30.良い思い出になったのか、記憶に残る思い出になったのか
掴まれたと思った肩は、なんの痛みもなかった。あれ、なんで?
「女性に掴みかかるのは、男として失格だ」
赤髪の男の子が、ギルバートの腕をつかんでいる。体格がギルバートと同じくらい大きいが、顔はまだ幼い。
「ドロレス嬢、大丈夫か?」
その赤髪の男の横にはなんとアレクサンダーがいた。
「で、殿下?なぜここに?」
「君にお礼が言いたくてね。トランプのおかげで母上と側妃殿は良い好敵手になっている。クリスも遊びの時間を持つことによって、勉学にも一層力が入るようになった」
「いえ、滅相もございません。喜んでいただけて光栄です」
冷静にお辞儀をする。するとアレクサンダーがさりげなく顔を近づけてきた。彼の口が耳元にくる。
「……ダンスは踊れるのか?」
「そうですね、ほぼ完璧です」
「ならば、デビュー前の思い出となろう」
「えっ、なにを」
アレクサンダーは私から顔を離し、ギルバートの方を向く。頭を下げたままのギルバートはさっきからずっと無言だ。
「マクラート公爵令息殿。さきほどはジュベルラート公爵令嬢へダンスを誘っていたが、彼女はまだデビュー前だ。知らないはずがないな」
「……はい。おっしゃる通りです」
悔しそうに言葉を絞り出すギルバート。
「だが、彼女のダンスの素晴らしさを皆に見せたい気持ちはわかった。しかし彼女はデビュー前。人前で踊った経験もない。ならば責任を持って私が彼女のパートナーとなる。デビュー前に特定の男性と踊ったなんて話が広がっても令嬢は困ってしまう。そなたはデビューしている他の令嬢を誘って、二組だけで踊ろうではないか」
え。
何言ってんのこの人。デビュー前だって言ってるのに、王子がそれ破ってどうするのよ?!しかも王子だってまだ10歳になってないのに、こんなところで私と踊ったら後々何言われるかわからないじゃないのよ!今からでもいいから発言取り消して!
って言い返したいのに言えない。もう決定事項になってる。ギルバートはもはや返事すら忘れている。
会場なんてずっとざわついている。当然だ、10歳まで踊らないはずの王子が今からたった二組だけでホールで踊ろうとしている。驚きと興味は倍増するだろう。
「皆、今から私と踊るのはまだデビュー前の8歳の令嬢だ。社交界に出るまであと2年。暖かい目で見守ってほしい」
アレクサンダーが私の方に歩みより、手を取り、膝を折った。
「ドロレス・ジュベルラート公爵令嬢殿。私と一曲踊っていただけますか?」
あぁ、これはもう断れないやつですね。まさかデビュー前に踊ると思わなかった。しかもアレクサンダーと。腹を括ろう。
「……はい、よろこんで」
アレクサンダーが差し出した手を取り、ホールのダンス広間へと向かう。
後ろではギルバートが「お前行くぞ!」となげやりに声をかけるも、その心酔女子は「はい喜んで!」と伝わってない一方通行な想いを喜びに変えている。男に苦労するタイプね。
ホールへ向かう最中、私にしか聞こえない声でアレクサンダーが呟く。
「ごめん、これしか僕には方法が見つからなかった」
「いえ……。そういうことなら大丈夫ですわ」
アレクサンダーが発した言葉は、先ほどの堂々とした彼とは思えないほど、私には幼く感じた。緊張していたのだろうか。
「助けてくださりありがとうございます。ふふ。楽しかった思い出にさせていただきますわよ。私、ダンスは自信がありますわ。殿下はどうかしら?」
「フッ。私を誰だと思っている?この国の王子だぞ。ドロレス嬢がついてこれるか見ものだな」
二人でクスクスと微笑みあった。彼が覗かせた一瞬だけの幼い顔は消え、第一王子としての堂々とした顔になった。次期国王ではあるものの、会話は友達のように楽しい。そんなことを考えていたら、ホールの真ん中にたどり着いた。
音楽が流れる。
『いつのお誘いがあるかわかりませんので、ピアノよりバイオリンよりもダンスを先に完璧にマスターしなさい』
家庭教師にさんざん言われ、ほぼ毎日レッスンが組み込まれていた私のダンスは完璧だ。お兄様、お父様、先生と、どんな体格でも対応できるよう特訓してきた。
まさか、たった数ヶ月で家庭教師の言われた状況になるとは思わなかったけど。
アレクサンダーもさすが王子だ。私よりももっとたくさん練習しているのがわかるほど、リードもだけど、相手に合わせるのが上手い。
ゆったりとしたワルツが楽団によって奏でられ、会場は穏やかな空気をかもし出す。みんな、王子の初ダンスを予定よりもずっと前に見られる貴重な時間だ。
優雅なダンスを踊る私達は、きっと周りには楽しんで見えるだろう。
んなわけがない!
顔は笑顔、ダンスも完璧に踊っているけど、私の頭の中はそれどころじゃなかった。
さっきギルバートの腕を掴んだ人、あれって4人目の攻略対象者じゃん!!!一瞬だけの登場すぎて、思い出すのに時間かかったわ!
オリバー・レイヨン。
少し暗めの赤髪に、細くきつい目は燃えるようなオレンジ色をしている。学生の段階ですでに身長もかなり高く、鍛えた体格をしており、アレクサンダーの護衛をしていた。家は近衛騎士の家系であり、父親は騎士団長。オリバーも学園卒業後は騎士団に入るのが目標で、子供の頃から鍛えていた。
本当の母親は彼が産まれたときに亡くなる。その数年後に後妻が来て、弟が生まれるも、どうしても馴染めないでいた。
そこでヒロインが支えてあげることによって彼が家族との距離を縮めることができたのだ。元々真面目でまっすぐな彼はヒロインに愛の告白をし、二人は結ばれる。
っていうストーリーだ。
学園のころはもうすでに弟が生まれていたけど、この時点ではどうなんだろう。だいぶ家族との隔たりがあったような気がする。
しかもかなり早い段階から護衛やってたのか。ギルバートは確か3つ上だったと思うけど、それでも体格がほぼ同じってすごいわね。成長して学園生活のころはもうガッチリとした体型だったから、他の攻略者対象に比べて筋肉大好き女子の人気が高かったな~。あ、ゴリマッチョではない。細マッチョを少し大きくした感じね。
ぐっと繋いだ手に力を入れられた。
「おい、別のことを考えてないか?」
オリバーのことを考えていたら、アレクサンダーの顔が近くに寄ってきた。あ、ダンス中だった。
「いやですわ、殿下とのダンスで他のことを考えるわけないじゃないですか」
嘘だけどね。笑顔で答える。
「嘘が下手すぎるぞ。見破られないようにもう少し顔を作るんだな」
「……へへっ、失礼しました。さすが殿下」
思わずへにゃっとした笑い方になってしまった。すぐにいつもの笑顔に戻す。アレクサンダーは一瞬目を見開き、そのあとすぐに元の顔に戻った。少し微笑んでいるように見える。変な顔見せちゃったな。恥ずかしい。
無事に曲が終わった。お互いお辞儀をしてエスコートをされてホールの真ん中から人の多いところへと下がる。
あっという間に私たちのところに人が集まる。
「殿下!さすがですわ!」
「8歳にして素晴らしいダンスでした」
「美男美女のダンスはとても絵になる光景でした」
子供も大人も、アレクサンダーを次々に誉めちぎっている。ついでに私のを誉めてくれた男性もいた。ちょっと嬉しい。
離れたところではギルバートが悔しそうな顔をしている。何度がダンスで失敗し、足を踏んだり踏まれたりしていた。こちらをしばらく睨んだあと、心酔女子を置いて、肩を上げ拳を握りしめながら早歩きで消えていった。
アレクサンダーがこっそりと私に告げる。
「とても良い思い出になったかな?」
ニヤリと笑っている。何て悪い人だ。いや……ギルバートの方がもっと性格悪いわね。アレクサンダーは【王子】としての完璧な対応をとったと思う。
「えぇ。とっても記憶に残る初ダンスでしたわ」
こちらも完全な仮面をかぶり、笑顔で答えた。
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……薄々気づいていたんだけど、この世界の8歳の子供って、頭の中どうなってるの???私の知ってる8歳(弟)は、鼻ほじって「バーカ!アホ!やべえ!ぎゃはははは!」っていうのしか知らないんだけど。よほどギルバートの方が子供らしいわ……。
そんなことを心の中でひしひしと感じていた。




