143.王妃は誰の味方なのか
今しかなかった。今でなければもう二度とこの機会はなかった。
王族のみんなに目を合わせられない。どういう表情をしているのだろうか、見る勇気がなくて目を伏せる。
国王と王妃にはたくさんお世話になった。【治癒の力】を使ったときだって私に罵声を浴びせたことを何回も謝ってきた。国王や王妃が謝る必要なんてないのに。
それなのに私は、その子供である第一王子との婚約を解消したいと願った。
とんでもないことを言っているのはわかっている。
反逆だと思われても仕方がない。
令嬢の誰もが憧れると教育され、そこに選ばれれば最高の誉れだといわれる王妃の座。
それを高位貴族の令嬢である私が、望んでいない。
初めは、ゲームのストーリーである処刑を免れるためだけだった。
だけどここで生活をし、その場所の責任の重さを現実にひしひしと感じた。
責任逃れと言われてもいい。
それなら、せめてその座に就く前に断るのが筋だ。
「ドロレス。なぜ……」
誰よりも早く、アレクサンダーが勢いよく立ち上がった。絞り出すような声で私に話しかける。だけど彼の顔も見る勇気がない。見てしまえば、その寂しそうな声に同情して私のほうが諦める道を選んでしまいそうだったから。
国王からは一番厳しい声をかけられるだろうと予想していたが、彼が一番冷静だった。
「それは、公爵家としての意見と受け取ればいいか?」
「いえ。父には話しておりません。この場で、初めて口にしました」
ゆっくりと目線を上げると、国王はお父様の方を見ている。
「公爵、それは本当か?」
「はい、私は今初めて聞きました。ですが、彼女が望むことは公爵家の意見として受け取っていただいて問題ありません」
「お父様!これは私個人の望みです!公爵家総意ではないですわ!」
今、私は個人的な事情でアレクサンダーとの婚約を解消したい。家の正式な文書もあるわけがなく、公爵家からだと思われては困る。お父様たちを出来るだけ巻き込みたくはない。
だけどお父様も冷静だった。私の目を見たあと、少しだけ微笑みながら話を続ける。
「うちの娘はとても優秀です。平民も貴族も分け隔てなく接し、意見を取り入れ、より良いものを生み出してきました。王妃様のように博識であり流行にも敏感で、男性にも勝る政治能力を持つ者もいれば、直接声を聞ける場所で働きたい者もいます。うちの娘は、後者です。国のためにも、そういう人が必要だと私は常々思っています」
お父様の一つ一つの言葉をゆっくりと噛みしめる。やっぱり、味方でいてくれたんだ。誰にも迷惑をかけたくないと思いながら、周りを巻き込んでしまって申し訳ないという感情が押し寄せる。お父様には何度感謝と謝罪をしても、し足りないくらいだ。
「お前の娘自慢はもうよい。ドロレス。そなたの意見を聞こうではないか」
この話題を出してから、初めて国王と視線を交わす。強い眼差しだが、感情はよく見えなかった。
「私は、王妃になる覚悟がありません。王妃とはこの国の母であり、偉大な国王陛下を支える伴侶としてあるべきだと思っております。ですが私は……そこに立ち、生涯王族として生きていく覚悟がないのです。それは、アレクサンダー殿下と婚約をしたときから今日まで、何一つ変わりません。相応しく、覚悟を持った者がなるべきです」
国王も王妃も、顔色一つ変えずに私の話を聞いている。マクラート公爵親子も黙って聞いていた。だけど、アレクサンダーだけは違った。
「そんなことはない!ドロレスは優秀だ!僕が支える。結婚すればきっと気持ちは変わるはずだ!覚悟など、この先身につければいいじゃないか。ドロレスお願いだ、解消などしたくない……」
力が抜けたように座り込む彼が視界に入る。だけど、私は自分の気持ちを強く持たねばならない。その場の空気に流されて、自分の意思まで消えてしまうのは嫌だ。せっかくのチャンスなんだから。
「この国の第一王子との婚約解消などしたら、そなたは社交界などに参加しにくくなるぞ。次の結婚相手だって見つからないだろう。そんなふうになったとしても、アレクとの婚約は嫌なのか?なにか不満でもあるのか?」
「私は、アレクサンダー殿下を尊敬しております。この国に相応しい王になると確信しております。ですが私が、その横に立つ覚悟がないだけの話で、彼に非など1ミリたりともございません。婚約解消をしていただけるのであれば、全面的に私のことを悪く書いていただいて全国民に通達していただいて結構です」
「そんなこと出来るわけないだろ!ドロレス!」
懇願するように叫ぶアレクサンダー。だけど私は話を続ける。
「もちろん、殿下に新しい相手が現れ、結婚をするまでは私は誰とも婚姻を結びません。自身への戒めです。婚姻できるかはわかりませんが」
国王は考え込む。その横でアレクサンダーが必死に解消をしないよう訴えてはいるが、聞き耳を持たない。
少しの沈黙が続いたあと、私の目を見て国王が答えを出した。
「それは難しい」
「……なぜですか?」
私は、胸の中がざわつくのを必死に鎮める。ここで断られてしまえば、もう解消など絶対に不可能だ。だからどうしても引きたくない。
「一度出してしまったものは変えるのは難しい。王子との婚約が解消などされれば、平民の王族に対する信頼も薄くなる。このままアレクと婚姻を結んでほしい」
「私のことは悪く書いてください。そうすれば王族は、悪い令嬢との婚約を解消したとして信頼が強くなるのではないですか?」
国王は、ため息をついた。
「ドロレス嬢よ。私はそなたがアレクの横に立つにふさわしいと考えている。国王である私がそう言っても、そなたはその願いを通すか?」
ああ。
そう言われてしまえば、私は何も言い返すことができない。これ以上は王族、しかも国王に反論することになる。それをわかった上でこの人はそう言ったんだろう。なんてずるいんだ。私は拳を握りしめる。
やっぱり、無駄なんだ。
駄目なんだ。
バチン!
口元にあった扇子を勢いよくたたみ、私を見下すような目線で王妃は口を開いた。
「女同士で話し合おうじゃないの」
彼女は立ち上がり、私の腕を掴んで部屋を出ようとする。
「ドロレス?!母上!」
「ついてくるんじゃないわよ!あなたも説教されたいの?!」
アレクサンダーも立ち上がりついていこうとするが、王妃はそれを制止する。
私は抵抗などしない。そのまま王妃に引っ張られるような形で別の部屋に放り込まれる。そしてメイドなど誰も入れずに、王妃と二人きりになった。
私は今から何を言われるのだろう。王妃の怒りは当然だ。覚悟はしていたもののどうしても体が震える。大きい音を立てて心臓が速く動き、緊張もピークに達していた。
椅子に座らされると、王妃は大きなため息をついて椅子にドスンと座った。
「ふぅ……。ドロレス、うちの息子はそんなに魅力がなかったかしら?」
手をおでこに当て、困るようなポーズで私にそう聞いてくる王妃。いや……今、目の前にいるのは【王妃】ではなく【アレクサンダーの母親】だった。
「見目も良いし、勉強もできるし、なにより王子よ?それでも惹かれなかったの?」
あれだけ怒っていた王妃が急に母親顔をし始めたため、私は混乱している。私、怒られるんじゃないの?
「いえ……。アレクサンダー殿下はとても素晴らしい方ですし、人としてとても尊敬しております。学園でだって憧れの的ですし、ランチの時にはひっきりなしにご令嬢がお誘いにきます」
「だけどあなたには違ったってことよね?」
「……申し訳ありません……」
再びため息をつく王妃。
いたたまれない。婚約解消したい相手の母親と二人きりなんて……この沈黙の空気がつらすぎる。
「あなたが娘になれるのを楽しみにしていたのに残念だわ。娘になったら、お忍びであのロールケーキの店に二人で抜け出していこうとか色々考えていたのに。考え直す気はないの?」
「……はい」
「そう。……他のところに心があるのかしら?だからアレクとの結婚が嫌?」
核心を突いてくる質問に、一瞬体が強張った。なんて答えようか迷って口を噤む。だけど……。
「はい……心を寄せる人がいます。ですがその者とは身分の差ゆえ結ばれることはないと思っております。それに先ほど陛下に話したことのほうが、理由としては大きいです」
王妃にこんなこと言っていいのかわからなかったけど、この空気に嘘をつくことなど出来ず、気持ちがアレクサンダーにないことを伝える。だけど、王妃になりたくないことのほうが強い。
王妃になれば、私の軽く放った一言が人の人生に大きく左右する。生活も、家も、家族も。それがたとえ間違っていたとしても、謝ることすら難しい。
言動全てに重みのある場所は、私には務まるわけがない。
「その人は、すでに婚約者がいるとか?」
「えっ?いえ、そうではありませんが……」
なぜそんなことを聞いてきたのだろう。あ、もしかして相手が下位貴族だと思われているのかな。
ジッと見られ続け、そしてもう何度目かのため息を聞く。
「諦めるの?」
「え?」
「その人を諦めるのかって聞いてるんだけど。それでいいの?やれることは全部やったの?」
私は耳を疑った。
それはまるで、『諦めるな』と言われてるようなものだった。
「あ……の、王妃様?」
「心を寄せている人がいるんでしょ?アレクとの婚約解消を願い出る勇気はあるのに、その人と結ばれようと努力はしないの?」
グイグイと質問をしてくるこの状況は……なんだ?なぜ今、王妃は私へ恋のアドバイザーみたいなことをしてるの??え……どういうこと??
「そ、それはその……」
「将来、後悔しそうなことをやり残しては駄目よ。出来ることは最大限にやりなさい。それで駄目なら堂々と諦めればいいわ」
「はい?……はい」
私の変な返事に王妃は笑みを浮かべた。
「あなたのことが羨ましいわ。自分の想いをちゃんと陛下に伝えたし、あなた以外にも学園には高位貴族の令嬢がたくさんいるんだから。さ、戻りましょう。私の素晴らしい芝居を彼らに見せつけなくてはならないのよ」
そう言うと、来たときとは全く別人のように優雅に歩き出す王妃。王妃の言っていたことが理解できなかったまま、私はこの部屋を出る。そして陛下たちが待つ部屋のドアを開ける直前、彼女の顔が再び見下すような目つきに変わり、私の腕を掴んだ。
バタンと乱暴にドアを開ける。
「待たせたわね。ほら早く入りなさいよ!陛下、やる気のない娘は私はいらないの。早く別の娘を選んでちょうだい!」
部屋にいた男性たちが王妃の態度に驚く。私もびっくりして王妃の顔を見た。さっきと態度全然違うじゃん!!なんで急に怒ったの?!
「ローザリア、何を言っているんだ?アレクとの婚約の解消だぞ?!」
「そうですよ母上!僕に協力してくれると仰っていたではないですか!」
身内から、婚約解消しろと言われるなど予想をしていなかった国王とアレクサンダーがなぜだと繰り返す。だが王妃の態度は変わらない。
「あらアレク。私は『1度だけ』協力すると言ったのよ?だけどこの子、結婚したくないって言ってるのよ?こんな娘、こっちから願い下げだわ。中途半端な気持ちで王妃になれるわけがないでしょ。ドロレス、あなたには失望したわよ。陛下、今すぐにでも解消してやるべきだわ!」
困惑する国王を無視し、私の手を投げ捨てるように離した。
ど、どうなってるの?!
次話、ローザリアのサイドストーリーです。7時と17時に1話ずつ公開します。




