165.大事なことを忘れていた
彼女がその言葉を放った瞬間、全員の視線が一斉にアレクサンダーへと向いた。しかし彼は表情を変えずに壇上に立っている。
私は、ユリエを見る。
ジェイコブからウォルターのルートの話を聞いていたのでそれに関しては冷静でいられた。
ゲームではそういう流れがバッドエンドとして設定されているらしい。真の第一王子のウォルターの存在が邪魔で暗殺する、と。
だから、ウォルターをハッピーエンドで攻略するときにアレクサンダーの好感度を最大に攻略しないといけない理由も頷ける。
だけどこの先アレクサンダーがウォルターを殺すというのは、絶対に起こり得ない。
断言できる。
彼ら二人の関係性はむしろアレクサンダーのほうが嬉しくて歩み寄っている。殺す理由など皆無だ。
そんな中ユリエは、次期国王であるアレクサンダーが真の王子であるウォルターを殺すと、こんなにも大勢の前で発言したのだ。
彼ら二人のことを知らない人たちからは、今回ばかりはユリエの意見を否定しない人が多かった。まだ起こっていない出来事とはいえ、無きにしもあらずな内容。
たくさんの声が聞こえてくる。
「そりゃ、魔力がある人間がいたらいずれ国王の座を奪われるかもしれないしな」
「邪魔者は消したいってこと?」
「自分のために本来の第一王子を殺そうとするなんて暴君じゃない?」
「そんなことをしたら自分だって国王の座に就けなくなるのに……」
今までユリエのことを馬鹿にしていたくせに、内容が内容だけに話のネタとして大きな盛り上がりを見せた。直接関係のない大人たちはそういう話が好きなのだ。
壇上のウォルターは少し落ち着かない様子で目を彷徨わせていたが、アレクサンダーが大きく呼吸をすると、冷静に口を開いた。
「これは、何だかわかるか?」
アレクサンダーが小さな箱を護衛から受け取るとその箱から何かを取り出す。
彼の手のひらには、この世に4つしかなく、私も持っているものがあった。
「皆に見せてやろう」
アレクサンダーは階段を降り、ユリエを鋭い目つきでにらみながら通り過ぎると、手のひらの中のものを周りに見えるように持ちながら赤い絨毯を端から端まで歩いた。
「ヨルティー子爵」
「ふぁ……はい!!な、何でしょうか……」
ちょうどアレクサンダーが止まった所にいたため、いきなり話しかけられたヨルティー子爵は驚いて舌を噛みながら返事をする。まだ若い貴族が王子に直接話しかけられ、ビクビクと震えている。
「これを持ってみろ。これは何だ?」
「は、はい……これは、ネックレスで……檻の中に、魔石が入っ……魔石?!」
思わず大きな声を出したヨルティー子爵は慌てて口を抑えるも、アレクサンダーはそのまま話せと促した。怯えながら自分の手に持つものを説明する。近くにいる貴族たちは必死に身を乗り出した。
「私達が持っている魔石のように石留がついていません……ついていないのに魔石のままです。どうやって作ったのですか?」
石留が付いていない魔石に驚く周囲の大人たち。
【魔力制御】をかけた石留を付けなければ、魔石は触れない。
魔石に2回目の【魔力制御】をかければ石になる。
じゃあなぜ今この子爵が持っているネックレスは、石留を付けずに魔力を宿したまま繊細に作れるのだろうか。
その答えはアレクサンダーが全員に聞こえるように伝えた。
「ウォルターが私のためにわざわざ作ってくれたネックレスだ。こんな繊細な加工を出来るのは直接魔石を触れる事ができる彼だけだ。彼の手で、石留をつけない魔石を使って制作してくれた。ウォルターは王位継承権を破棄と共に、私への忠誠としてこのネックレスを贈ってくれたのだ」
「そんなっ!そんなわけない!ウォルターが貴族になったら死ぬのは決まってる……ぐっ」
アレクサンダーの話に割り込んで叫ぶユリエは、ついに護衛から布を口に噛ませられて喋ることが出来なくなった。そんな彼女のことなどいないかの如く彼は話し続ける。
「忠誠を誓ったウォルターを、なぜ私が殺す必要がある?それに【召喚の儀】はすでに終わっているのだ。魔石を王宮に持ってくる必要だってもうない。信頼の上にこの特別なネックレスを受け取っている。それでも私が彼を殺すと思う者はいるのか?」
さっきまで嫌味な言葉を放っていた大人たちが黙り込む。反論ができないのと同時に、どこにも売っていない魔石のアクセサリーに興味津々で凝視している者もたくさんいた。
もう大丈夫だろうと悟ったアレクサンダーは壇上へと戻る。
すると国王が、とんでもないことを言い出した。
「【治癒の力を持つ女神】よ。1番の目的である、私の呪いを解いてはくれぬか」
目を瞑っだ国王が低い声でゆっくりとそう告げた。
私は今日、2つ気づいたことがある。
1つ。これはきっと、私が行かなくちゃいけないのよね……。このために、今日のこの場を用意したのではないだろうかと。
そしてもう1つ。
最初のユリエを見て思い出した。
呪 い 解 く の 忘 れ て た。
すっかり忘れてたよ!!そのための【治癒の力】なのに!!
だから先日王宮で、「何か忘れてないか?」って聞かれたんじゃないの?!うわー……私、国王が死ぬのわかってて呪い解くの忘れるとか最悪すぎるわ!!
だって国王の誕生日って4月だよね?!もうすぐじゃん!!!
ってゆーか国王も早く言ってくれればよかったのにーーー!!!
ふぅ。
そんなことを一瞬で考えた私だけど、これはもう行かなくてはいけない。正直呪いの解き方がわからないけど、力を授かったんだからきっとなんとかなるはず。
何が始まるのかがわからない貴族たちはヒソヒソと囁き合う。【治癒の力を持つ女神】は目の前で拘束されているのだから。その彼女は何か叫んでいるようだが、口に挟まる布のせいで言っている言葉がわからない。
落ち着かない心臓を手のひらで押さえる。
大丈夫よ、私。
ゆっくり深呼吸をして、一歩を踏み出す。
王族まで続く赤い絨毯につま先を乗せた瞬間、ホールが静かになった。そして再びヒソヒソ話が雑音として耳に入る。国王は静かに私に問いかけた。
「ドロレス嬢。そなたにできるのか?」
大きく息を吐く。
「はい」
驚きと怒りが交じる顔でいかにも飛びかかってきそうなユリエを通り過ぎ、国王の元へと辿り着く。国王は、私の目を見て優しく微笑んだ。両手が差し出される。
「頼むぞ」
「がんばります」
国王の両手に手を重ね、強く願う。
ーーー呪いよ解き放て!
ピカッ!
その瞬間、ホール全体が金色の光に埋め尽くされ、目の前の国王すら見えなくなる。周りの声すら聞こえない。
眩しくて目を瞑った私に、もう聞かないだろうと思っていた声が聞こえた。
『これで呪いはもう残らない!全部解けたよー!色々ズレたけど、見てて面白かったよー!これからも楽しませてねー!』
声は向こうからの一方通行だった。話しかけることもできずにそう告げられ、ハッと我に返るとその瞬間に光が消えた。全員が今の状況に混乱している。
ねえ、ズレたっていうのは力を与えるタイミングが私になったこと?ユリエじゃなくて私に力が備わったことをずっと見てて楽しんでたってこと??
神様が色々やらかしたせいで、こっちは大変な思いをしたのに……全ての悪の根源め!!色々大変だったんだから!色々と!!
怒りが湧いてきて、冷静でいることを忘れそうになる。
「なにか……ハッキリと言葉はわからなかったが……あれが神の声なのか?」
「国王陛下にも聞こえました?私が過去に聞いたのもこの声です。呪いは解けた、もう残らない、だそうです」
言葉は聞き取れなかったようだが、どうやら国王にも神様の声を認識できたようだ。目を見開いて驚いて自分の両手を見つめていたが、急に小さく笑い出す。
「あっ、あはは……そうか。これで私はまだ生きられるのか。まだ妻と共に生きていけるのか。息子たちの成長を……孫を、見られるのか……」
少しだけ目を伏せた国王。その直前、彼の目は今にも零れそうな涙で溢れていて、それはそのまま雫となって彼の両手に落ちた。その様子で私も落ち着きを取り戻す。
国王、いや、呪いをかけられた先代の国王は全員、生まれた瞬間に死ぬ年齢が決まっていた。それはウォルターもそうだ。
短い人生の中で父親は必ず35歳前日で亡くなり、若いうちに国の頂点に立たされ、世継ぎを早く産ませなければならず、そして自分の子供の成長も、孫の顔を見ることも叶わぬまま死んでいくのだ。例外などなかった。
それが当たり前で、この国の誰もが知ること。
だけど、もし私が彼の立場だったらどう思う?
国の重い責任を追うと同時に、確実な死への恐怖で苦しむのではないだろうか。
死ぬのがわかっているのに、家族を作らなければいけない。
愛する者たちを残して自分は死ぬ。
若い自分の息子に国を任せなければならないのに、それを助けることすらできない。
歴代国王の精神的な苦しさ、辛さ、悲しさ、悔しさ。
それがようやく……解き放たれたのだ。
神様の声は私と国王しか聞こえていないらしく、何があったんだとホールが騒がしい。王族の人たちですら、未だに驚いていた。
国王に両手を掴まれる。そして少し引っ張られると、国王は小さな声で私だけに聞こえるように話す。
「【治癒の力】があることを伝えてくれて……私をまだ生かしてくれて感謝する。君ほどの者を王妃から外すのは、本心では最後まで悩んでいたが、ようやく決心がついたぞ。君には私達家族を何度も助けてもらった。周りが落ち着くまでは少し事業に専念してもらうが、私は敵ではない。それは覚えておいてくれ」
私は国王の顔を初めてこんなにも近くで見た。
ウォルターと同じように鼻筋や顎のラインが綺麗で、アレクサンダーと同じキリッとした目とストレートの髪、そして微笑んだときのクリストファーと同じ薄い色の瞳と目尻の下がる顔。
本当にこの人は、三人の父親なんだ。
私は国王から手を離すと、カーテシーをしてそのまま元いた場所へと下がる。周りの貴族からの強い視線を浴びていたが、国王の言葉で視線はそちらに移った。
「ジュベルラート公爵令嬢ドロレス。彼女が1年ほど前に【治癒の力を持つ女神】を授かるというお告げがあった。その力が本当かどうか確認するために今日のこの場を設けた」
「なんだって?!」
「そんなことあり得るのか?」
「ただの令嬢じゃないか!」
「今、彼女の力を見ただろ。私は神の声を聞いた。『呪いは解けた』と」
信じられないといった様子のホールの人々が、私を睨む。
私だって、この力を授かったと聞いたときは信じられなかった。
だって間違って転生されられた上に力を持っちゃったんだもん。そんな睨まれても困るんですけど!私じゃなくてこの国の神様に文句言ってよ!
「国王陛下!発言をよろしいでしょうか!」
一人の男性が手を上げた。
「許そう」
「ナバス侯爵当主のトルスティです。私は今日、この動かなくなった手と足を治してもらうために来ました」
第二王子派閥寄りの家であり、王族の絶対権力を否定し、貴族にも権力をと唱える、いわゆる貴族派。その筆頭である。
彼は杖をつき、半年前に事故で左半分が動かなくなったことを説明した。隣では妻と思われる女性が支えている。私もそんな噂は聞いていた。
「医者にはもう動かないと言われました。【治癒の力】ならこれも治せるかと、期待を込めてやってきました。ですがどういうことでしょうか?召喚された女性ではなく、私達と同じただの人間である公爵令嬢が力を持つと?そんなこと、あり得るわけがないでしょう」
先程の金色の光を全員が目撃したものの、彼の言ったことはここにいる全員の頭の中に浮かんでいる言葉だろう。それを彼が代弁したようなものだ。
「私が嘘をつくとでも?」
国王の鋭い目線が彼に向く。
「そういうことではありません。現実的にありえないからです。本当にそうなのでしたら、今すぐこの動かなくなった体を動かしてほしいのです」




