162.まだ諦めていないらしい
学園卒業まであと一ヶ月を切った。
お兄様の結婚式も終わり、ベティーナは公爵邸に住んでいる。
毎朝真っ赤な顔でいるのはおそらく、毎夜お兄様の愛の囁きを受けているのだろう。自分の家族のことなのに、私まで恥ずかしくなりそうだわ。
私はというと、結局決定的な婚約解消の話が出ていない。
明言はないが、確定だということはわかった。
王妃教育から、学校事業の勉強に変わったのだ。
これはもう、いいんだよね?喜んでいいんだよね?!
嬉しい。これで私、王妃にならなくていいんだ。抑えきれない感情が心の中を埋め尽くした。
王妃。
元々王族ではない女性が嫁いで入るわけだから、相当努力し、苦労した上でそこに立っている。
男性が政治的なことを話すのが当たり前だとしても、女性は主に書類仕事が多い世界。そんな中で王妃にでもなれば、その男性の会話の中に入らなければいけない。しかも対等に、同じ情報量を持って。
それがどれだけ難しいことか。直接その仕事に関わる男性と、書類や勉学でしか学ばない女性。
1つでも言葉を間違えれば、あっという間に変に尾ひれがついて広がるし、王族への信頼にも関わる。
それほどに王族の発する言葉は重い。
だけどアレクサンダーは自分の母親である王妃を褒めていたことがある。
彼がそう言うくらいなのだから、とんでもない量の勉強をしたのだろう。
私には、無理だ……。
「はぁ……良かった」
ランチが終わり、教室に帰る私はポツリと呟いた。
私、学園を卒業しても忙しいんだよね。
フレデリックは最近商会が忙しく、放課後はティータイムを一緒にすることはなくなった。きっと夏に向けて氷庫の量産があるのだろう。かき氷機も頼んじゃったし。
もう少し、彼との学園生活を楽しみたかったな。
そんなことを思いながら教室に入ろうとした瞬間、手首を掴まれた。
「ねえ。話があるんだけど」
掴んだ手の持ち主はユリエだった。私が一人になったタイミングでどうやら声をかけたらしい。
「何の話かしら?」
「二人で話したいの」
「ここでは話せない内容の?」
廊下にはチラホラと生徒が歩いていて、私達二人のことを横目に通り過ぎてゆく。
「いいから!あんたの命に関わることなんだから、こんなところで話されたくないでしょ?」
ということはアレクサンダールートってことよね。面倒だけど、二人きりにならないと話が進みそうにない。
私は言われるがまま、人の少ない中庭に移動した。
「あんたさ、何で私のこと虐めないわけ?」
腕を組んで高圧的な態度を取るユリエ。初っ端から直球の質問に驚いてしまう。
「何を言ってるの?なんで私があなたを虐めるの?」
「それは……もうすぐ私とあなたの立場が入れ替わるからよ」
……なぜそう思った?
あれだけアレクサンダーに避けられ、接近禁止令も出されているのに、なぜ?
「どうしてそう思うの?」
「私にはね、秘策があるの。国王陛下にも許可をとってるんだから。私が望むルートに一気に逆転するんだからね」
アハハと笑う彼女。
「何が言いたいのかわからないけど、それが私の命と何の関係があるのかしら」
ユリエが言ってるのは、多分卒業パーティーの断罪のことだろう。そして国王の許可も、ウォルターを王宮に連れてくる話だと思うんだけど、それもう無効なんだけど多分気づいてないわよね……。
そもそも断罪される理由もないし。
「私が王妃につくのはもう決まってるの。そうなればあんたは処刑なの。これはね、決定事項なんだから」
私は頭が痛い。
プレイヤーとして言わせてもらうなら、誰の好感度も上げていないのになぜハッピーエンドになると思っているのだろうか。
脳内お花畑も結構キツいが、ゲーム絶対主義なのも話がややこしい。こうすれば絶対ああなる、というわけのわからない固定観念に縛られている。
これならお花畑ヒロインのほうが良かったかも。
「最近クラリッサとは一緒にいないみたいだけど、どうしたの?」
その言葉に彼女の目つきが変わった。
「あんなブス知らない。せっかく貴族として暮らしてるのに、アイツ、自分の親を売ったんだから。女神の私がいるのにそんなことするってありえないでしょ!」
「たとえ親だろうと、法律を犯しているなら報告しないといけないのよ」
「バレなきゃいいじゃん。どうせあの男爵家なんて私の人生に関係のない家なんだから!それより私は時間がないの!」
実際に世話になったかは知らないけど、現に1年近く養女として入ってるのにほんの少しの感謝の気持ちもない。だいぶ迷惑かけてたってのに……。
「とにかく!あなたは100%死ぬから。死にたくなかったら私のことを敬えって言ってんの。そして卒業パーティーで、死にたくないと土下座でもすれば?」
「そんなときが来たら、やりますわよ」
「アハハ!楽しみにしてる!」
そう言って、笑顔でユリエは帰っていった。
何だったんだこの時間……。結局何が聞きたかったのかもわからん。
あの子ガチで、必ずどれかのルートでエンドを迎えるんだと思ってるわ。
1年以上もいて、周りの攻略対象者の態度で何も察してないのかな。
いや私もアレクサンダーとの婚約云々に縛られていたから、人のことは言えないのか?いや、それとこれとは別か。
学園が休みの日、私はルトバーン商会へ行った。出来上がったかき氷機を取りに行くためだ。
フレデリックと少し話したいと思っていたのに、どうやら支店に出向しているらしく会うことはできなかった。
「あ、ドロレス様!」
商会の奥から聞いたことのある声がする。
「リン?どうしてここに?」
「私、たまにフレデリックさんの手伝いに入ってるんです。最近フレデリックさん忙しくて、ほとんど商会にいないんですよね」
「そう、なのね」
少し、胸の中が苦しくなった。私は全然話もできなかったのに、リンはここに通っていたんだ。そして商会のみんなもとても親しそうにしている。
私も会いに来ればよかった。
彼の近くには、彼のことを好きな女の子がいる。
商会ぐるみで仲良くしてるなら、私は入る隙間なんて無いのかも……。
「いつも手伝いしてるの?」
「はい。その……フレデリックさんに認めてほしくて。もう卒業してしまうと学園では会えないので。ここでならいつでも会えますから、来年度からは商会だけでも一緒にいたいな、と」
目を彷徨わせながら、頬を染めてそう教えてくれたリン。やっぱり彼女はフレデリックのことを……。
「そうなのね。……でも勉強も頑張らないと、費用免除の条件から外れたら大変よ」
「もちろんです!」
少し厭味ったらしく言ってしまったことにすぐ反省した私だったが、それに笑顔で返事をする彼女。
私はいたたまれない気持ちになり、その場をすぐに立ち去った。
数日後。授業終わりに中庭でフレデリックから声をかけられる。
「この間商会に来てたんでしょ?ごめん、いなくて」
「平気よ。頼んでいた商品を取りに行っただけだから」
「そっか……あのさ」
彼は少しだけ黙ったあと、周りを見渡してポケットから小さな包みを出した。
「もう、直接渡せなくなるかもしれないから。俺からもドリーにプレゼントしたくて」
私はそれを受け取る。中を見れば、とても小さなピンク色の石がついたブレスレットが入っていた。
「宝石って高いんだね……。知ってはいたけど、いざ自分が買うとなれば感覚が全然違ったよ。1つしか買えなかったし、小さくてごめん。でもブレスレットは作ったから!」
頭を掻きながら照れくさそうに笑うフレデリック。
「ありがとう……。大事にする」
私が持つ宝石の中で何よりも大切で、絶対に手放したくないプレゼントだ。
「つけていい?」
「うん!あっ、俺がつける」
彼は私の手を取り、そのブレスレットをつけてくれた。小さいながらも光に当たれば輝くそれを、私は眺める。
私はこんなにもたくさんのものや気持ちを彼からもらっているのに、何かを返せていたのかな。
自分だけ、満足していたんじゃないかな。
「私もなにか宝石をフレッドにあげたいな」
「……俺はいらないよ。横で笑ってくれていただけで全部宝石みたいな輝く思い出になったからさ」
小さな声で、全部過去形の言葉でそう話してくれた。
私は、今はまだハッキリと言えない言葉を選んで彼に伝える。言っていいのかわからない。だけど、ここで言わないと駄目な気がした。
「フレッド。……もう少し待って。もう少しでちゃんと言えるから」
一瞬、彼は不思議そうな顔をしていたが、だけどすぐに笑顔になった。
「うん。それに俺も言いたいことがあるんだ。その時が来たら話すよ」
「ええ。わかったわ」
彼も私と同じく、何かを抱えているようだ。お互い様だと言って、特に詳しく聞こうとは思わなかった。
「最近忙しくてあんまり会話ができなかったこと、少し寂しかったのよ」
そう口にして、ハッと我に返る。心の中で思ったことを無意識に呟いてしまったのだ。
慌てて口を押さえるも、もう遅い。一気に顔に熱を感じ、恥ずかしくなる。
気がつけば、目の前にフレデリックがいた。口を押さえた私の手を掴んで離す。
「俺だってそうだよ」
彼は手のひらを私の頭にポンと優しく乗せると、そのまま髪を撫でるように手をおろした。
見上げると、視線がぶつかる。お互いが微笑んで、そして離れた。
「俺、頑張るから」
最後にそれだけ言って、フレデリックは帰っていった。
手首につけられたブレスレットをそっとなぞる。
婚約が解消されたあと、私の生活がどうなるかはわからない。
もしかしたらフレデリックに会う時間なんて今よりもっと少なくなるかもしれない。
そんな時にはこのブレスレットに触れれば、きっと元気が出る。
そんな予感がして、私はそのブレスレットがついた手首を空にかざした。
あと一週間後に卒業パーティーを迎えた今日。
またしても職員室が騒がしい。そして、声の主からして、間違いなく彼女だろう。
そっとドアの近くに行く。
「ふざけないで!停学なんてありえないでしょ。私が何したっていうの?」
「だからさっきも言ったでしょ。テストで最下位を2回取ったら停学なのよ。本来はね、努力してもビリな場合はこれを適用しないことが殆どだけど、あなたは前期も後期もテスト当日ずる休みしたでしょ。むしろそれでよくそんなに怒鳴ることができるわね」
「んなもん受けなくたって私は結婚できるんだから、停学を取り消してよ!私は貴族で特別な女神なの!こんなところで停学くらってたら結婚出来ないじゃん」
「は?結婚の話なんてしてないわよ。それにあなたは平民。貴族じゃないの。あなたの養父が爵位剥奪されたんだから。それにね、先生に対してそんな口を聞くのは失礼よ」
「先生なんて、どうせ私のこと見下してるんでしょ?私が訴えれば立場を無くすんだからね。国王陛下に言ってやるから」
「とにかく。停学なので卒業はできません。恨むなら自分を恨みなさい」
そこで会話が終わった。ユリエの叫び声は聞こえていたが、その後先生たちに職員室からつまみ出されていた。
私はそっと隠れる。……危ない、見つかるところだった。
壁を蹴ってそのまま立ち去ったユリエ。
まさかとは思うけど、まさか国王のところに行くんじゃないわよね?
いやさすがに会わないか。だって今のユリエの身分、平民だし。それで簡単に会えるほど国王も暇じゃない。
そう思っていた次の日、アレクサンダーから「ユリエが父上と昨日謁見した」と聞かされた。




