でいた。どこか他人事だった。だから誰にも打ち明けられなかった。
「私……っ、私は……。ドロレスで良かった、うっ……」
ドロレスに転生できて良かった。悪役令嬢?そんなのはもう知らない。
お兄様だけじゃない、お父様やお母様もとても私の事を愛してくれている。日々の生活で充分すぎるほど理解していた。きっと転生前のドロレスだって、たくさん愛されていた。こんなにも家族に愛されているという事を実感した。私の話を聞いてくれることがこんなにも嬉しいなんて知らなかった。
初めて、心の底からこの世界に来て良かったと思った。
「落ち着いたか?」
「ぐすっ……えぇ、ごめんなさい。もう大丈夫ですわ。ありがとうございます」
やっと泣き止んだ私にお兄様が優しく声をかける。
「一人で寝られるか?僕と一緒に寝ようか?」
「もうっ!子供じゃないんですよっ!」
……リアルに精神年齢が子供じゃないので一緒になんて寝られない。
「そういえば、未来を知ってるようなことを言ってたけど、現段階で確実に来そうな未来はあるの?」
お兄様が思い出したように聞いてきた。
「んーー、確実そうなのは、レイヨン公爵家に後妻が来ますけど、今ってまだ後妻は来てないですか?」
そういえばもう後妻がいるのか確認してなかった。どうなんだろう。
「レイヨン公爵家?今は当主のみだけど……後妻は絶対ないだろ。あの家は夫人が亡くなってから後妻は絶対に迎えないと断言してるみたいだよ」
お兄様が信じられないような目で私を見ている。再婚してないってことか。ということは、オリバーの心の歪みはまだ軽いはず。
「でも、再婚しますよ。弟が生まれます」
「にわかに信じがたいな。あのレイヨン家が……」
……全然信じてないわねこれは。まぁ、それだけオリバーのお父様は奥様を愛していたのだろう。
「あとは、ギルバート様が悪事を働いて、次期宰相がジェイコブ様に移ることかしら」
「ドロレス。それは未来を知らない僕でも予想できるぞ」
「っあはっ!それもそうですわね!」
「アハハッ。それを予想できない人がいるなら逆に聞きたいよ」
二人で思いっきり笑った。中はもう大人な私も、子供のようになって笑ってしまった。
「じゃあ、また何かあったら言うんだよ?また明日、お休み」
笑い終えたお兄様は笑顔で部屋へ戻っていった。
今日は心に引っ掛かっていた何かが取れて、とてもいい気分でベッドに入ることができた。
ちなみに翌日ルトバーン商会では、貴族から『トランプとは何ぞや』という手紙が何通も来て、対応に追われていたというのは後から知った。
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