160.心苦しいのでもう嘘はつきません
カチャカチャ。
あ、誰か来てくれたのかな。ポケットから取り出した懐中時計を見れば、開演時間がちょうど過ぎたあたりだった。そんなに早く誰が来たの?終演してからだと思ってたのに。
「……え?」
「フレッド?!なんでここに来たの?」
思ってもいなかった人の登場に、私は驚く。なんでフレデリック?
「いやいや、ドリーこそなんでこんなところにいるの?ジェイコブ様に、とりあえず急いでここに行ってくれって……。ってゆーか何してるの?」
しばらく誰も来ないだろうと思った私は、準備室の掃除に取り掛かろうとしていた。荷物を棚からおろしていたまさにその瞬間にドアが開けられたので、ホコリまみれだった。
ジェイコブ、もしかしてわざとフレデリックに頼んだのかしら。
「ねえ、演劇ってどうなってる?」
「ジェイコブ様から、ドリーの代わりにヴィオランテ様が出るって聞いたよ。で、ドリーを見つけたら保健室で寝かせるように言われたけど、ドリーは何してるの?」
「掃除」
「体調が悪いんじゃなくて?」
不思議がる彼に、ゲームイベントの簡単な説明をし、納得してもらった。
「そんなイベントがあるんだ。乙女ゲームって結構大胆な話を作るんだー。でもボドワン男爵令嬢じゃなかったんだね」
「それは結局アレクサンダー様たちが決めているだろうから、ヴィオランテ様に決まったってことはそのイベントはユリエ様にとっては失敗になったわけよね」
少しだけ可哀想な気もしたけど、その過程が酷かったんだからしょうがない。台本を隠れて持ち出すし、自分はやらずにクラリッサに写させるし、私を閉じ込めようとするし。
そもそも生徒会の仕事をちゃんとしていれば、出られるチャンスだってあったのにさ。
「保健室に行けばいいのよね?」
正直、こんな場面でもフレデリックと二人だけなのは緊張してしまう。アンとカイのパーティーのときにあんなに真っ直ぐな言葉を向けられてしまっている私としては、ドキドキしてまともに目なんて見られない。
準備室を出ようとすると、フレデリックに手首を掴まれる。
「ねえ、少しここで話してから保健室に行かない?少しでいいから」
うん、と言わない限り離すつもりのないその手を見る。
「わ、わかったわ……」
私は体をフレデリックのほうに向けた。だけど彼は手を離さない。パッと目線を上げると、目が合った。
「昨日さ、アレクサンダー様と……その、最後の台詞のあと……本当にしてなかった?」
「最後って、あ……口付けのシーン?」
「そう。口に、したの?」
演劇の最後のシーン、口付けのフリをする予定だったけど、アレクサンダーはまさかの額に直接してきたのだ。
フレデリックの瞳が不安げに揺れている。角度的には客席から見えていなかったはずなのに、フレデリックは気づいたの?
「い、いえ……口にはしてないわよ?」
「口にはしてないの?じゃあどこにしたの?」
フレデリックは一歩前に出て、私との距離を縮める。しまった……言葉を間違えた。未だにその大きな瞳は私を射抜くように見つめてくる。
「額にされた……」
答えると同時に、手首を引っ張られて、彼の胸の中に収まるように抱きしめられた。
私もフレデリックも密着しすぎて、心臓が互いに聞こえるほど大きい音が鳴っている。
少しの沈黙の後、彼は私の顔の前に自分の顔を持ってきた。見上げると、すぐそばで視線がぶつかる。
その瞬間前髪に強く何かが触れたと思ったら、彼は私の肩に顔をうずめていた。私の首筋に彼の熱い息がかかる。くすぐったくて体を動かすと、再び強く抱きしめられた。
「んー……駄目だな俺。将来結婚するのわかってるんだから、それくらいするじゃん。だけど昨日見たときからずっと気になってて、さっきドリーから聞いて……妬いた。めちゃくちゃ妬いた!だから俺も今……したから」
それがキスだとわかった瞬間、今までにないほど体温が上昇する。触れていると、二人のどちらが熱いのかわからないほどだった。
何もかも忘れていいのなら、今、とっても幸せな気持ちだと伝えたい。
「フレッド……妬いてくれたの?」
彼は顔を上げ、私の正面で再び見つめ合う。
「妬いてるよ。小さい頃からずーっと妬いてるからね?だって、勝手に王子の婚約者になっちゃったんだから。俺、なんで平民なんだろうってずっと悔しかった。本当はこのまま離したくないよ。王子のところに行ってほしくない。……でも俺の事好きって言ってくれたから、それでいいの」
彼の言葉は切なく聞こえたが、その内容に自然と顔が緩む。腰にある彼の手は未だに離す気配はない。
私の目線の高さには彼の首筋が見える。あんなに可愛くて小さな男の子だったのに、声も少し低くなり、素敵な好青年に成長していた。
しっかりと浮き出た彼の喉仏にそっと手を伸ばす。触れた瞬間、フレデリックの肩がビクッと跳ね、慌てて私を見る。彼の顔は真っ赤になっていた。
「っ!……す、座ろうか……」
「ええ、そうね……」
私もこのまま抱きしめられていたら心臓が飛び出しそうだった。そして、婚約者がありながら、なんてことをしてしまったのだろうと自分を責める。
だけど彼の腕の中はとても居心地が良い。ゆっくりと離れると、フレデリックはドアを背にして座り込んだ。
「不意打ちはやめてくれ……色々耐えられない……」
フレデリックが反対を向いて小さく呟く。だけど聞き取ることはできなかった。
私も隣に座ると、彼はそのまま話し始めた。
「……思い出すよ、初めてドリーと会った日」
「うちに来た日?」
「そう。フレッドって呼ばれるの、親だけだったからさ。ドリーにフレッドって呼ばれるの最初は恥ずかしかったんだ」
「そうなの?」
あの頃はまだここに来たばかりだった。お母様が私のことをドリーと呼んでいたので、名前と呼び方を教えてもらっていた。
だから最初のほうに出会ったフレデリックとウォルターは早速そう呼んだのよね。貴族ではなかったから、仲良くなるためにそう呼び始めたのだ。
「俺がドリーって呼ぶのは問題なかったんだけど、呼ばれる方は恥ずかしくてさ。だけどそれは嫌って意味じゃなくて、呼んでくれた嬉しさからの照れで恥ずかしかっただけだよ」
フレデリックは私へ顔を向ける。
「前にも言ったけど、やっぱりあの時から俺はドリーのことが好きなんだよ。びっくりするくらい未だに好きなんだよね。俺、結構一途じゃない?」
「……ふふ。そうね。ありがとう」
隠しもせず、気持ちを全部打ち明けてくれた彼の横で、私は照れながらも自然と笑顔になる。
「氷庫、ものすごい売れてるよ。ドリーが言ってた、平民向けに各支店で共同の氷庫も作るつもり。これからまた忙しくなるな。口座にお金いっぱいあったでしょ?俺も開発者として利益があったんだけど、とんでもない金額でさ。思わずその場で叫んだよ」
「見たわ。私も驚いたわよ。かつてない金額だったんだもの」
二人でアハハと笑い合った。フレッドと商売に関しての話をするのは、やっぱり楽しい。
「そろそろ行こう。ギリギリで行くのも怪しまれるし」
「そうね。来てくれてありがとう」
私達は立ち上がる。
「好きだよ」
「えっ」
ドアノブにかけた私の手に彼の手が重なり、開けることを制止された。
「後悔しないように、言いたいときに言っておこうと思って」
彼からは何度も好きと聞いているのに、その一つ一つがとても重みがあって、気持ちがこもっているのがわかる。もしかしたら、もう二度と会えなくなる可能性もあるのだから。
だから、それに応えたい気持ちが私の口を開く。
「私も……好き」
「知ってる」
「もうっ!」
「さ、行こう?」
すぐに手を離したフレデリック。名残惜しい気持ちは奥底に閉じ込め、部屋を出た。
保健室でしばらく時間を過ごしていると、演劇が終わったらしく人がどんどん溢れてきた。学園祭の全ての行事が終わったらしい。
私はフレデリックと別れ、片付けのために控室に向かえば、みんなにかなり心配されていた。ジェイコブは来ていなかった。
彼はおそらくクラリッサから話を聞いて、体調が悪いとか倒れたということにしたのだろう。感謝しなくちゃ。
イベントを起こすためにサボろうとしていたのは事実だけど、みんなの心配する顔を見てものすごい後悔する。嘘つくのってとんでもなく心苦しいわ。そしてきっと私が来ないことで混乱させてしまったはず。
心の中で平謝りした。ええ、とんでもなく謝罪した。土下座したくなった。
もう自らイベントを起こすのはやめよう……。
「ドロレス、万が一の用意周到が過ぎるだろ」
苦笑いのアレクサンダーに額をペシッと軽く叩かれる。
ヴィオランテのことよね。でもその言葉を発するくらいなんだから……上手くいったんだろう。
「ユリエ様って、来たりしませんでした?」
ユリエだってこの劇に出ようとしていたのだ。必ず来ていたはずなんだけど……。
「あいつは自分が出たいと騒ぎ、出られないのがわかると衣装を破いた」
「は?!」
「ヴィオランテ嬢が上手く直してくれて事無きを得たが、あいつは今、寮の部屋に閉じ込めている」
何してるのよ。
なんであの子はそんなに攻撃的なの……。衣装を破くって、いくら出られなくて悔しくても普通やらないでしょ。
「こっちもいろいろとやることが増えたが、いい機会だ。全部まとめて片付ける」
そう言って控室を出ていった。
演劇イベントも終わったか……。
私は虐めもしてないし国庫にも手などつけるわけがない。
これなら処刑にはならないはず。
あとは私の婚約解消が無事に決まれば……いいんだけど……。どうなってるんだろ。
今年のアレクサンダーの誕生祭は少し違っていた。
今までなら私としか踊らなかった彼が、なんと私の後にヴィオランテを誘ったのだ!
これは……期待していいのか?いいってことだよね?!
だってここで彼がダンスを誘うってことは、きっと国王や王妃も事前にわかっているはずだもの。
誘われたヴィオランテはまさかこうなるとは思っていなかったらしく、目の前にアレクサンダーが来た瞬間に真っ赤になって顔から湯気が出てきそうな状態だった。そしてポーッとした顔でダンスを踊っている。
王子に憧れ、王妃になりたい令嬢はたくさんいる。
だけどアレクサンダーと同じ歳の令嬢は、もう学園卒業まであとわずかしかない。
憧れの王妃の席を諦め、現実を見始めて貴族同士の婚約者を探し始める。
後輩たちはまだ、王子の側妃になれないかと意気込んでいる人も多いけど。
ヴィオランテは他の令嬢とは違った。
王妃になる覚悟がきちんとある。
想いと共に、王妃になるための努力が比例している令嬢は少ない。
見た目だけを磨いたり、気を引こうと押しかけたり、親の力を使って何かをしようとしたりしない。
ヴィオランテはどちらにも努力を惜しまず、アレクサンダーに対して迷惑にならないように行動しようと振る舞ってきた。
学園に入ってからはそれがハッキリと分かるようになり、私は好印象だった。
そりゃ最初の頃は、よくわからない曲がった解釈をされていたり、嫉妬まみれだったけど。だけど段々と大人になり、幼い頃から仲良くしていたアイビーにだってちゃんと苦言を呈したほどだ。
そんな真面目で完璧な公爵令嬢なんて、どこにもいないでしょう。
私は二人が踊っている姿を見た。
昔のアレクサンダーなら、他の令嬢と踊ったところで心のない表情をしていた。だけど今の彼は、目の前のパートナーと会話をしながら踊っている。
きっとこの二人ならうまくやっていける。
だから、勝手な願いだとはわかっているけど……それぞれがしっかりとした性格だもん。二人なら素晴らしい国を築けると思うんだ。




