168.自覚がないのはお互い様
緊張する……。
卒業パーティーの翌日。夕方からは公爵家でもパーティーをやるとお父様がはりきっているため、フレデリックとはその少しから会うことにした。彼もこの後一緒に参加する。他の友人たちも来る予定。
婚約が解消されて、フリーの状態でフレデリックと二人になるのはもう何年前ぶりのことだろう。なぜか心臓がバクバクと大きく音を立ててさっきから落ち着かない。
なんの障害もなくなったからなのか、改めて考えると緊張がおさまらないのだ。
「お待たせ」
「ううん、待ってないわ」
嘘。本当はこの部屋で一時間くらい待ってた。緊張しすぎて準備が早く終わっちゃったんだから。
お互いがソファーに座ると、私より先に彼が口を開いた。
「あのさ……こんなこと聞くのはどうかと思うんだけど。王妃になりたいたかったんじゃないの?婚約解消してよかったの?」
「えっ?!」
彼の言葉に思わずむせそうになった。ち、ちょっと待って。なんでそんな考えになったの?
私、フレデリックの事好きだって言ったよね?!
「この国の貴族令嬢って、それが誉れなんでしょ?だから俺……気持ちはお互い通じてても、ドリーは王妃になりたいだろうから……。だから、好きでもない王子のところに行くのは嫌だったんだけど、それでも王妃になりたいなら応援したくて。ずっと自分の中で葛藤してた」
あれ?
そういえば私、フレデリックに言ったっけ?
『王妃になりたくない』ってことを。
……。
言ってない。
うあっ!嘘でしょ?!好きな人はフレデリックだけど王妃になるためにアレクサンダーと結婚する、って思ってたってこと?!
な、な、なんてこった!またここでも『王妃になることが全ての令嬢の誉れ』とかいう変な教えが浸透していた!!
いや、私もちゃんと言っていなかったしな……。
「あのね、私……王妃になりたくなかったの。王妃になるっていう覚悟が全く無くて。そういう人が、国の母になるのは国民のためにならないもの。アレクサンダー殿下のことは人として尊敬してる。立派な国王になれるとは思っているわ。だけど、異性としての好きはなかったのよ」
「じゃあ、婚約解消はドリーにとっては良かったってこと?」
「そうよ。本当に嬉しいことだから、私のことは気にしないでほしい。そのかわり新規事業の手伝いで忙しくなるけどね」
「それなら良かった」
フレデリックはそう言うと、紅茶を一口飲んで席を立ち、私のソファーに移動する。そして隣に座った。
拳一つ分ほどしか距離を開けずに座る彼との距離に緊張が膨らむ。今の言葉の意味も、考え過ぎじゃないかというくらい淡い期待を込めてしまい、それを誤魔化すように話題を変えた。
「フレッドこそ、まさか叙爵するなんて思ってなかったわよ。それに商会長ってことも」
知らされていなかったことは正直悲しかった。彼にも事情があるのはわかっていたけど、それよりもリンが商会に頻繁に出入りしていて、彼の予定を把握していることも悔しかった。
「親父ももちろん受けないつもりで王宮に行ったんだよ。だけど帰ってきたら急に俺の仕事が忙しくなるって言い出して。気づけば商会長交代の手続きを終えて、冬休み明けには俺が書類上の商会長になってた。あはは……」
「それはまた大変だったわね」
苦笑いをして頭をかいている。思っていたより急すぎる展開に私もつられて苦笑いになってしまう。
「俺だって嫌だったよ。だって今更爵位持ったって意味なんかないし、それならドリーが王子と婚約する前に叙爵したかった。俺にとってはなんの価値も感じられなかった。だけど昨日……俺にとっては青天の霹靂だった」
正面を向いていた彼は、私のほうへ顔を向ける。それが私の視界にも入り、無意識に彼へ目線を向けると、視線が交わった。
「絶対に……もう無理だと思ってた。不謹慎だって言われるのはわかってるけど、俺はそれでも嬉しくて嬉しくて……。もう絶対に手放したくないって決めた」
照れながらも、彼はゆっくりと自分の気持ちを伝えてくれる。その気持ちが嬉しくて、胸の中が温まっていく。
「そして俺も……名前だけは貴族になった。そりゃ公爵家と比べればかなりの下っ端貴族だけどさ。それでも、以前よりはドリーに近づけた気がするんだ」
「私はただの貴族令嬢よ。あなたは当主なんだから、私より立派よ」
実際に名誉男爵は、権力も財産も今までと変わらない。一代限りなので、将来商会長が代替わりすれば平民に戻る。本当にただ名前と名誉だけの貴族だ。
それでもフレデリックが男爵として名乗ることは、小さな頃から彼を見てきた私としてはとても誇らしい。
「じゃあ……権力を使ったお願い、聞いてくれる?」
「ふふ、内容によるわね」
小さく笑って彼を見れば、真面目な顔をしていた。その様子に私も驚いてしまったが、次の彼の行動にもっと驚いてしまう。
フレデリックは私の首の後ろに両手を回す。
そして、一瞬で私の唇を奪った。
驚きすぎて固まる。ハッとして我に返ると、みるみるうちに顔が熱くなっていく。数秒後にその柔らかい感触が離れたかと思うと、目の前の彼も頬を染めて私を見ていた。
「なっ……え?!なん……」
恥ずかしくて上手く言葉が出てこない。恥ずかしいのか、それとも嬉しいのか。私の感情がぐちゃぐちゃになっている。彼の腕が私の肩に乗せられたまま、息のかかる距離で彼は呟く。
「俺、待つよ。何年先になるかわからない。会えない時間が長く続くかもしれない。だけどそれでも俺はドリーがいいの。だから……ドリーも俺のこと、好きなままでいてくれる?」
上目遣いで私を見るフレデリック。憂いを帯びたその大きな瞳は潤みながら、私の視界を独占する。距離の近さに、さっきからずっと胸のドキドキがおさまらない。
「いや……違う。お願い、他の人のこと好きにならないで。ドリーは可愛いからきっとすぐに誰かに好かれるから……」
「大丈夫。淑女らしくないところが私の売りなのよね」
「そんなことない!でもドリーは自覚ないから困るんだよ。俺結構嫉妬するからね?」
もう大人になりかけてるのに、どこかあどけなさを残すその顔で、頬は赤いままふてくされた顔をするフレデリック。
そんな顔しないでよ。小さい子供のように可愛らしく口を尖らせる顔をされると、こっちだって照れてしまう。
「私だって嫉妬してるわ」
「何に?」
「ねえ、気づいてない?フレッドのことが好きな子、いるでしょ。私よりいつも近いところにいるんだもん」
「え?誰?」
わかってないの?!どっちが自覚ないのよ!フレデリックのほうが100倍モテるんだからね!!つい私も頬をふくらませてしまう。
「言わない!自覚ないのはフレッドも一緒なんだから」
「ねえ、そんな顔しないで?ドリー以外眼中にないからさ」
彼は首を傾げながら、笑顔で私に断言する。ふてくされたふりをしたけど、やっぱり彼のその笑顔には弱い。
「本当に?」
「俺何年片思いしたと思ってんの?」
「……信じる」
そう私が言うと、フレデリックは再び顔を近づけて今度は頬に軽くキスをした。彼が作り出すこの甘ったるい空気に恥ずかしがっていると、それが移ったのか、彼も照れ始めてお互い離れた。
「とにかく!ドリーは自覚なさすぎるから気をつけてよ!」
「そのままそっくり返すわよ」
皮肉めいた言葉を言い合って笑う。
アレクサンダーと婚約している時は、フレデリックと会う時はなんとなく後ろめたさがあった。それがなくなっただけで、こんなにもふわふわとした気持ちになる自分にも驚いている。
っていうか婚約解消した次の日にフレデリックとキスしてしまうなんて……。ああ!もう!
髪や手の甲に口付けをすることは愛情表現の一種。手の甲に関しては恋愛感情のない男女間でもよくあることだ。
だがしかし。
フレデリックの感覚と、私の貴族の感覚に差がありすぎて!!
何事もないかのように平然と口や頬にキスしてくる彼に、私は恥ずかしさが暴走寸前だった。
「そうだすっかり忘れてた。今日の朝さ、国王陛下からの信書が来たんだよ。なんだと思う?」
「え?なにか作れとか言われたの?」
「ハンコだよ!4月以降に全貴族に使用許可を出すらしくて、王宮での貴族会議では正式なサインの方法として追加されるんだって!注文が殺到するから気をつけろって来た。あっ、まだ内密だから言っちゃ駄目なんだけどね。どっちにしろ俺も4月から忙しくなるよ」
ええ?!すごい!全貴族がハンコを使うってことでしょ?ついにここまで広がったんだ……。感慨深い。
「さっき言ったこと忘れないで?俺もさらにドリーにふさわしくなれるようにもっと頑張るから」
明確な言葉などない。だけどその先には1つの未来が見えている気がした。
未来のことなど信じていいのか、正直わからない。
だけど、信じたい。
「わかった。私も……待っててほしい」
明らかにホッとしたフレデリックは、気持ちを切り替えたのか、いつもの笑顔に戻った。
「そろそろみんな来るから、準備手伝うよ」
「ええ。ありがとう」
パーティーがもうすぐ始まる。
卒業パーティーが終わったばかりだというのに、みんなわざわざ我が家に来てくれるのだ。嬉しくてしょうがない。
フレデリックと一緒に会場を準備していると、続々と友人たちがやってくる。
友人たち、が。
「なんで誘わないんだ」
「どう考えても立場的に誘えるわけないじゃないですか」
呼んでないアレクサンダーが、ジェイコブやオリバーと共に何事もなくやってくる。ええ、何事もなく。
婚約解消した次の日にその相手を呼ぶなんて客観的におかしいでしょ。
「友人になっただろ。それに、どちらかが悪くて解消したわけではない」
「そういえばそうでした」
お互いふざけて言い合っているのを理解している。だから歓迎した。
それよりこっち。
「今日は、卒業した方々のパーティーなのですが……」
「僕、レベッカ様の婚約者なので当然参加するに決まってるじゃないですか。何を言ってるんですか?むしろ僕がいないのに男性のいるところへレベッカ様を呼び出すのやめてもらえません?非常に迷惑なんですが」
ニコニコしながら口が悪いクリストファーは、レベッカの横から一ミリたりとも離れない。レベッカは無表情で扇子を口元に当てて目をそらしている。どうやら断りきれなかったようだ。
王子兄弟はなんでいつもいつも勝手にやってくるのだろうか。そもそも、あれだけアレクサンダーと私を婚約させようと色々やってたわりに、いざ自分がレベッカと仲良くなったらもう何も言ってこなくなったな。この男、浅はかすぎる。
しかし実は、レベッカに甘えるクリストファーは……可愛いのよ……。彼女が何でも許しちゃうのわかる。
彼の誕生祭でのプロポーズ後、学園で『僕頑張ったので、頭なでてください』ってレベッカに言っているところに遭遇してしまった。ニコルとエミーとヴィオランテの四人でコッソリ見ていたので、二人の可愛さに悶絶した。レベッカに気づかれてめっちゃ怒られたけどね。
あれ?この手法はカトリーナもやってたな。母親は違うのに薄くても父親の血は繋がっているんだって実感する。そうか国王もああやって甘えるんだな!フッ……国王の秘密を1つ知ってしまった気分だ。
「ドロレス、ちょっといいか?」
「なんでしょう」
アレクサンダーに呼ばれると、彼は小さな声で私に問う。
「改めて確認するが、お前の推しはヴィオランテ嬢でいいのか?」
「っ!ええ!そうですわ。彼女は優秀ですし、早めに掴まえておかないともったいないですよ?私と互角なのは彼女くらいですわ」
むしろ彼女以外で王妃の仕事がまともにできる人いないわよ。私の重荷を彼女に背負わせてしまうことを申し訳なく思うが、それを彼女は自ら望んでいるので私は開き直ることにしている。私はあんな責任の重い仕事は、嫌だ!
「お前が言うなら問題ないだろうな」
「変な信頼を置くのやめてもらっていいですか?」
「ちょっといってくる」
「え?」
行ってくるって何?え?『言ってくる』?どっち??
「ヴィオランテ嬢」
「はっ、はい!」
急に話しかけられたもんだから、ヴィオランテはビックリして声が裏返っている。そんなことも気にせずアレクサンダーは話を進めた。
「王妃になるか?」
「へっ?!?!」
ーーーパリン。
あまりのドストレートすぎる言葉にヴィオランテがグラスを落とし、硬直する。彼女、息してる??
彼の言葉。それはつまり結婚前提のプロポーズだ。しかも直接的な。
っていうか彼にプロポーズという自覚がおそらく、ない。ロマンチックの欠片もない。アホ。
「僕は、王妃になる覚悟がある者と婚姻を結ぼうと思っているが、ヴィオランテ嬢はどうだ?誰よりも努力するか?」
「……!はい!もちろんです!この国のために誰よりも努力して国民から支持される王妃になりますわ!ドロレス様になど負けませんわ!」
「そうか。……君なら出来るだろう。学園祭の時の臨機応変な行動も素晴らしかったからな。後で手紙を送る」
「は……い……」
踵を返して立ち去るアレクサンダーを遠くに見ながら、目が大きく開いて驚きの表情のヴィオランテは真っ赤になって震えている。今にも倒れそうだ。
でも倒れなかった。それくらい彼女は成長したのだ。
……なんで婚約解消した令嬢のパーティーに勝手に来て、他の令嬢にプロポーズしてるの?ここの主催が私じゃなかったらあっという間に変な噂が広がってたわ!
そうか、私気づいた……。誰かエターナル・プロミスの製作者に伝えて!アレクサンダーのプロフィールに【天然】って付け加えて!
なんだかんだパーティーはとても楽しかった。
これから忙しくなって、きっと友人たちに会える時間は少なくなるだろう。
それでも、今日のみんなの楽しそうな笑顔を思い出して目の前のやることを全力でやりたいと思った。
評価やブックマーク、感想などいつもいつもありがとうございます。
次話から最終章がスタートします。次話から、7時と17時の1日2回更新です。
次は恋愛章です。一応ジャンルが恋愛なので……笑。
次話の【登場人物】にて、第四章のあらすじを入れています。詳しくはそちらをご覧ください。
どうか最後までお付き合いください。




