166.友人
「そうだな。だが信じていないのだろ?もしそなたの体が治ったとしたら、ナバス侯爵一族は今後の国へのさらなる忠誠と、ドロレス嬢を二度と疑うようなことはしないか?」
「……もちろんです」
貴族派筆頭に向けた『国へのさらなる忠誠』。
それは、ナバス侯爵を含む貴族派全てに対し、二度と王族に楯突くなという意味だ。彼はそもそもあの状態の体が治ると思っていないのだろう。
「ドロレス嬢よ。やれるか?」
「はい」
国王に名指しされた私は再び赤い絨毯に足を踏み出した。ナバス侯爵もゆっくりと前へ出て、誰もが見える中央で向かい合わせになる。
「失礼します」
私は彼の動かない横半分に触れ、強く願うと水色の光が彼の体を大きく包んだ。
「うわっ!な、なんだ!?」
「落ち着いてください」
離れようとする彼を必死に掴みながら彼に力を注ぎ、やがてその光が消えると私の掴んだ手が緩み、彼はその場に倒れた。
「何だったんだ……さっきの光とはまた色が違って」
「あなた!足!」
「え?えっ?!」
奥から侯爵夫人の声が聞こえ、それとともに自らの足で立ち上がったナバス侯爵が驚いて再び尻もちをついた。
「な、治ってる!治った!うぁぁー!歩けるぞ!」
驚きと喜びが混じりながら大声で夫人の元に駆け寄り抱きしめあっていた。夫人は大泣きしている。
「ナバス侯爵」
「……っ、はい」
国王に促され、彼は国王のすぐそばの階段の下まで行くと、膝をついた。
「フェルタール王国、そして王族へのさらなる忠誠をこの先当主が変わろうとも我が家一族は誓います。そしてジュベルラート公爵令嬢殿。先程は失礼をいたしました」
彼は私にも頭を下げた。
彼は貴族派ではあるが過激ではない。下の家格の者の面倒もよく見ており、同じ派閥からは慕われ尊敬される貴族だ。そんな彼が跪いて忠誠を誓うのなら、それに異論を唱える者などいない。
国の力関係が大きく王族に傾いたのだ。
そんな私たちの一連の流れを見ていたユリエは、もはや叫ぶ気力もなくなったのだろう。憔悴した顔をしている。
「ドロレス嬢こそが【治癒の力を持つ女神】だ。その平民は多くの罪を犯したため、牢に入れておけ」
大人しくなったユリエを連れて行こうとした瞬間。彼女を掴む護衛の力がほんの少しだけ弱くなったのか、なんとその隙に拘束を振り切ったのだ。彼女は大人しく装っていただけだった。
口に詰められた布を外し、ドレスを捲り上げながらこちらに向かって走り出す。
そのドレスの中から、光った物が見えた。それを彼女は手に持ち、私めがけて叫びながらやってくる。
「ふざけんな!処刑されないなら私が殺してやる!私に力を返せっ!!」
小さな短剣をこちらに向け、ユリエは一目散に走ってきた。私の名前を叫ぶ声が周りから聞こえる。
私は驚いてしまい動けない。恐怖を感じた時に動けなくなるという話は本当だったんだ。
なんでこうなった?それほどまでに私をここから消したいの?
私を消したってゲーム通りにはならないのに!いつまであの子はここにいる人たちを人間として見ようとしないの?!
目の前まで来た短剣の切っ先にもう駄目だと感じ、目を瞑る。
「うっ」
……痛みも何もなかった。
その代わり、小さな唸り声が聞こえる。
おそるおそる目を開けると、太い腕で視界が遮られていた。
「あ、あんた誰?!」
この人は叫ぶユリエの腕を掴んでいるが、目の前の腕からは血が滴り落ちる。
ユリエの短剣がこの人の腕に刺さっていたのだ。
「こいつに恩があるんでな」
その声にハッと気付いて、私は腕の先にある顔を見た。
「サ、サフィ?!」
軽装の護衛のような格好でいる彼に驚きしかなかった。口元を隠していた防備が外れ、顔が見えている。
なんでここにいるの?!どうして?!
って、それどころじゃない!怪我!
「貴族への殺人未遂罪とする!」
ユリエは再び他の護衛に拘束され、今度は手足に縄をかけて完全に身動きを封じたあと、奥へと連れて行かれた。
私は周りのことなど気にせずに、座りこんだサフィの腕に刺さった短剣を抜き、血が溢れ出る傷を手で覆った。
「高そうな服、汚れてるぞ。もったいねえ」
「黙ってなさいよ!なんでここにいるの?いつからいたの?!」
「最初から近くにいたけど気づかないもんだな」
血が私のドレスに何箇所も滲む。痛そうな顔をしているのに、軽口を叩くサフィ。それを大声で制止し力を発動させた。
どうして?だって牢にいたよね?そんな彼がこんな貴族だらけのパーティーにいるってどういうこと?
水色の光に包まれたあと、傷跡すら残らないその腕に彼は目を大きく開き、笑った。
「すげぇ……言ってたとおりだ」
「なにが?!っていうか馬鹿じゃないの?!あんなことしたら二度と子どもたちに会えないかもしれなかったのよ!」
「あいつらが元気でやってくれれば俺はそれでいいんだよ」
怒る私を余裕な顔をしてかわすサフィ。彼はそう言うと立ち上がり、他の騎士らに声をかけられた。だけど特に拘束されるわけでもなく並んで去っていく。
この一瞬に色んなことがありすぎて私の頭の中が混乱する。
落ち着かないのは私だけではなくホールの人たちもだが、国王は話を切り出す。
「今後、あの女を【治癒の力】とは関係のない人物とする。反対する者がいるならば意見を聞こう」
国王の言葉に、誰もが静かに耳を傾け、反対などしない。あのような気性の荒さを露呈した彼女に援助をしようとするならば、それは国への反故とも取れるからだ。
私は再び命の危険がなくなったことでホッとはしたが、それでも複雑な思いである。
私が望んで授かった力ではない。
本来ならユリエが持つはずだったのだ。彼女が力を持ったら、この先の未来はどうなっていたのだろう。
……私は多分、彼女の思うがまま処刑されていただろう。
安心と同時に申し訳無さが頭の中をグルグルと回っている。彼女だって、ヒロインとして来たならヒロインして生きたかっただろうに。
義務教育が終わる前に召喚されてきたユリエ。私は大人になってから転生させられたけど、彼女はまだ社会にすら出ていない少女だ。なんとか助かる手立てはないのだろうかと、これから考えるしかない。
私が死んだら絶対に神様に文句言ってやるんだから!!
その後、次の国王の一言にまたしてもホールにどよめきが起こる。
それは、私がずっとずっと待ち望んでいた内容だった。
「【治癒の力を持つ女神】は、この国で治癒師として働いてもらう。故に、王妃にすることは出来ない。よって、双方が納得するならばこの婚約は解消とする」
そうか。国王はきっかけを作ってくれたんだ。
騒がしい周りの声など耳に入ってこない。
やっと私もこの重荷から解き放たれる嬉しさで体が軽くなっていた。
「それはおかしいです!」
「ナバス侯爵。まだ何かあるのか?」
さっき忠誠を誓ったナバス侯爵が再び意見を申し立てた。
「【治癒の力を持つ女神】なら、むしろ王妃になるべきではないのですか?!彼女は特別な存在です。それを婚約解消などと……。どちらかに大きな問題でもあるのではないですか?何か他に理由があるのでは?」
ちょっと!!今いい感じで国王が断言してくれたのになんで邪魔するの!!やめて!穏便に解消させて!
「この二人は、学園三年間で同率首席だ。それにその他にも問題はない。むしろ認めている」
「ではなぜ?婚約解消などおかしいです」
小さな声で周りも彼に同調し始めた。
それを待っていたかのごとく、国王が笑顔で口を開く。
「では、【治癒の力を持つ女神】が王妃にふさわしい、と?」
「はい。国のさらなる繁栄のためにそれが一番です」
断言するナバス侯爵。
国王……お願い、取り消さないで!そのまま婚約解消させて!
「では聞くが、そなたがもし再び事故や病気で医師の手に負えない状態なら、ドロレス嬢に頼りたいとは思わぬか?」
「それはもちろん!」
「ならば。公務で王宮を、国を離れていたらどうする?それがパーティー当日で、何台も馬車が連なる道が渋滞していたらどうする?王妃に会うための謁見許可も取らず、どうやって会うのだ?何時間も血を流しながら待つのか?そなたも王宮に出入りしているのだから、私達の忙しさは知っているだろう?」
「それは……」
「だが、国の治癒師として教会にいてくれるのならどうだ。謁見の許可を取る必要もない。それとも王妃と治癒の仕事を掛け持ちさせるか?王妃が治すとなればその価値を付加するために費用だってかかる。激務の末彼女が倒れたら、死んだらどうする?この国唯一であり、二度と現れないだろう治癒師だぞ?どちらがいいと思う?」
「……」
ナバス侯爵は、それでも王妃に、とは言えなくなっていた。実際に事故に遭った当事者なら、その仮定がとても良く理解できたのだ。
「皆もどうだ。どちらのほうがいい?【治癒の力】を持つ者が王妃になり、なかなか会うことができなくなるのと、教会でいつでも治癒が受けられる状態。今は何も感じないかもしれないが、自分や家族が死ぬ瀬戸際にいることを考えてみろ。どちらが女神の有効的な使い方なのか」
国王の問いに、声を上げる者はいない。王妃に会うのは事前に許可がいる。そんなことをやってる暇があるなら、教会に行ったほうが早い。
つまり、もう皆の意見は決まったようなものだ。
私は一歩前に出て、頭を下げる。
「その提案、謹んでお受けいたします」
こんなチャンス、私が逃すわけがない。国王自らが、誰もが納得せざるを得ない状況を生み出し、そして私が答えられる場を設けてくれた。
私はどれだけこの世界の人に救われたのだろう。感謝してもしきれない。
みんなのおかげで、私は今、自由になれるのだ。
婚約解消に関する醜聞なんて、気にしなければいい。広めてくれればいい。
責任のある立場には、きちんと覚悟がある人がなるべきなのだ。
「アレクサンダーはどうだ」
国王は静かに問いかける。少しの沈黙の後、アレクサンダーは決意を込めた言葉を発してくれた。
「彼女はこの国の治癒師として、有効的な場にいるべき人です。陛下の提案に異論はありません」
「双方の確認が取れた。では、本日をもってアレクサンダーとジュベルラート公爵令嬢ドロレスとの婚約は解消する。すぐに手続きをしよう」
国王の言葉で、この話が終わりを迎える。
顔を上げ、周面を見るとアレクサンダーと目が合う。彼は少し微笑んだあと、目を伏せた。
「しかし優秀な人材を逃すのは私としても、国としても困る。そこでドロレス嬢には今後ウォルターの補佐としてしばらく一緒に新規事業へ関わってもらう。これは命令だ。拒否権はない」
「かしこまりました」
国王が今話した内容は全て前回聞いていた。……まさかここで宣言されるとは思わなかったけど。おかげで、ウォルターに近づこうとした令嬢たちの視線が痛い。結局こうなるんかい!私どれだけ王族に関われば気が済むのよ……。
「本日は以上だ。このあとは卒業パーティーがある。解散しよう」
私がずっと願っていた婚約解消は、思っていたよりあっさりと終わった。あれだけ悩んでいたのに、さっきの一瞬で決まったのだ。国王の一言はとても重い。
「ドロレス」
後ろを振り返る。声の主はアレクサンダーだった。少しだけ息が上がっているのは、走ってきたからなのだろうか。
「本当に、……最後だな」
「そうですね」
「……いや、僕はちゃんとドロレスのことを諦めたからな?今更後悔するなよ」
「フフフ、しませんわ」
わざとらしく言う彼に思わず私は笑ってしまう。
「その……友人として、これからもよろしく頼む」
「国王が友人だなんて、周りに自慢しちゃいますよ?」
「ああ、それで構わない。レベッカ嬢やニコル嬢、エミー嬢も今までずっと僕に気を使わせずにいてくれたな。彼女たちと合わせて、女性の友人は四人だけだな」
「皆さんに伝えておきますわ」
「いや待てよ?あの三人が喜ぶとは思えん。ニコル嬢なんかきっと『しょうがないからなって差し上げますわ』とか言いそうだな」
「ぷっ!アレクサンダー様、物真似上手すぎですよ」
「……呼び名も元に戻ったか」
「当たり前じゃないですか。婚約者だけの特権ですよ」
「ドロレスは全然嬉しそうにしてなかったけどな」
「……」
少しだけ気まずくて視線をそらした私だったけど、微笑んだ彼は手をスッと差し出した。私はその手を握り、友人として握手をした。
今までは婚約者として、これ以上の距離を縮めたくないと思っていた。
だけど今は、本当に心から彼と友人として仲良くしていけるような気持ちである。
「とはいってもこの後最初にダンスを誘うぞ」
「え?!」
「最後なんだから、最大限に王族の権力を使ってやる」
ニヤリと笑ったアレクサンダーは先にこの場を立ち去っていった。
このくだけた会話も婚約者のままだったら絶対になかっただろう。
不思議なもんだ。縛り付けられてないだけで、こんなに心に余裕が生まれたんだもん。
まあ、理由はともあれ私は婚約解消された身。今後はメンタルを鍛えなければ。
そう決意した私の耳に、ずっと話したかった人の声が聞こえた。




