胸が苦しくなるほどに 〜side.クリストファー〜
クリストファーのサイドストーリー(1/2)。本編133話あたりからです
肌に当たる風が冷たくなってきた秋の終わり。勇気を出して、彼を授業終わりのサロンへと呼んだ。
軽く挨拶をし、二人とも椅子に座る。
「何の話でしょうか?」
目の前に座ったリオライエ辺境伯家次男のブルーノは、笑顔で僕に問いかけた。その笑顔に負けじと、僕も笑顔で返す。
「レベッカ様のことです。僕は彼女との婚約を解消するつもりはありません」
「……なぜですか?私はベッキーのことを愛しているのですよ?あなたは違うでしょう?」
紅茶を優雅に飲みながら、視線はこちらに向いた彼が低い声で答える。
「僕は、彼女のためにそうしました。彼女が望んでいることを現実にしたのです。彼女の望みを叶えた僕のほうがいいと思いますけど。彼女は僕の味方なのです」
ハッキリとそう告げた。
だけど、自分の心からの言葉ではない気もした。それを隠すようにハッキリと言ったのだ。
「じゃあベッキーが、あなたとではなく私と婚約したいと言ったら、解消しますか?あなたは彼女が望んでいることを叶えたいのですよね?」
「レベッカ様はそう言わないと思います」
自信はあった。
だけど同時に不安もあった。
彼女は僕の味方だ。だからそんなこと言わない……きっと。
「クリストファー殿下。人の心とは変わりやすいものです。それに、彼女をそばに置きたいだけなら、側近として置くだけでいい。私がベッキーと結婚し、彼女を側近として働かせればいいだけではないですか。【味方】なんですよね?それは、妻にする必要はないですよね?」
「それは……」
彼の言葉は、心にナイフを刺されたようにズキンと痛かった。
ブルーノの言ってることは何も間違っていないのだ。そばに置くだけなら、妻じゃなくてもいい。だから……何も反論できなかった。
そんな僕を見て、彼はため息をつく。その様子に少しだけ苛立ちを覚える。だけどそんな事でさえ見透かされているようだった。
「私より、ベッキーの良いところ言えます?言えるなら少しは考えますけど。言えないようなら私はなんとしてでも彼女をあなたから奪います。私は次男ですから。辺境伯家当主にもなれない、外国に留学させられる身です。彼女と二人で外国で静かに暮らしますよ」
レベッカさまの良いところ。そんなの……。
「レベッカ様は、とても素晴らしい人ですよ。優しいし、頭もいい。無表情なのに、目だけ見ていればどんな感情だか僕はわかるんです。ちょっとだけツンとしているけど気を遣うこともできます。僕のわがままだってちゃんと反論せず最後まで聞いてくれるし、駄目なところはちゃんと叱ってくれるんです。だから彼女がそばにいるととても安心できるし、たまに恥ずかしそうにしていると思わずその頬に触れたくなるんです。僕と同じグリーンの瞳を見るととても幸せな気持ちになって、つややかなストレートの髪は撫でたくもなるし、他の男性と楽しそうにしているのを見ると胸が苦しくなるというかーーー」
「ストップ!ストップ!」
気づいたらブルーノは僕に手のひらを向けて、僕の発する言葉を制止させていた。
ん、なにか気になることでも言ったかな。
目の前の彼は、頭に手を当て苦笑いをし、再びため息をつく。
「クリストファー殿下、それはわざとですか?素ですか?私をからかってるんですか?」
「何がですか?僕はあなたに言われたとおりにレベッカ様のいいところを話していただけですけど」
「……素だな、これは」
ボソッと呟いた彼の言葉はよく聞こえなかった。だけど次の言葉で僕は自分自身に驚いてしまう。
「殿下。自覚がないのかもしれませんが、あなたは相当ベッキーに惚れていますよね?」
「……え……」
彼は一体何を言っているのか、理解できなかった。開いた口が塞がらず、思わずブルーノを凝視してしまう。そんな彼は体を後ろに引いて、天を仰いでいた。
「なんだよ、それならそうと最初から言ってくれよ……私が馬鹿みたいだ」
彼は言葉遣いが乱れ、独り言のように呟いている。僕はそれに気づき、ハッと我に返る。
「僕が……レベッカ様に惚れている?」
ブルーノは軽く咳払いをし、丁寧な言葉に戻る。
「お気づきではないのですか?あなたは充分ベッキーのことを好きなんてますよ。そりゃあベッキーも苦労するわけですね。ああ、彼女がとても可哀想です。そういう意味で改めて彼女を私のところに嫁がせたくなりました」
「ま、待ってください。それは駄目です」
さっきの彼の言葉を繰り返す。
僕はレベッカ様に惚れているのか?
……たしかに彼女の良いところは、他のどの女性よりもたくさん見つけられる。目の前の男にだって負けるとは思わない。それに、他の男性と話しているのはとても嫌な気分になるし。僕以外の男性の前であの笑顔を見せるのは許せないし……これは、嫉妬なのか?
「私とベッキーが楽しく話していても、ダンスを踊っても、殿下はまさにヤキモチを妬いているような顔をしていましたよ。自分の好きな人を取られた、みたいな顔でしたね」
まさに今思っていたことを言い当てられたようで、肩が跳ねる。それを見たブルーノは悪い顔をした。そしてゆっくりハッキリと、短い言葉を口にする。
「クリストファー殿下は、ベッキーに惚れているんですか?ハッキリ答えてください」
核心を突く言葉に、僕はもう認めざるを得なかった。
誰よりも彼女の近くにいたくて、彼女が他のところに嫁ぐなんて考えられない。ずっと横にいてほしいし、それは側近としてではなく、伴侶としていてほしいと、この数分で全て自分の気持ちに気づいてしまった。
「はい。……心から、胸が苦しくなるほどに惚れています」
口にした瞬間、顔から火が出るような感覚になった。自分の顔を触れば、びっくりするほどに熱い。恥ずかしくて俯いてしまう。
そうか。僕はレベッカ様に惚れているんだ。
「そうですか。それならあなたに安心して彼女を任せられます。だって私、先日の社交界パーティーのときに振られましたから」
「えっ、そ、そうなんですか?」
パッと彼の顔を見る。今までずっと張り詰めていた空気が溶けるかのように、柔らかい笑顔をしていた。最初から全部わかってて、あえて挑発的な言葉を僕に言ってきたのか……。
だけどレベッカ様が彼を振ったことに心から安堵した。
「そんなあからさまにホッとした顔をしないでもらえますか?私だって十年彼女を想っていたんですから。あなたがもし、少しでも彼女を泣かせるようなことをしたら、王族になっていようと奪いに行きますからね」
「そんなことさせません!彼女は僕の……大切な人ですから」
「ちゃんと彼女に伝えてあげてください。言葉にしないと、女性には伝わらないのですよ」
ブルーノは最後にその言葉だけを残し、別れた。
レベッカ様……。
ソファーに座ったまま、考えた。
自覚するたびに気持ちが膨らみ、本人がこの場にいないのに、胸の高鳴りが収まらない。
あぁ、好きなんだ。彼女のことを。
だからずっと苦しくて、嬉しくて、楽しくて、悲しくて。
レベッカ様に対しての様々な感情が今ならすべて理解できる。
レベッカ様もこんな気持ちだったんだろうか。
そして彼女は僕に気持ちを伝えるのに、どれだけの勇気を振り絞ってくれたのだろうか。
考えれば考えるほど後悔が生まれる。
僕はそんな彼女になんてことを……なんて酷いことを言ってしまったんだ。自分が逆の立場なら、ショックで食事も喉を通らなくなるだろう。
僕だって彼女のことを好きなのだから。
それからレベッカ様とランチをしたりティータイムを過ごしていても、僕は目を合わせられなくなっていた。
それは彼女に対しての申し訳無さと共に、自分の気持ちを理解してから、どう彼女にそれを伝えればいいのかわからなかった。
いざ言おうとしても恥ずかしくて言えない。何度も何度も言う機会はあるのに、僕はなんて意気地なしなのだろうか。
だからこそ改めて、レベッカ様が自分に気持ちを伝えてくれたその勇気を踏みにじったことを後悔してしまうのだ。
そんな日々が続いたある日。
僕は衝撃的な話を父上から聞いた。
「ドロレス様が……婚約解消を?」
王族全員での会議でその言葉を聞き、思考回路が一瞬停止した。
なぜ……ドロレス様は一番兄上にふさわしいじゃないか。彼女以外に誰が兄上の隣にいられるんだ?
「どう、されるんですか?」
おそるおそる父上に聞く。父上だってドロレス様のことを認めているはずだ。
「考え中だ」
それは、僕が想定している答えではなかった。『解消などしない』と断言するかと思っていたからだ。
そして同じく、兄上がもう一人いるというのを聞いて驚愕する。
しかも、本当の第一王子。
胸の中がザワザワとした。
【魔力制御】を持つ正当な次期国王だ。
だけど、それだけは譲れない。兄上のほうが国王に相応しいんだから。いまさら第一王子だなんだ言われたところで、そいつにその座を譲るつもりなんてない。
その真の第一王子、ウォルターは王位継承権を破棄した。
とりあえず一安心する。兄上が、そして僕が今まで頑張って積み上げてきた努力を無駄にするわけにはいかない。
だけど、そのウォルターからも、ドロレス様の婚約解消の申し出があった。
さすがに驚いて、ドロレス様を見る。彼女は首を横に振っていたが、本当のところはどうなんだろう。嘘はつかないと思うけど……。まさかあのウォルターと恋仲なのではないか?
緊張と不安が入り交じる感情を抑え込み、兄上とウォルター、ドロレス様だけの部屋で確認する。
あぁ、見る限りは本当に恋仲ではなさそうだな……。
しかしここからが問題だった。
父上と王妃様が、兄上とドロレス様の婚約を見直し始めているのだ。
そんな……。せっかく僕が邪魔者を蹴落としてきたのに。
今年卒業する兄上が婚約解消などすれば、貴族や国民からの印象が悪くなってしまう。それなのに僕に婚約者がいたら、また僕を次期国王に祀り上げる奴らも出てくる。
冗談じゃない。
今までの苦労を水の泡になんか出来ない。みんなが兄上を次期国王だと認めざるを得ない状況を作るために小さな頃から僕は努力したんだ。
だけど、父上と王妃様はどんどん話を進めていく。それは兄上も交えてだったので難航していたが、徐々に……徐々に僕の望まないほうへと動いていた。
駄目だ。
兄上の婚約が解消されるなら、僕も婚約者などいてはいけない。
レベッカ様との婚約を解消しよう。
後から考えれば、なぜこんな選択をしたのか自分でも馬鹿だと思う。
自分のことしか考えていない大馬鹿野郎だった。
僕はレベッカ様に婚約解消の手紙を書き、送る。その数日後、彼女と二人で会う時間を作った。
静まり返る部屋の中、先に話を切り出す。
「僕との婚約解消、してくれますか?状況が状況なので、僕に婚約者がいるのはまずいんです」
兄上より上に立ってはいけない。なんとしてでもドロレス様との婚約解消をされる前に、こっちを先に解消したい。
「兄上がもしかしたら婚約解消するかもしれないのです。ならば、そうなる前に僕も解消するべきと考えました」
視線をさまよわせるレベッカ様は、深く呼吸をし、僕の目を見た。
「それは、クリストファー様の本心ですか?」




