未練 〜side.ローザリア〜
王妃、ローザリアのサイドストーリー(1/2)。
「2位?!なんでローザリアに負けたの?!」
「何言ってるの?あなた前回は私より上だったじゃない!」
学園に入る前からいつもいつも競争していた。
お茶の入れ方も、刺繍の豪華さや早さ、ピアノの上手さ。
学園に入ってからはテストの1位と2位を二人で独占していた。
だけどそれはその時だけ。それ以外は友人としていつも一緒にいた。お互いが言いたいことを言い合える唯一の存在。同じ侯爵家の身分で、同じ歳で、良い意味で遠慮がない。
それがエレオノールだ。
「ふふふ、バルトロ様と挨拶したのよ!素敵だったわ〜、今年卒業してしまうなんて本当に嫌!私は心からお慕いしているのに、どうせ同じ歳の公爵令嬢と結婚するんだわ。高位貴族はあの方しかいないもの。いい加減私も婚約者を見つけないと……」
私達のひとつ上で、この国の王子であるバルトロ殿下に想いを寄せる人はたくさんいる。学園に入る前に、エレオノールと王妃主催のお茶会に呼ばれたことがあったが、王妃はその後病気で亡くなった。国王陛下には側妃がいなかったため、唯一の国王陛下の子供。
あの時のお茶会は王子の婚約者候補を集めたようだが、公爵家の令嬢がいたし、私は王子に興味すらなかった。
「そういえばあなたはあの伯爵家の男に気持ちを伝えたの?」
「えっ?!い、言えるわけないじゃない!まだ心の準備ができていないのよ!」
急に幼馴染の彼の話題が出てきたため、慌ててティーカップを置こうとし、カチャリと音が鳴った。動揺しつつもこの程度の音で済んだので褒めてほしいくらいだ。
私には小さな頃から心を寄せる人がいた。幼馴染の伯爵家の長男であり、私の1つ年上で王子と同じ歳。よく家に遊びに来ていたので仲良くなった。
「大きくなったらお嫁さんになりたい」
まだ結婚など考えもしない幼少期の話。よくある子どもたちの会話だった。
だけど私はずっと彼のことを想っていたのだ。それは一時も揺らぐことなく。あの頃の私に言いたい。なぜあなたは、素直に『お嫁さんになりたい』と言えたの?
大きくなるにつれて自分の気持ちは強くなるばかり。だけどそれに比例するかのように、気持ちを伝える恥ずかしさや恐怖が強くなっていった。
彼はいつも優しく、明るく、学年が違ってもよく話しかけてくれた。
それがとても嬉しくて。
私はそれだけで満足していたのだ。
だけど、その程度で満足していた自分を責めたいほどに後悔する。
彼の卒業パーティー。
もしかしたら……なんて淡い気持ちを寄せていた。この場で、婚約の申込みをされたらどんなに幸せだろう、と。
だけど彼の手は、違う女性の手を取っていたのだ。
「僕と婚約していただけますか?」
「はいっ!嬉しいです!」
そこには、彼と同じ学年の子爵家の令嬢がいた。
一体、いつから?いつから相手がいたの?そんなの知らなかった。なんで?私……、私だってあなたのことをずっとずっとお慕いしていたのに……。
ワァッと歓声が響く中、彼と同じクラスらしい生徒の声が聞こえる。
「令嬢の方から告白したんだってさ!あいつ、告白されて最初は断ってたのに、それでもめげない令嬢に最終的には気持ちが傾いたってさ。つい3ヶ月前のことだぜ」
「しかも令嬢のほうは健気に入学してからあいつ一筋だったもんなー。あいつも幼馴染の気になる令嬢がいるって言ってたけど、名前何だっけ?ローズって言ってたよな。でも結局その幼馴染の気持ちがわからなくて婚約の申込みをしようか悩んでるときに彼女からずっとアタックされてたんだ、そりゃ気持ちを伝えてくれる令嬢を選ぶよな。あいつ奥手だし」
「俺もその立場だったらあの子爵令嬢を選ぶな!ハハ!」
ローズ。
それは私が家族以外で、彼だけに呼ばれる名前だ。
そんな……。もっと早く私が彼に気持ちを伝えていれば。
好きだと言っていれば、こうならなかったの?
胸が苦しい。みんなから祝福される様子を見て、この場にいることができなかった。ドクンドクンと、嫌な心臓の音が鳴る。立ち去りたいのにその音がうるさくて気が散る。
嫌、嫌だ。なんで?!なんで私は気持ちを伝えなかったの?
なんで彼は私に言ってくれなかったの?!
後悔ばかりが頭を埋め尽くす。
悲しい。
寂しい。
悔しい。
苦しい。
ホールを出て、誰もいない庭園へとたどり着き、そこにあった椅子に座る。
体と頭がそれを待っていたかのように、頬を大量の涙が筋を描いてこぼれ落ちる。
「うっ……ううっ……」
溢れ出る涙を、なんとかして抑えたい。でも止まらない。もう十年以上の片思いだ。そのぶんの涙が出てくるんだから、止まらないのは当然である。
「泣いているのか?」
どこからか声が聞こえた。
男性の声だというのはわかったが、このぐちゃぐちゃの顔を見せるわけにはいかない。振り向くことはしなかった。
「いえ……大丈夫です」
「そうは見えない」
先程よりも近い距離で声が聞こえる。やめてよ、誰だか知らないけどこっちに来ないで!誰かと話すような気分じゃないのよ!
座っている椅子が揺れた。私が座る椅子の背もたれに、寄りかかって立っているようだ。
この人は、誰?
そう思いながらも私は振り向くことはせずに口を閉じる。
「泣くことは悪いことじゃない。泣けるならいいじゃないか」
少しだけ小さな声でポツリとつぶやく彼は、どこか寂しそうだった。
「あの……私のことは気にしないでもらっていいですか?私今、一人になりたいので。あ、私が移動しますわ」
立ち上がろうとした私の肩を、その人が押さえた。再び椅子に座ってしまい、気まずさが漂う。
「嫌なことがあったら、別のことに集中するといい。好きなことでもいいし、勉強でもいい。そうすれば、いつの間にか悲しい気持ちは少なくなる。完全に消えはしないが、それでもいくらかはつらくないだろう」
彼は私の髪を優しく取った。
「美しいミルクティー色の髪だ。その美しさに似合うように笑顔で過ごせ」
その言葉の後、彼の気配がないことに気づく。恐る恐る振り返ると、遠くに見える彼は肩にかかるほどの薄い色をした髪をなびかせていた。
暗くてよく見えない。
だけど、どこかで見たことのある後ろ姿だった。
それから1か月後。
3年生になった私のもとに届いた手紙を読んで愕然とした。
「な、んで……私が?」
それは。
この国唯一の王子、バルトロ殿下の王妃婚約者の内定だった。
「お父様!なぜ私にこのような知らせが届くのですか?!」
「私だって知らぬ。お前を指名してきたのだ」
待ってよ……私、王子と話したことなんてほとんどなかったじゃない!それに。
「殿下には同じ歳の公爵家のご令嬢がいましたわ!なぜその方ではないのですか?」
「その公爵令嬢は体が弱いのだ。王妃など務まるわけがない。しかしそれ以外に歳の近い公爵令嬢はいないし、侯爵家もうちとエレオノール嬢しかいない。それならお前が選ばれるのは当たり前だろう」
「じゃあエレオノールにしてください!彼女だって王妃様のお茶会に呼ばれていたわ!彼女は殿下のことを慕っておられます。私では王妃など務まりません!」
必死に父に訴えたが、もう決まったことだと私のことを跳ね除けた。
「バルトロ殿下は学園在学中に婚約者が決まらなかった。もうすぐ陛下は35歳になる。急がねばならない。これは決定事項なのだ。こちらから覆せるわけないだろ」
そんな……。まだあの人のことが忘れられないのに、なぜ私が王子との婚約なんて……。
だけど、問題はそれだけではなかった。
「エレオノール、ちょうどよかった。明日のーーー」
「なに?バルトロ殿下の婚約者になれたことを自慢しに来たの?嫌だわほんと!私の気持ちを知っておきながら、自分が好きな男と結ばれなかった腹いせにこんなことをするなんて」
「違うわ!何を言ってるの?!知らぬ間に決まってしまっていたのよ!」
「ふん、どうとでもいいなさいよ。馬鹿にしているふうにしか聞こえないんだから」
この時から、私と彼女の間に大きな壁が出来てしまっていた。
だけど私にはどうする事もできない。国王の前で反対しようと思っていたのに、私は勇気がなく声を上げられなかった。自分自身が情けなくてしょうがなかった。
婚約式を行い、正式に婚約者として決まったあとにはもうエレオノールとは会話すらできなくなっていた。
たまに王宮ではバルトロ殿下とのお茶会があったが、彼への気持ちがない私は空返事で過ごした。
そして冬、国王が呪いにより逝去し、私は学園在学中にバルトロ殿下との婚姻を結ぶこととなる。
学生の段階で結婚が許されるのは、王族とその相手のみ。そして毎回国王が35歳前日で亡くなる事はわかっていたので、特例で先に卒業資格を得られる試験を受け、合格する。そして盛大に結婚式が行われた。
私は笑顔の仮面を被る。何度も着替えさせられる着せかえ人形のようになりながら、王宮から下を見れば、歓声と拍手が巻き起こるのが見えた。
ずっとそれは私の耳に届いていた。
だけど意識してみれば、それは私の大きな責任を感じさせる光景だった。
この国の、この人たちの上に立つ。
私がこんな適当な気持ちでいてはいけないのに……。
その夜。初夜を迎える私は憂鬱だった。
まだ幼馴染に未練がある私は今日で決定的にこの男の妻になる。
覚悟はできていたものの、やはり怖いものは怖い。
メイドたちに身支度をさせられ、私は国王になったバルトロのいる部屋へ入る。彼はベッドに腰掛け、ワイングラスを片手に窓の外を見ていた。
「心はまだどこかに置いてきたままだな」
ピクリと体が跳ねた。この人は、知っていたのだろうか。私がずっと幼馴染を、……今も心を寄せていることを。
「こっちに来い」
逆らえるはずもなく私は彼の横へ移動すると、腕を掴まれて強引に座らされる。
「あ、あの……」
「美しいミルクティー色の髪だな」
彼が私のほうに顔を向け、髪を一束とってそこに口付けを落とす。その美しい姿は夜の月明かりに浮かび、肩まで長い金色の髪が艷やかになびいていた。
そして、その言葉で私は思い出す。
あの日、卒業ダンスパーティーで私の後ろにいたのはこの人だということを。
「望む相手がいたんだろ?早くつかまえておけばよかったものを」
「なぜ、それを……」
「一応私も国王だ。それくらい、婚約を結ぶ前に全て調べてある」
全部知られていた。全部お見通しで私との婚約を結んだんだ。
目の前の美しい彼は、私の髪の毛を何度も撫でる。
「気持ちは、口にしなければ伝わらない。それは恋人でも友人でも、家族でもだ。気づいたらいなくなっていて、後悔する。今まで、いくらでも言う機会はあったのに」
この人の言うことは正論だった。何度も、何回も私は幼馴染に気持ちを伝える機会があった。だけど恥ずかしいという気持ちが勝り、彼の優しさだけで満足していた。
だから、何もできなかった。
「しかし君はもう、私の妻となる。だから夫として特別に許可を出す。私はあの夜、君にとても興味が湧いたからこそ婚約者に選んだ。その興味がいずれ好意へと変わる前に、君はやり残したことをやりなさい。今の段階なら、まだ私は怒らないし妬みもしない」
それはつまり、私の未だに続く未練を断ち切るための言葉に聞こえた。
後悔する前に行動しろ。
いなくなってしまう前に自分の気持ちを正直に伝えてこい、と。
このような場所で、今から彼の妻になろうとしている私に投げかけられるような言葉ではない。だけどそれを許可すると彼は言った。
髪を撫でていた手が、私の頭の後ろへと回る。手に持っていたワインをベッドの横のテーブルに起き、その手は私の頬をなぞった。
「ローザリア」
「……はい」
彼はベッドの上に膝をかけ、頭を撫でていた手は背中に回り、抱きかかえられるようにそのままベッドへとゆっくり倒される。彼の無表情の顔と、いつもよりはだけたシャツから出た綺麗な首筋が私の視界を独占する。両手は私を逃すまいと顔の両側にあり、この状況に脈が早く打ち始めたのを、未練がある私にとっては不謹慎だと感じてしまう。
だけどそれでも、金色の長い髪を私に垂らし、薄い水色の瞳を持つ目の前の男に、無意識に……完全に見とれてしまっていた。
「私が嫉妬する前に。早く全部終わらせるんだぞ」
「……わかりました。ちゃんと彼には気持ちを伝えまーー」
私が言い終える前に、彼は自身の唇で私の口を塞いだ。




