182.酒は飲んでも飲まれるな
朝早く馬車が出発する。
唯一の救いは、馬車がフレデリックと二人だけではないことだった。学校関係者も同乗している。
フレデリックとの二人だけで乗る馬車は危険が多すぎる!乗っているだけで緊張するし、彼から出る甘い雰囲気に耐えられない。いつまた唇を奪われるかと思うと、羞恥で溢れてしまう。されることが嫌なわけではない……が!!バクバクしすぎる心臓はいつか本当に飛び出してしまうんじゃないかって心配!!
私、本当にこれでいいのか……。もう貴族令嬢とかわからなくなってきている。
とはいうものの馬車の中は今後の学校の話で盛り上がった。みんなやる気がある人たちだからこそ、仕事が捗る。このメンバーだからこそ、ずっと上手くいっているんだろう。
しかししばらくしたら寝た。さすがに眠かった……。ふと目が覚めたときには私以外全員ぐっすり眠っていて、隣のフレデリックも腕を組んで寝息を立てている。
ちょっとだけ。くっついてもいいかな。
そう思って彼の体の横に寄りかかり、揺れる馬車に心地良さを感じながら再び目を瞑った。
夕方になって馬車が到着する。
今回は3箇所を2泊ずつ、計6泊という忙しい視察。街の宿屋に泊まり、土地もしくは使える空き家があることを調べ、人の流れなどを確認して適地かどうか調べる。
夕食までにはまだ時間があるため、明日行く場所を打ち合わせする。
「ここに以前貴族が使っていた小さな別荘の空き家があって、とても使いやすいかとは思うのですが」
「見てからじゃないとなんとも言えないけど、この土地の人口を考えると広いほうがいいのよね」
「資材の搬入するときにここの道は使えますか?」
「そこは私有地になるので調べて許可が出るか確認します」
しばらく話をしていると夕食に呼ばれる。海が近いこともあって、魚料理が多く、私でも美味しいと感じるほどに味付けが好みだった。
夕食が終わると各自部屋に戻る。いいところの宿なので部屋にバスルームもあり、一人でのお風呂タイムにくつろぐ。
だって、家ではいつも浴槽のギリギリのところまでメイドがいるんだもん!風呂上がり、服を着る前に人がいるとか慣れないのよ!未だに恥ずかしいんだから!
だから今回メイドの同行を必死で断った。ウォルターとの視察の時だって1人ついてきた。よく考えたら私、本当に最初から最後まで一人で入るのって転生してから初めてじゃない?!
うっそ!もう十年近く経つんだ!!本当なら私、アラフォーじゃん!!
……余計なことは頭から取り除こう。顎までお湯に浸かり、予定を振り返る。
「明日は直接回るのかー。さっき言われた空き家が使えればわざわざ建てなくてもいいわけよね」
貴族の“小さい”は信用できん。明らかに他の家より大きいんだから。
ーーーーコンコン。
お風呂から上がって髪にオイルを塗っていると、ドアをノックする音が聞こえる。
誰よ……。もうこんな時間に令嬢の部屋を訪ねて来るなんて失礼じゃない?!もう私、寝間着なんだけど。私の風呂上がりタイムを邪魔するのは誰?!
「ドリー起きてる?」
フレデリックかい!
私はドア越しに声をかける。
「どうしたの?」
「ワイン、飲まない?」
こんな時、普通の貴族令嬢だったら確実に断るわよね?この時間に令嬢の部屋に男性が訪ねてくる、ってことは夜のお相手の意味も含めてるんだから……。
だがドア越しに明るく話しかけてくるフレデリックはどうだ?この男にそんな意味を含んだ言い回しができるか?
いいや出来ないな。きっともっと直接的な言葉を言うわ。おそらくこれは、本当にただワインを一緒に飲みたくて来たのだろう。
「おつまみも持ってきたよ。入れてくれる?」
彼のことを知らない人は、確実に勘違いする……。なんとしてでも部屋に入れてくれって意味にしか聞こえない!!
うう、どうすればいい、私!
「ドリー?たまにはゆっくり二人で話そうよ」
さっきの明るい声とは違って少しだけ寂しそうにトーンダウンする声。
もう!これが素だから困るーー!!私、弱いんだってば!!
「わかった。……ちょっと待ってて」
私は急いで羽織るものを探し、まだ完全に乾ききっていない髪を軽くまとめてドアを開けた。しかし今更恥ずかしくなって少し下を向く。
「……おまたせ」
「お風呂入ってたの?いい香りするね。ローズオイル?」
フレデリックは私の肩に手を置き、顔を私の頭にグッと近づけて、先程つけたオイルの香りを嗅いでいる。私の目の前に、彼の綺麗な首筋がある。私は思わず両手で顔を覆った。
ああ、こういうところがキュンとしてしまうのだよ……。これ、素なんでしょ?お風呂から上がってまだ火照りがおさまらない私の体が再び熱くなった。彼の一つ一つの仕草は毎回心臓を大きく跳ねさせる。どんなに平常心でいようとも、今みたいにドキッとする行動が彼の中では当たり前で自然なのだ。
だとするならば、私は彼と結婚したら毎日大変じゃないか?
あ。お兄様と結婚したベティーナの気持ちが今理解できた気がする……。
フレデリックはいつも縛っている長い髪をほどいていて、同じくお風呂上がりのようだ。普段見ない彼の色気のある姿に、更に緊張する。くせっ毛を束ねていないと、ボリュームのある髪が彼の動きとともにフワフワ揺れていた。
彼は笑顔で部屋に入ってくる。屈託のない笑顔ほど恐ろしいものはない。
椅子に座ると、ワインを注ぐフレデリックに一応説明する。
「フレッドあのね、女性の部屋に夜来るのは駄目よ?その……、夜のお相手をしてほしいという意味になっちゃうからね?」
「えっ?!」
「わっ!」
動揺したのか、注いでいたワインをこぼす。私も驚いて立ち上がり、慌ててテーブルを拭く。
「ごめん、そんな意味で来たわけじゃないから!違うよ!絶対ないから!そんなことしないから!するわけないじゃん!」
「……大丈夫よ。わかってるから部屋に入れたのよ」
顔を真っ赤にしながら全否定するフレデリック。だがしかしそこまで強調して言われると、ショックが大きいんですよ……。私は女として見られていないのかと逆にヘコむ。
私の様子に気づいたのか、頬と耳はまだ真っ赤な彼は、テーブルを拭いていた私の手首を掴んで上目遣いで私を見上げた。
「あの、さ。それは流石にちゃんとわきまえていますので。ドリーの両親の前で堂々としていたいから、結婚までは我慢しますので……」
「あ……はい……」
急に敬語になり、『我慢』の言葉の意味にこっちが恥ずかしくなって真っ赤になる。それを隠すように掴まれた手首を離してもらい、自分の席に戻った。
この国は、学園卒業するとお酒が飲めるようになる。うちでの卒業パーティーの翌日、お父様に出されたときにはかなり戸惑った。だって私、まだ高校2年生に上がったばかりの歳の感覚なわけで……。
かなりの背徳感を感じながら飲んだワインは美味しかったけどね。
嗜む程度にはたまに飲んでいたけど、そういえばフレデリックが飲んでいるところを見たことがない。
ワインを一口飲んでいる彼に声をかける。
「フレッドはお酒飲めるの?」
「んー、ウォルトが子爵家に行く前日に家族で飲んだきりかな。飲めなくはないよ」
私はお酒好きなので、それなら将来一緒に飲めるってことね。未来の楽しそうな光景を浮かべながら私もワインを飲む。
「学校に通う人たち、みんなすごい真剣に取り組んでるよね。俺も学校があったら学園に行く前に通ってただろうなー。羨ましい」
「なかなか人に習う機会って無いもの。きっと今まで、文字を読めたり書けたりすることを心の中で望んでいたのかもしれないわね」
私達が通う学園とは違い、貴族感もまったくないし、みんな平等で楽しそうにしている。これこそ私が知っている【学校】だ。私も通えるならばこっちに通いたい。貴族は変なところに気を遣わないといけないし、私は王子の婚約者だったので行動範囲は狭かった。青春の学園ライフなんて半分なかったようなものである。
しばらく話をしていたけど、なんとなく異変を感じた。
フレデリックの顔が……。
ぽわんとしている。
頬を染め、可愛らしい顔はそのままに、へにゃっと笑ってふわふわしている。
そういえば一口の飲む量が少なかった。私が2杯目を注ぐとき、彼はまだ半分も飲んでなかった。今だってまだ1杯目が少し残っている。
「フレッド、……お酒弱い?」
「弱くないよー。ワイン飲めるよー」
ワントーン上がった声で彼は笑顔で答える。
いや……駄目だこれ。これ以上飲ませたら確実につぶれるじゃん!飲めないのになぜワイン誘った?!そのまま放っておけばここでの寝落ちは確実!それはまずい!!
「これ以上飲んだら駄目よ?部屋に戻ろうね?」
「やだ!ドリーと一緒に飲む。二人で飲む。まだ飲める!」
ピンクになった頬をプクリと膨らませ、口を尖らせて駄々っ子のようにゴネる。母性本能をくすぐる彼の姿に身悶えそうになりながらも、冷静になれ!と自分に言い聞かせた。こんなところで二人で朝を迎えるわけにはいかん!まだ私、未婚!!!
しかしこれは上手くやらないと反抗しそうだわ……。
「そうね、じゃあフレッドがその残りを飲んだら、もう遅いから終わりにしよう?私もこれ以上飲んだら、明日の顔がパンパンに大きくなっちゃうから」
「いいよー全部好きらからー。ねーえ?」
「……あ、ありがとう」
……愛されてるわ、私。段々言葉がおかしくなってきた彼を温かい目で見始める自分がいる。
あれ?私のほうが上手く丸め込まれていません???
はっ!危ない!本来の目的を見失いかけてた。このふわふわした酔っぱらいを部屋に戻さなければ。
彼に水を持ってこようと、私は席を立ち上がって背を向け、別のところにあった水差しから水をコップに移す。すると突然名前を呼ばれた。
「ドリィ」
さっきまでの雰囲気と違い、急に泣きそうな声で呼ばれる。
どうした?フレデリックはもしかして、お酒を飲むと情緒不安的になるのでは??そんな考えが浮かび、心配で私は振り向いた。
「フレッド?……え!なんで?!」
フレデリックは大きな瞳を潤ませ、本当に泣いていた。




