141.愛している
「ローザリア、どうした」
国王の行動を止めたのは、横にいた王妃だった。その落ち着いた声に国王も少し冷静になり、再び座る。
王妃は私へまっすぐに視線を向けた。
「今のあなたの言葉は信じていないわ。そんなことありえないからよ。……だけどね、今まであなたと会ってきて、どうしてもあなたがこんなときに冗談を言うとは思えないのよ」
私の目を見たまま、国王に話しかける。
「陛下。今はすべての可能性をかけなくてはなりません。たとえ虚言だとしても、出来る限りの可能性はすべて行いたいのです」
「ローザリア、だが私にはどうしても信じられん」
「私もです。ドロレスの言うことが本当だとは思っていません。ですが、彼女は本気なのです。ですからユリエ殿にはなんとか部屋を出てもらい、内密に試そうではありませんか。それで駄目なら煮るなり焼くなりすればいいのです。本人がそれを覚悟しているのですから」
私は気づいた。
王妃の目線は、少ない可能性を私に賭けているようだった。きっと心の中では、私が力を持っていることを信じていない。だけどそんなの当たり前であって、それでも私の話をまともに受け取ってくれていた。嫌味な言い方をしていたが、王妃も自分が生んだ大切な息子を何としてでも助けたいのだろう。そして、なんとかしてほしいと私に訴えているようだった。それは僅かな望みでさえも逃したくないと、視線に強く熱がこもっている。
「だが!」
「今はドロレスより貴方のほうを信じたくないのよね」
「ぐっ……」
王妃は目を細めて国王を見る。おそらく、他に子供がいることに対して怒りが頂点を超えている。それ以上何も言えなくなった国王を懐柔し、王妃主導でユリエを部屋から出す会議をする。
「あの子は未だに部屋から出てこないわ。中にいる護衛の報告ではひたすらアレクサンダーの手を握っているらしいけど、それらしいものはなにもないそうよ」
やっぱりまだ発動していないのか。でももう24時間以上が経過している。こんなにも時間が経過して発動しないのなら、その後の可能性も低い。忘れかけてるゲームの記憶でも、倒れてすぐに力を発動していた。ユリエだってそう言っていたのだ。なんとかしてアレクサンダーの部屋に入りたい。
「一時間ほど食事を取らせるか、休ませるかで部屋を出てもらおう。どちらにしろ彼女の体力も限界なはずだ。その間に入ってもらう」
執事に頼み、ユリエに出てもらうように伝えるも、彼女は出てこなかった。中の護衛にも怒鳴り散らすようにして、ドアを開けないよう指示しているそうだ。
そんなやり取りが一時間ほど続き、ついには国王の命令として彼女を無理やり退室させた。
アレクサンダーがいる部屋のドアが見える場所は、全て人の通りを禁止してもらう。それほどまでに私の行動を誰にも知られないよう、王妃がすべて配慮してくれていた。実際テレンスを助けたときにかなり強い光が出たため、かなり助かる。
中の護衛も出てもらい、全ての人がいなくなったのを確認して、国王、王妃とともに彼の部屋へ向かった。
部屋のドアを開ける。
「なに、これ……」
そこは、まるで強盗が入ったかのように、床には物が散らばっていた。
破れた本も、折れたペンも、引きちぎられたクッションも、割れた花瓶も足元に転がっている。なんという残骸だろう。彼女の心が相当乱れていたのだ。中の護衛は何をしていたのか。
「力が発動しないことで、物に当たり散らしていたそうだ。中の護衛は私の命令を忠実に守った。『アレクサンダーを危険な目に遭わせる以外は何もするな』と言ってあったんだ。それがユリエ殿の力の発動に影響されては困ると思ってな」
報告では聞いていたが、まさかこれほどまでの状態になっているとは想像もつかなかったらしい。国王は、自分が護衛に下した命令を少しだけ後悔しているように見えた。
私はアレクサンダーの元へ近づく。目が薄っすらと開いていて、起きているようだ。
「アレク様」
呼びかけると、彼の瞳がピクリと動く。声のしたほうに視線を向けているようだが、私とは目が合わない。もう見えなくなってしまっているのだろうか。
「……レ、……ド、ロレスか」
綺麗なまま、だけど血が通っていないような蒼白の顔をしたアレクサンダーが私の名前を小さな声で呼んだ。私はベッドの近くまで行く。
きっと大丈夫。私は【治癒の力】を授かったのよ。今までだって普通に使えたんだから。
ベッドの横に倒れていた椅子を直し、座る。
「力は、発動してないみたいだな……もう僕は、無理そう……だな」
「……いえ。私が助けます」
なんとか動かせる口で、途切れ途切れの言葉を繋ぐ彼の手を持ち上げ、強く握る。
ユリエは、王子が毒を飲んで倒れたらすぐに発動すると王族の前で堂々と宣言した。しかし未だにこの状況。アレクサンダーはもう諦めかけている。
「ドロレス。……愛している」
私はその言葉に大きく目を見開く。彼の顔を見ると、今にも涙が零れそうな潤んだ瞳と視線が合ったような気がした。
え……アレクサンダーが私のことを?そんなわけ……。
驚いてしまい、彼の手を握っていた自分の手を緩める。しかし、もう動かないと言われたその手が握り返してきた。
「もっと早く、伝えれ……ば、良かった。はじめて、会った時から、君を愛してい……る。妻になって……ほしかった。強引に……婚約をした。すまない……」
顔は上を向いた状態で、彼の目尻からたくさんの涙が流れていく。それでも視線はこちらへ向け、「愛している」と「すまない」を何度も繰り返した。
じゃあ、私の誕生日会から……ずっとだったの?信じられない話に私は混乱する。だけどよく考えれば、合点がいくことばかりが思い出された。
なんで私、気づかなかったのだろう。
【アレクサンダーは悪役令嬢のことを好きではない】
そんな知識で動いていた。だから彼と向き合うことすらしなかった。それ以外のことは絶対にないと思っていたから。
あぁ、私も悪い。もっとちゃんと話をするべきだった。避けてばかりで、核心部分をはぐらかして来たからここまで私も偏った考えで彼を見ていたんだ。
「ドロレス?」
王妃の言葉にハッと我に返る。いけない、今は私のことよりアレクサンダーのことだ。
「今から力を使います。何が起こるかわかりませんので少し離れていてください」
彼の手を強く握って目を瞑り、私は祈る。
強く強く、心の中にアレクサンダーを救うことを願いながら。
「なんだ?!」
「ドロレスから光が……」
薄っすらと目を開けると、自分の体に水色のようなオーラが出ている。今までにはなかったその状況に驚いたが、力を弱めることなく願う。そして私の周りにまとわりつく光が、アレクサンダーを囲う。そのままひたすら祈り続けると、数十秒後には完全に光が消えた。
その瞬間、私は力尽きたように椅子から落ちた。だけど意識はあるのですぐに起き上がり、再び椅子に座る。ほんの少し疲れた感覚。闇の魔力があるって言ってたからかな、初めて見る力の発動だった。
国王と王妃は恐る恐る私に近づいてきたが、その先に寝ているアレクサンダーの方に視線を向けた。
「……ドロレス?」
先ほどとは全く違う、血の通った声で彼は私の名を呼んだ。全く合わなかった視線もピタリと合う。そして何事もなかったかのように起き上がった。その姿を見て国王たちは一気にベッドに駆け寄る。
「アレク!」
「あぁ!良かった……本当に良かったっ!」
両親に抱きしめられる彼は、何が起こったのか全くわかっていなかった。だけど自分が治ったことには気づいたみたいで、何も言葉を発さずに涙を流していた。
良かった……使えるとはわかっていたけど、アレクサンダーを救えるかは正直わからなかった。
本当に、良かった。
私も気づけば涙を流していた。私のせいで……私が自分の可愛さゆえ、力のことを打ち明けられずにこの親子を苦しめてしまっていた。こんなにも大泣きする親子を見て、心が痛くなった。
私はいたたまれなくなってこの場をそっと出ようとする。だけどそれに気づいた国王が制止した。
「待て。……疑ってすまなかった。君には酷いことを言ってしまった」
「いえ、陛下が謝る必要などございません。私の言うことなど、普通なら誰も信じられませんから」
私が力を使えるかもしれないと話したときの国王の怒りは当たり前であり、非など全く無い。私が力の存在を黙っていたからそうなったのだ。
「だがこうなった以上、話を聞かねばならぬ。誰にも見られぬよう、このことを知っている護衛と共に別の部屋で待機していてくれ」
「はい」
私がドアの方へと向かうと、後ろから声をかけられた。その声に足を止める。
「っ!ドロレス!待ってくれ!」
アレクサンダーに呼び止められ、振り向けば、強い視線を私に向けてきた。両手でシーツを握りしめている。
「父上、母上。5分で構いません。ドロレスと二人にしてもらえますか?」
「ああ、いいだろう」
特に反対することもなく国王と王妃は部屋を出ていき、私とアレクサンダーの二人になった。
パタンとドアが閉まると同時に彼は私に話しかける。
「ドロレスが……力を使えるのか?」
「私も確信は持てなかったのですが、どうやら使えたようです」
「そうか……」
その言葉で一旦会話は止まり、部屋には静寂に包まれる。
そしてまた再び口を開いたのは彼だった。
「先ほど、その……つい、最後だと思って。あ、愛していると……口走ってしまって……」
口元を押さえ、耳まで赤くなっていく彼を私は見た。目が合うと彼は視線をそらし、顔を私とは反対の方向へと動かす。
正直、彼が私のことをそう思っていたという事実をまだ信じられない。だからちゃんと聞いておきたかった。
「……それは、先程発した言葉は本当のことではない、ということですか?」
その言葉に彼はパッとこちらに振り向く。顔を赤くしたまま大きく深呼吸した彼は、私の目を見て、しっかりとした言葉で伝えてくれた。
「先程の言葉は、嘘などない。……君のことを考えれば仕事も手につかなくなるほど、夜も眠れなくなるほど、感情を制御できなくなるほどに愛している。僕と共にこの国を支えていってほしい。ドロレスと一緒に生きていきたいんだ。僕が死ぬまで、ずっとそばに君がいてほしい」
「アレク様……」
私は初めて、アレクサンダーの真っ直ぐな言葉を聞いた。初めて……彼が今までどういう気持ちだったのかを知った。
「婚約のことも……本当ですか?」
アレクサンダーは視線を少しだけ彷徨わせたが、決心したように頷いた。
「そうだ。何としてでも君を手に入れたかった。次期王妃としての素質も充分に備わっていたが、なにより……君が誰かに取られてしまうのが嫌だった。だから強引に話を進めた。君の気持ちが僕に向いていなくても、これから僕に興味を持ってくれることを願った。僕はただ……ドロレスが僕の前で心から笑う姿を見たかった」
そう言い切ったアレクサンダーは下を向く。恥ずかしさでも後悔でもなく、なぜか緊張が解けたような顔をしていた。
ずっと、言いたかったということなのだろうか。
私は言葉に詰まる。なんと返していいのかわからない。彼の真っ直ぐな気持ちを受けて、動揺していた。
彼の行動はただのシナリオ補正の力だと思っていた。好意を向けられているのではなく、ただただゲームに忠実に動いているのかと。
ユリエのことなど何も言えない。
私も未だに、ゲームに囚われたままだった。
「アレク様、私は……」
言いかけたものの、何も出てこない。そんな沈黙の中、ドアをノックする音が聞こえて私達はそちらへ顔を向ける。
「悪いが、ドロレス嬢は一度別部屋に戻ろう。長い時間の警備で誰かに見つかっても困るのだ」
そうだ。ここに再び彼女が戻ってきたりしたら大変なことになる。
まだ何かを言いたげな彼にお辞儀をし、部屋を出て、待機部屋に戻った。




