131.伝える
「ん……」
あれ?私、確か階段から落ちて、それで……。ここはどこだ?
見渡せば、保健室のような場所だった。
ベッドに寝ていた私は上体を起こした。
「痛っ」
頭を打ったのかな。ズキズキするし、足首はどうやら何かを巻かれている。骨折ではなさそうだけど、動かすと痛い。捻挫かな?
「あ、起きた?思い出せないこととかはない?」
40代くらいの女の人……というか保健室の先生が声をかけてきてくれた。
「はい、大丈夫です。……どのくらい時間が経ってます?」
「そんなには経ってないわよ。1時間ほどかしら。頭の外傷は腫れているけど血は出ていないわ。でも一応内部を調べてみたほうがいいかもね。足は捻挫してるから、帰るときはこの杖を使ってね」
そんなに私、気を失ってたんだ。
あぁ良かった、今日は王妃教育もないしそのまま家に帰ろう。
「私は職員部屋に行くけど、友達が荷物を持ってここに来てくれるみたいだから待っててね。これ鍵。出たら職員部屋に持ってきて」
「は、はい……」
だいぶ適当だな。早く帰りたいオーラを出す先生は、さっさと荷物をまとめて部屋を出ていった。
そっか。やっぱり階段から落ちたんだ。一瞬の出来事だったのに、思い出して嫌な気持ちになった。
ユリエの問題行動に頭が痛む。ここまでやってくるとは思わなかった。あの時の目撃者もたくさんいるし、どうしよう?あの子は本当に何がしたいのかしら。
ガーゼのようなものが貼ってある頭の後ろを押さえる。彼女のことで頭も痛いし、外傷も痛い。ダブルパンチで痛みがやってくる。
ーーーガラガラガラ。
「あっ!起きたの?!」
一番会いたくて、一番会いたくなかった人がそこにいた。
「フレッド……どうしてここに?」
「助けようとしたんだけど、間に合わなくて……。それよりドリーは大丈夫なの?頭は痛くない?足も捻挫なんでしょ?」
駆け寄ってくるフレデリックに目を合わせられず、下を向く。彼は私の寝ているベッドに腰を掛け、怪我をした私の頭の後ろに手を回す。彼の顔が近づき、驚いて目線を彼の顔に戻すと、心配そうな顔で私の目を見返していた。息がかかりそうなほどの距離に、再び目をそらす。
「声をかけても全然返事がなくてさ……必死でここまで抱えて運んだよ。助けてあげられなくてごめん」
「え?何言ってるのよ。フレッドは悪くないじゃない!私とユリエ様が揉めていたのよ?」
「でも俺、ドリーに話があって、声が聞こえたんだけど揉めてたから途中から階段の下で聞いてたんだよ。だからいこうと思えばいけたんだ」
すごい申し訳ないような顔をしているけど、本当にフレデリックはなんの関係もないんだから!
「……?ねぇ、左手……まさか」
彼の後ろへ隠すように回されていた左手が少し見えると、そこには包帯が巻かれていた。私はその手を覗き込む。フレデリックは慌てて後ろに隠した。
「もしかして、私を助けるときに?あなたこそ大丈夫なの?!そんな包帯巻いてたら、軽症じゃないわよね?!見せて」
諦めたように彼は左手を出し、苦笑いをする。
「手を伸ばしたけど肩しか受け止められなくて、そのまま壁に打ちつけて……でもドリーのことを助けることに必死でさ。それなのに、手にヒビ入っちゃった。バカだよね、あはは」
「なんで……なんでそんな」
どうしてそこまでして私を助けたのよ……。ヒビ入ってるのに私を運んだってこと?あなたのほうが怪我をしてるのに!
駄目、ここで泣いたらいけない。泣いたらフレデリックに余計心配される。私は彼から離れなければいけないのに。
必死に涙を堪えた。
「私のせいで、本当にごめん。ごめん……全部私が悪いのに」
言葉にしたら、大粒の涙が溢れる。
「ドリー」
怪我をしていないほうの手が私の頭を優しく撫でおろす。その手が頬に伸び、彼の体温を私に感じさせる。
彼の目は、まっすぐ私の瞳を捉えながらも、不安げに揺れていた。
「最近、俺のこと避けてるでしょ」
「っ!そんなこと……」
「ウォルトから全部聞いたから。あいつには怒った」
俯く私の顔を彼は覗き込んでくる。
「叶わないのはわかってる。ちゃんとわかってるから、その時が来るまでは今まで通りでいてほしいよ。それまではドリーのことを好きでいさせて?」
なんで、そんなに切ない顔をするの?そんな顔しないで。苦しめてるのは私だってわかってるんだから。
私が離れなければ。そうじゃなきゃ想いが強くなるだけなのよ。
「それじゃ……駄目なの。フレッドの近くにはいてはいけないのよ……」
「なんで?ドリーのことが好きなのは俺のわがままなんだよ。ドリーが深く考えることじゃない」
頬に触れた彼の手に、上から私の手を重ねる。
私は声を絞り出した。
「あなたのことが好きなのよ」
言ってしまった。
心臓が大きく急速に鳴りはじめる。音が彼に聞こえてしまっているのではないかと思うくらい、バクバクと動く。
こんなところで言うつもりなんてなかった。伝える気などなかった。
涙で視界が霞む中、フレデリックの手が離れる。
驚いたよね……。しかも王妃になる令嬢が他の男性を好きだなんて……。
おそるおそる彼のことを見る。ベッドに腰掛けたまま、反対側を向いてしまった。
「こんなこと言ってしまってごめんなさい……」
「待って!」
反対を向いたまま、私の言葉を制止するように手のひらをこちらに向ける。
「無理……」
あぁ、私の立場からそんなこと言われたら無理だよね。このことは秘密にしてもらおう。じゃないと、フレデリックに何かしらの権力が働かれても困る。
「あのさ、さっきのは」
「無理」
そんな拒否しなくても。
「嬉しすぎて無理。俺、今、気持ち悪い顔してる。めちゃくちゃ顔赤いと思う。ちょっと待ってて、そっち向くから!」
包帯を巻いた手で口元を隠しながら、ゆっくりとこちらに振り向く。顔を真っ赤にした彼を見て、私もさっきの告白を思い出し、顔が熱くなった。急激に恥ずかしさが襲ってくる。
フレデリックは立ち上がり、私に近づいてベッドに膝をつく。
「えっ……ちょっ」
「ドリー、大好きだよ」
彼の手が私の背中に回る。優しく、温かいその腕に抱きしめられた。
「だめ、誰かに見られるかもしれないからっ」
必死にその腕をほどこうとするも、思っている以上に強く抱きしめられている。
「誰もいないよ。それに前回は震えているときだったから。でも今は違う。ドリーの気持ちを知ることができて、俺もそれ以上に好きなことを伝えたい。嬉しい……本当に嬉しいんだ」
フレデリックは私の耳元で囁くように話す。この一瞬だけ……何も余計なことを考えなければ、彼の真っ直ぐな言葉はスッと私の心に浸透するように入ってくる。
ふと気づけば、私とは別の鼓動が聞こえた。ドクンドクンと、大きく早く私の体に伝わってくる。
「俺の心臓うるさいでしょ。聞かれるの恥ずかしいんだけど……」
恥ずかしそうにそう言って、彼の手が私の背中から離れていく。まだお互いに頬を染めたままで見つめ合う。
無言のまま、ゆっくりとフレデリックの顔が近づいてくる。静寂な部屋の中、私の耳には心臓の音だけが響いていた。
少しずつ閉じていく彼のまぶたを見る。
「っ!待って!ストップ!」
思わず、私とフレデリックの間に手を差し込んだ。
一瞬目を見開いたフレデリックだったけど、何をしようとしていたかに気づいてバッと離れた。
「倫理的に……駄目だと思う。私一応婚約者がいるから……」
「……っ!ごめん!つい嬉しい気持ちが暴走しすぎて……。俺、こんな……自分でもビックリしてる……」
自分のことを不思議そうに考え込みながら慌てている彼を見て、私も徐々に気が動転してきた。
フレデリックにそんな、……キ、キスされそうになるなんて思ってなかった!止めなかったらあのまま……。顔が熱くなるのを感じて、恥ずかしくてベッドに潜り込む。嬉しいという気持ちが体中に満ちていたのだ。
私、中身が大人で良かった。冷静に考えて今のは、王子の婚約者の立場として絶対にしちゃいけない……ドロレスのままの歳なら何も考えず嬉しくてそのままキ……。あっ!止めなきゃ……よかった。
バカ!どっちにしても私バカッ!!何考えてるのよ!
ベッドから半分だけ顔を出す。まだ顔の赤いフレデリックは深呼吸をして、シーツに潜り込んだ私の方に体を近づける。
「本当に嬉しい。あと一年とちょっとしか一緒に過ごせないのは寂しいよ。だから……ウォルトの言ったことは気にしないで、今まで通り仲良くしよう?最近みたいに避けられるのはつらいんだ」
目だけを覗かせれば、悲しそうに微笑むフレデリックがいる。私は彼にこんな顔をさせてしまっていたのか。
「わかっ、た……」
首まで顔を出すと、彼は私の髪の毛をふわりと撫でる。さっきまでとは違い、いつもの明るい顔がそこにはあった。
「とにかく今日は帰ろう?腕貸すからさ」
「うん、起きる……」
ベッドから起き上がり、フレデリックの腕を借りて杖を使い保健室を出た。さっきのことがあって、彼に触れているだけで恥ずかしい。
すると、こちらに数人の足音が聞こえてきた。
「ドロレス!大丈夫か?!」
私の姿を見つけ、アレクサンダーが走ってくる。後ろには心配そうな顔をしたジェイコブとオリバーもいた。
「アレク様?王宮にいたんじゃ?」
「先ほど知らせを聞いて駆けつけた。足は大丈夫なのか?頭も怪我したと聞いたが」
アレクサンダーは一瞬、目線だけフレデリックの方に向けていたが、すぐに私へ視線を戻して声をかけてきた。
「はい。彼がちょうどいて支えてくれたおかげで大怪我にはなりませんでした。その代わりに彼の手の骨にヒビが入ってしまって」
「そうか。ルトバーン商会のフレデリックだな。私の婚約者を助けてくれて感謝する。最高の医師を出すので手当を受けてくれ」
「い、いえそんな……」
フレデリックは慌てて断るがアレクサンダーも引かない。
「事の一部始終は聞いている。君からも詳しく話を聞きたい。それに私の妻となるドロレスを守ってくれたのだから感謝を受け取って欲しい」
「……わかりました」
「ありがとう。ドロレス、公爵邸まで送る。こちらへ」
アレクサンダーは自分の手を差し出した。私が戸惑っていると、フレデリックは腕を掴んでいた私の手をそっと離し、アレクサンダーの方に動かす。
「フレッド……」
「送ってもらいな。婚約者なんだから」
微笑む彼の真意は理解できなかったけど、今はそれよりも先程のことがあって冷静な態度を取ることに精一杯だったため、おとなしくアレクサンダーの手をとった。
「ドロレス様、頭の怪我も大丈夫ですか?怪我しているところ申し訳ないですが、あとで事情の説明をお願いします」
ジェイコブも心配してくれていて、馬車までずっと声をかけてくれた。
私はアレクサンダーと馬車に乗ったものの、彼との会話は上の空で気がつけば公爵邸に着いていた。




