156.曖昧さは時に残酷である
暑さも落ち着き、心地よい気温になってきた今日。
ロレンツの料理店を貸し切り、私やフレデリック、ウォルターは豪華に飾り付けをしながら未だに驚きの声を上げる。
「結婚なんて信じらんねぇ」
そう。
アンとカイが結婚するの!
前回来たときに、なんとアンのほうからプロポーズしたのを聞いて驚いてしまった。そしておめでとうと同時にダニエルをチラッと見てしまった私。彼は特に何も感情を含んでいない顔でアン達を見ていた。
吹っ切れたのだろうか。
今日はそんな二人のためにパーティーを開くのだ。平民は日本の結婚式のようなものはなく、仲間内での宴が一般的。だからこうして一日貸切にしてお祝いをすることとなった。
そして、アンとカイも何故か手伝っている。やらなくていいって言ったのに、こういうのをするのが大好きらしく、率先して準備していた。
私は聞きたかった。
「ねぇ、アンがプロポーズしたんでしょ?何で言ったの?」
「俺もそれ聞きたかった」
「俺も」
横からフレデリックとウォルターが話に入ってくる。アンは少し照れくさそうにしながら、馴れ初めを教えてくれた。
「私はカイに……好きなことを伝えたんです。そうしたらこの人、なんて言ったと思います?『俺は料理が一番好きだ。二番以下はなにもない』って言ったんですよ」
「え」
「色々外れてるな……」
カイは料理バカだったんだ……。ロレンツもギャレットもかなり料理好きだけど、それとこれとは分別がついている。思わぬカイの返事に私は苦笑いをした。
横ではカイが照れながら謝罪する。
「あのときはごめん……」
「もういいのよ。だから私、『じゃあ二番目に私を入れてほしい。私と家族になって、料理店を出さない?』って思い切って言いました」
「アン、よくはっきり言ったわね。カッコいいわ!」
「へぇー。家族の知らない一面を見たって感じだ。孤児院にいた頃じゃ想像つかねぇな」
ウォルターもアンの積極的な行動に感心していた。
「俺、それ最初意味がわからなくて、ずっと頭の中で繰り返してたんですよ。そしたら心臓が口から出てくるんじゃないかってくらいドキドキしてしまって……。他の誰よりも、アンから言われたことがすっごい嬉しかったんです。ああこれは、俺も同じ気持ちだな、と」
そう話すカイは頬を染めながら愛おしそうにアンを見ている。それに気づいたアンも顔を真っ赤にして「もう!」と言いながら恥ずかしそうに作業をしている。
幸せそうな二人だ。この料理店から結婚する人が出てくるなんて。
心がほっこりし、とても嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「サマンサさん、ありがとうございます!サマンサさんのこと、好きです」
「はいはい、じゃあこの椅子あっちに持っていって」
「はいー」
……かつて私に好きです攻撃をしていたクレイは、サマンサに心が移ったらしい。きっと彼は近くにいる女の子を好きになるのだろう。男女関係が後々厄介になりそうなタイプの男である。
会話するたびに好きです攻撃をし、それを何事もなかったかのように受け流すサマンサ。さすがアンとともに下の子たちを見ていた女の子だ。これしきのことで動揺しないんだろう。
「心変わりしてくれてよかった」
「え?」
「ううん、なんでもない」
隣でフレデリックがなにかポツリと呟いたが聞き取れなかった。
結婚してからもしばらくここで働き、お金がある程度たまってから引っ越すそうだ。
「なんの料理を出すの?」
「ロレンツさんと話しているのは、今ここで販売しているクレープを全て譲り受けて、クレープ専門店でもやろうかなと思っていました。中身を変えればメニューも増えます。店内と持ち帰り両方出来ますし」
おお!クレープ店!いい案だ!
あ、それなら……。
「もうすぐ甘い食べ物の新しいメニューが作れるけど興味ある?まだ公表しちゃいけないって言われてるんだけど、口外しないことを守れるなら、うちで試食してみる?」
「えっ!本当ですか?ものすごく興味あります!」
「俺も気になります」
「今回は国王からの命令だから、申し訳ないけど宣誓書は書いてもらうけどいい?」
「「もちろんです!」」
目をキラキラさせた二人は前かがみになって私に詰め寄る。どんだけ料理好きなんだよこの二人。
準備が整い、アンとカイは着替えるために部屋に戻る。平民の結婚でドレスを着る習わしは当然ないんだけど、アンの今までの努力を見てきた私からのささやかなプレゼントを贈った。シンプルでドレスのようなワンピースだ。
渡したときは「こんな高価なもの受け取れません!」と断固拒否されたが、カイが「見たい」と言ってくれたおかげでようやく折れてくれた。
彼女の親はどこの誰なのかわからない。だけど、それでも卑屈にならずに真っ直ぐに育った。そんな彼女が素敵な人を見つけて結婚するんだもん。これくらいやったって問題ないでしょ!
「プレゼントしたワンピース、きっと似合うだろうな。こうやって一人ずつ巣立っていくのね……」
「ドリーは親なの?」
フレデリックから的確なツッコミが入る。
自分でも薄々気づいてるけど、こんなときだけなぜかお節介な前世の自分が発動してるんだよね。アンたちは自分の子供のように思えてくるんだもん。だから嬉しくてついプレゼントしちゃった。
今日は私の家族と、料理店メンバー、カイの家族や孤児院の子どもたちを集めた。フレデリックとウォルターの他にもリンがいる。ライエルは商売繁盛で忙しく、不参加だ。
「アンとカイ、入ってきて!」
正装したカイとともに、照れながらアンも入ってくる。嬉しそうに、恥ずかしそうに。
プレゼントしたワンピースもとても似合っていた。
みんなに祝福されながら二人は挨拶をし、乾杯をする。
「おめでとう!」
「幸せにな!」
カイの家族もとても良い人で、アンに笑顔で話しかけている。
いいところに嫁いだね、アン。しみじみと見ていれば、隣にいるフレデリックがまたしても同じツッコミをする。
「だから、ドリーは親なの?」
「だってー……、嬉しくて泣くじゃん」
感極まって涙をこぼす私に、やれやれとフレデリックがハンカチを貸してくれた。
「いいね、想い合ってる二人が結婚するのって」
彼はそう小さくつぶやいた。
「……そうね」
私はそれ以上何も言い返せなかった。何も、言えなかった。
「えっ?」
フレデリックはパッと私を見る。どうやら彼は無意識に声に出していたらしく、慌てて口元を手で押さえ、目を彷徨わせる。私に返事されたことに驚いていたようだ。
「フレデリックさん」
リンが向こうからやってきて会話に入ってきた。あれから何度かこの店に足を運んでくれているみたい。
「なにか食べたいものありますか?私持ってきますよ」
「ううん、大丈夫。自分で取りに行くから」
「そうですか……。この間一緒に来たときに出てたケーキ、あれ期間限定だったみたいですよ」
「あ、そうなの?じゃああの時食べておけばよかった」
「美味しかったですよ。また行きましょう」
「そうだねー」
楽しそうに会話する二人だけど……。この間一緒に来た?
また一緒に行く?
二人でよく来てるの?
胸のあたりでモヤモヤとした感情が気持ち悪く動いている。思わず胸に手を当てた。
駄目よ私、今日はお祝いなんだからそんな感情を持っては駄目。
隣で楽しそうにする二人を見ていられなくて、私はその場を動こうとした。だけど、フレデリックに手首を掴まれる。
「……フレッド?」
私が声をかけると、彼はこちらに振り向き、耳元で吐息のように小さく囁く。
「今日は、ずっと俺の隣にいてよ」
彼が私にしか聞こえない声でそう言うと微笑んだので、私は顔を背ける。次第に体中が熱くなるのを感じ、急激に早くなる心臓に私の思考がついていけない。普段聞かないような、独占欲にまみれた声だったからだ。
私はもう片方の手で胸を抑え、落ち着くように呼吸をする。当然、フレデリックのほうなど向けるわけがない。
彼は私の手首を掴んだままリンとの会話をしていたが、突然そのまま引っ張られ、今いた場所から一番遠いテーブルに連れて行かれる。座るように促され、隣同士で座った。そしてやっと私の手首が解放される。
「急に……どうしたの?」
私は未だに落ち着かない心臓をごまかすように、フレデリックに声をかけた。
「……二人じゃないからね?」
「え?」
「ちゃんとウォルトもライエルも一緒に行ってるよ。リンと二人だけで出掛けたことはないから」
片肘をテーブルにつき、私を見るように顔を傾けたフレデリックは、真面目な顔をして顔でそう説明した。
そうか、私……さっき顔に出てたのかな……。
フレデリックのことになると、全然仮面が被れなくなってる。私の得意技なのに。
彼が他の女の子と2人で出掛けたのかもって思うだけで胸が苦しくて、自分の嫌な部分を出してしまったみたいだ。
「あと半年で卒業だね」
「そうね」
「王妃様って……、平民と会話は出来るの?」
「よほどじゃない限り、無理よ。今の王妃様は結構出歩いてるけど、普通なら平民の店なんて来ないわ」
「そうだよね」
周りがお祝いムードの中、私達二人だけがしんみりとした空気になった。
これ以上の会話が続かない。
私も今、婚約解消が確定したわけじゃない。だから、フレデリックにはまだ何も言えない。
万が一、そのまま婚約が継続されれば……もう私は二度と自由にこの街を歩くことは出来なくなる。
フレデリックが胸ポケットをゴソゴソとして、ハンカチを取り出す。
「あ……」
それはかつて幼い頃、私が彼のために縫った刺繍入りのハンカチだった。
それを、彼は両手で持ち、眺める。
あの時完璧だと思ったものは、子供らしい下手な刺繍で私は恥ずかしくなった。
「今見ると人にあげられるようなものじゃないわ。捨ててよ」
「嫌だよ。ずっと持ってるんだから。俺のお守りなの」
そう言って再びポケットに入れる。そして彼は天を仰いで、手のひらで顔を隠す。そして小さな声で呟く。
「俺やっぱ無理だ」
「何が?」
彼は少し黙ったあと、私にしか聞こえない声で、だけどハッキリと言った。
「どうしよう。俺、全然ドリーのこと諦められない。他の人と結婚してほしくない。身分って何なんだよ。俺のほうがドリーのこと好きなのに……」
あまりにも気持ちをはっきりと言葉にした彼に、私は動揺する。
たとえ私がアレクサンダーと婚約していなかったとしても、私達の間には身分という大きな壁がある。
ただ友人として付き合うなら大きな問題ではない。
だけどフレデリックの今の言葉は、それ以上を求めるような意味に聞こえた。勘違いでないのなら……そう考えると、恥ずかしさが溢れ出る。
誰が見ても今、私の顔は真っ赤と言うだろう。端のテーブルで良かった。みんなが向こう側のアンたちに集中していて良かった。
私は顔を手で煽ぎながら、フレデリックになんて声をかけようか迷っていた。だけど言葉が見つからない。
顔を隠すフレデリックの耳が赤い。遠回しではないその真っ直ぐな気持ちが嬉しかった。本音は、心臓の音も、真っ赤な顔も忘れてしまいそうになるくらい嬉しくてしょうがなかった。
私は……私の気持ちは……。
「フレッド、私は……」
私は特殊だ。国の王子との婚約を解消したとなれば、次、どこかに嫁いだとしても世間体を気にされるだろう。だから……それが大商会ならなおさらだ。
そもそもまだ婚約がどうなるかすらわからない。
それでも望めるのなら。
私は、あなたと……。
そう言いかけて、彼の手のひらで制止される。
「ドリーはそれ以上は駄目。ごめん……俺、内容によっては本当に諦められなくなるから。お願い。ワガママだけど許して」
「……うん」
それ以上は言わせてくれなかった。
私も、言いたかったのに。
言おうとした言葉は再び胸の奥底に閉じ込めた。
パッと顔を上げると、向こうではダニエルがアンたちにプレゼントを渡している。お揃いのコップだった。
「アンのこと大事にしろよ。少しでも泣かせたら許さねぇからな」
いつの間にか、姉ちゃんをつけて呼ばなくなったダニエル。身長も伸び、たくましく育っていた。
横で泣くアンの肩を抱きながら、カイはダニエルに笑いかけた。
「大丈夫だ。絶対にアンのことを大切にするから」
「絶対だぞ」
「もちろん」
ダニエルは笑っていた。小さい頃からずっと好きだったアンがお嫁に行ってしまうのに、彼は笑顔で二人に声をかけていた。
「俺も、ダニエルみたいに笑えるのかな」
私はその言葉に答えることはなかった。
現在の曖昧な婚約関係、私が望んだことによってほんの少し揺らぎだしただけの婚約を、なんと伝えていいのかわからない。
もどかしい気持ちを消してくれるものなど何もなかった。




