陛下の憂鬱 〜side.バルトロ〜
バルトロ(国王)のサイドストーリー。
もう悩み続けて4ヶ月は経っただろうか。
私は治癒の力を持つ【女神】を召喚したのではないのか?
私が教わった神様という存在とは似ても似つかない。かけ離れている。
最初は話を聞いている限り、私達の国とは全く文化の異なる世界からやってきたと聞いた。
馬が引かなくても動く乗り物。遠くに住んでいる人と会話ができる板。指一本で洗濯が完了する箱。
そんな不思議な世界から来たあの娘は、礼儀が皆無だった。
礼儀どころではない。人によって態度を変え、アレクやクリスを含め、見目の良い男性を手元に置くように指示し、かと言ってこの国のことを学ばせようとすれば嫌な顔をする。
そんなに難しいものではない。この国の文字と、人に会うときの礼儀だけを教えているのだ。政治的なことなど何も教えていない。それなのに体調が悪いからなどと言って勉強の時間をサボる。ダンスも習うと言いながらレッスンをサボる。だがその後のアレクたちと茶会を開いているのだから、あからさまに仮病なのだ。
学園は、今のままでは授業についていけない。マナーも言葉遣いも出来ていない状態であの娘を入学させれば、一瞬のうちに非難の的となる。
だから入学の時期をずらすと言ったのに、あの娘は断固として譲らなかった。
そして、案の定学園でも浮く存在となる。
「陛下。学園でのご報告がございます」
「はぁ。今度はなんだ?またあの娘はどこかの令嬢と揉めたのか?」
臣下であり、学園でも臨時教師として勤めている者が報告をしにやってきた。いつも定期的に連絡をとっているが、あの娘の問題行動に毎回頭を悩まされた。
だが今日はいつもと様子が違う。
「ユリエ殿が、学園の階段でドロレス様を振り落としたそうです。ユリエ嬢は手すり掴まっていたので無傷、ドロレス様は命に別条はないですが意識を失っています」
「なにっ?!」
無意識に席を立ち上がり、私はその臣下を睨みつけるように見ていた。彼の怯える姿を見て、我に返る。
あの娘は何をしているんだ!?第一王子の婚約者であり次期王妃となる公爵令嬢になんということを!あれだけ身分や立場、それに暴力的な態度を改めろと何度も言ったのに!!
すうっと深く呼吸をし、落ち着いた声を作り出して尋ねる。
「なぜそのような事態になった?」
「目撃証言が多数あります。他の令嬢が最近のユリエ殿の態度を注意したところ口論になり、ユリエ殿がその令嬢の髪を引っ張ったそうです」
「は……?」
髪を引っ張る?私は何を今、聞いているんだ?赤ん坊の話か?
「そこにドロレス様が仲裁に入って場を収めたようですが、その後ユリエ殿がドロレス様の腕を引っ張って階段から落としたそうです。ちょうど近くにいたルトバーン商会の子息が手を伸ばしたおかげで彼女に大きい衝撃は無かったそうですが、おそらく彼の方は怪我をしたかと」
「そうか。すぐにアレクサンダーに伝えよ。そのルトバーン商会子息にはこちらから医者を用意する。守ってくれたことに感謝し、無償で診てもらうように」
「かしこまりました」
臣下が急いで部屋を出て、アレクの方に向かった。しばらくすると廊下をバタバタと走る複数の音が聞こえる。彼らは学園に行ったようだ。
あの娘は。
【女神】ではないのか?
この国を滅ぼそうとする【悪魔】なのではないだろうか。
私はとんでもない人を召喚してしまったのではないだろうか。
大げさに聞こえるかもしれない。だが、あの娘が来てから城内のメイドも心労が増え、アレクたちも手を焼いていた。由緒正しき王宮内には乱れた空気が漂っているようだった。
【女神】とは何なのだ?慈愛に満ち溢れているものではないのだろうか?それが人の髪を引っ張る?階段から落とす?
本当に、あの娘が【治癒の力を女神】なのか?
その後ドロレス嬢の温情により、投獄ではなく謝罪のみで許すということになった。
彼女の寛大な心とは真逆で、事実を認めないどころか、自分が悪いと思っていない態度。ついに苛立ちが沸点を超え、剣の切っ先を大きく床に叩きつけた。
思い出せば、アレクが人間らしく感情を出し始めたのも、ローザリアとエレオノールが腹を割って話ができるようになったのも、全て彼女が関わっていた。彼女にはとても感謝している。
以前、アレクが『父上』呼びではなく「『陛下』、どうしても彼女を私の婚約者として選んでください」と懇願してきたときには驚いた。確かに申し分無い令嬢ではあったが、気づけばアレクはドロレス嬢のことを本気で好いていたようだった。
なんとなくそんな気はしていたが、自分の誕生祭で彼女と踊ったあとに嬉しそうな顔で私のところに報告しに来た時点で、そう言ってくるのは時間の問題だと思っていた。
何度も何度も、彼女の父であるトニーと揉めた。
彼は自分の娘を出来る限り自分で選ばせたいと言っていたが、それは立場上ほぼ無理である。そしてドロレス嬢は、優秀だ。彼女が選ばれることに、トニー以外の誰が反対するだろうか。
諦めない息子の態度を見て、父親としてではなく国王として提言することにした。
「アレクよ。彼女の意思も大事だ。だが、それを確認せずに話を進めるのはある意味残酷な結果になることもある。普通の貴族同士の婚約ではない。王族との婚約だ。それでもお前はこの話を進めるか?」
最後の通告だ。ドロレス嬢は、他の令嬢と違ってアレクに好意的な様子がなかったと報告を聞いている。
だが、今。本人の知らぬうちに、運命を大きく変えようとしている。
それは、自分のときもそうだったからだ。
若いと、自分の感情を優先したくなる。
私も、同じことをした。
息子の言葉を待った。しばらく黙っていたが意を決したように口を開く。
「ドロレス嬢は、私の心の支えであり、彼女がいたからこそ広い視野で物事を見ることができるようになりました。彼女がいなければ、私はまだ誰にも心を開けずにいたと思います。私の隣には、彼女以外ありえません」
決意を込めたその瞳はそれ以外の意見は無いと主張しているようで、初めて息子が自分の意志を曲げなかった出来事だった。
ドロレス嬢も、もしかしたらローザリアのようになってくれるのではないか。そう思って、私は決断する。
「わかった。ならば政略結婚として通知を出そう」
学園に入る前なら、親だけで決められる。だから、決定事項としてジュベルラート公爵家へと内定通知を送ったのだった。
そんな経緯があったことをふと思い出す。
ドロレス嬢とあの娘は同じ歳なのか。世界が違うと、こうも違ってしまうものなのだろうか。信じられん。道徳的な事の基礎は変わらないと思うのだが……。あの娘を一瞬でも王妃や側妃にしようなどと思った自分を殴りたい。
アレクの誕生祭が終わってから、マクラート公爵令息が話をしたいという連絡が来た。
翌日、応接室を使いアレクと共にやってきたジェイコブに発言を許す。
「ユリエ様を、どこかの貴族の養女に入れませんか?」
「それは、なぜだ?」
あの者が貴族として過ごせるわけがない。王宮にいればわかる。あの娘は未だにほとんどマナーが身についていない。平民並である。それなのに貴族など、やっていけるわけがなかろう。
「まず、今の彼女の立場がハッキリしていません。ドロレス様に怪我させたことがわかった時、【治癒の力を持つ女神】という特別な立場が故に、処罰を悩まれませんでした?」
彼の言葉は図星だった。
あの娘は貴族ではない。だが、平民でもない。そして王族でもない。国賓のような扱いだった。だから、何を基準にして処罰を決めればいいのか悩んだ。
だが、それは身分よりも人としての問題であり、なおかつ怪我をさせた相手が次期王妃だったため最終的には投獄と決めたが、あの娘の身分が定まらないせいで王宮での対応も難しかった。
国賓という名目で住ませているが、それが長くなるにつれ、王宮に留まるにふさわしい人物ではないことも徐々にわかってきていた。
「だが、貴重な存在でもある。下手な扱いはできぬ。そもそもユリエ殿を養女に迎えようとする貴族などいるのか?」
パーティーなどであれだけ非常識な態度を取るあの娘だ。誰が受け入れるのか。
「こちらの3つの家はどうかと。子爵家1、男爵家2の計三家です。この家のご令嬢は普段、取り巻きとしてユリエ様のそばにいつもおります。一番いいのはこちらの男爵家かと」
「……あぁ、この男爵は私の誕生祭で、ユリエ殿を王妃にと馬鹿げたことを言ったな」
アレクも知っているのか。宝石が採掘される鉱山を所有する男爵家。色々と調べておこう。
横にいるジェイコブはわざとらしい演技で話す。
「【治癒の力を持つ女神】として召喚された女性を自身の養女に出来る。なんと名誉なことでしょう!彼はきっと大喜びです。生活費もこちらから定期的に送れば良いのですよ」
「ユリエ殿は納得するかと思うか?それに、そなたは何を考えているのだ」
彼はギルバートの件を主導していたことを知っていた。だからこそ、今回もこの提案をするのにはなにか考えがあるだろう。
スッと冷静な顔をしたジェイコブは、真面目に答えた。
「まず、立場をハッキリさせます。身分がない状態では裁きも出来ません。貴族と平民、どちらになりたいか彼女に聞いたら、答えは決まっているでしょう。そしてそうなれば、学園でも学園のルールに従ってもらいます。たとえ力が発動したとしても、彼女は何かしらの身分になるわけですから、陛下は自由に扱えるようになります。いつまでも客人扱いは彼女のためにもなりません」
「身分を……」
「はい。彼女のいた世界の話を聞く限り、彼女はこの国でいう【平民】です。それはなんとなく察していただけるかと思います。治癒の力が発動する前に、先に養女として王宮から出したほうがいいかと。今のままでは、力が発動したときに特別扱いを更に上回らなくてはいけなくなってしまいます。本来ならそれでも良いとは思いますが、なにせあの状態では王宮に仕える方々の苦労が目に見えます」
身分を決める。
言われてみればそうだ。客人として扱うのにも限界がある。実際、城に来てから着る機会のない必要以上のドレスやアクセサリーを購入したり、頻繁に高級菓子を購入するものの、それで満足して食べずに終わる品もあったと聞いている。
それに、貴族令嬢になるならば、こちらから命令や罰を受けさせることができる。
「召喚で初めて来た人です。ルールなどいくらでも作れます。例えば『今の立場では一生王宮で過ごせるが婚姻は出来ない』はどうでしょう?彼女はとても異性に興味がありますから効果はあると思います。そして素晴らしいことをしたなら褒美を与えることもできますし……逆に悪いことをしたならば、陛下は堂々と処罰を下すこともできます」
「……そうだな。それはとてもこちらに好都合だ。早速その男爵に通知を送ろう。至急だ」
貴族の養女になれば、少なくともそこで新しい教師がついてマナーの勉強も始めるはずだ。社交界パーティーでは苦肉の策で出席禁止を通したが、あの娘が【治癒の力を持つ女神】である以上、私からの毎回禁止は不可能だ。王族に非難が集まってしまう。
あの娘をこのまま王宮にいさせても王族の品位を落としかねない。だからといって高位貴族は誰も受け入れないだろう。
提案と候補の内容だけの手紙を送れば、すぐに快諾の返事が来た。
今日は17時にも更新します




