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116.見えていなかった現実

 彼らの必死の思いに私は涙を堪える。




 私は自分の知る孤児院を綺麗にし、教育を施し、楽しいことを教えた。就職先も見つけた。そしてとても満足した。




 だけど、私の知らないところで、こんなにも………生きるか死ぬかのギリギリで生活している子どもたちがいるなんて、考えもしなかった。そして手の届く範囲だけを充実させて満足していた自分が恥ずかしくなった。


 なんでもっと、周りに目を向けなかったんだろう。




「わかったわ。その子どもたちは私が引き受ける。お父様、いいですよね?」


「問題ないよ」


 彼らの話を聞いて、なんとなく先が見えていたのだろう。私の問いにお父様はすぐ返事をする。教会横の孤児院は充分に広い。すぐに準備を整えよう。



「貴族がみんな嬢ちゃんみたいなやつだったら良かったよ。嬢ちゃんに話せてよかった。あのときは本当にすまなかったな。俺らも生きていくために金が欲しかったんだ……」


「ねぇ。そのいつも依頼していた人が、私を攫って襲うように言ったの?」




 ここが一番疑問だ。会話を聞く限り、私が関係することなど1つも出てこない。



「その娘からの依頼だ。『私の愛する男を奪った。その人が結婚する前に襲ってキズモノにしろ』ってな。親が親なら子も子だよ全く。俺だってやりたくなかったけど、いつもの倍の金を渡されて。しかも俺らのことを調べ上げてたらしく、『子供たちがどうなってもいいならやらなくていい』って言ってきたんだ。俺らに断ることができるわけがない」


「どこの家だ?そんな虚言を吐いて生きていられると思うなよ」


「早くその名を言え!すべて奪ってやる……」




 後ろの二人から殺気を感じる。

 そして私も信じられないほどの強い怒りが生まれた。




 なにそれ?信じられない。絶対に許せない!必ず捕まえてやるんだから!人の貞操を勝手に奪おうとするんじゃないわよ。しかも弱みまで使って!!その空き家にいる子どもたちに罪はないでしょ!!



 でもどうやらアレクサンダーの想い人ではなかったようだ。




「……」




 後ろ二人には全く口を開かないサフィに私は呆れながらも、考える。




「アレク様。私が被害を訴えなければ、彼らは何年でここを出られますか?」


「何を言い出す?君は顔に傷をつけられたんだぞ?」


 アレクサンダーがサフィたちを睨む。




「わかっています。だけど彼らは、生きるために……他の子の命を守るためにしょうがなくやっていたんです。傷もすぐに治るし、跡も残らない程度の小さなものです。彼らも普通の生活ができれば今までのようなことはしないでしょう。それとも……今までの生活に戻りたい?」


 私は彼らの方に問いかける。




「まぁもう無理だろうが、もし出られるなら真っ当な道を歩いて妹たちや弟たちに誇れる生き方をしたいよ」


「俺も……」


「俺だってそうだよ」




 彼らの生きるための道はそれしかなかった。だからそうするしかなかった。それしか選択肢が見つけられなかったのだから。

 彼らの言葉はきっと本心だろう。世間で育っていないぶん、貴族のような駆け引きの術など持っていない。嘘は言わないはずだ。


 無罪にしろとは言わない。だから、反省して再出発をしてほしい。




「とりあえず戻ってから話そう」


「ええ。でも私は、顔の傷に関してはもう気にしてませんから」


「ドロレス……」


 アレクサンダーがなんとも言えない顔で私を見る。私が婚約者という立場を利用していると思われても仕方がない。実際そうなんだから。




「さぁ、上に戻ろう。攫った事実を無くしたとしても指示をしたものは罰する。それに、この者たちも強盗の罪はあるから数年はここから出られない。ドロレスも殿下もそれでいいですか?指示した者を口にしない限りまた尋問は続く」


「わかっています」


「……父上と相談する」






 私たちは一旦地下牢から出ようとしたその時、サフィが低い声でつぶやいた。






「西のログス山の麓。右回り。左に2回。合言葉は『風と森と雨』。そこに行けばすべてわかる」


「え?」


「俺はそれ以上口にできない。言ったら、俺らは明日にでもここで殺されてるかもしれないからな」




 牢の前にいた護衛が急いで紙にメモを取り、アレクサンダーに渡す。




「王宮の仕事は後回しだ。明日にでも行けるよう極秘に手配する」


「私も行きます」


「だめだ!……って言っても引き下がらないよな」


「よくおわかりで」


 笑顔で返事すれば、アレクサンダーはため息をつく。






「嬢ちゃん、……飲める水を持っていってくれ」




 そうか、そこには。


「必ず、持っていくわ」


「感謝する。……お前は変な奴だな。まさかこんなに喋っちまうとは思わなかった」


「褒め言葉でしょ?」


「……そうだな」


 サフィはフッと笑った。屈強な彼から初めて出た優しい笑顔だった。






「じゃあまた。私はジュベルラート公爵家のドロレスよ。三人とも覚えておいて」




 私はそう言って、地下牢から出た。




 その後、彼らの処罰や、急遽決まった明日の予定をアレクサンダーが国王に報告したりと慌ただしくなり、明日は朝早く出ることになった。





 次の日。朝早く、何台も空の馬車を用意し、うちのメイドも数人連れてきた。万が一の物資も用意した。


 私はお兄様の服を借りてスラックスを履いてきたのだ。だって森に行くのにスカート履く必要ないでしょ。






 私たちは山の麓に到着する。先回りして確認するために馬に乗った護衛からの報告を受け、状況を確認。


 アレクサンダーやオリバーを始めとした護衛たちとともに私とお父様も先頭でそこへ向かった。






 そこは老朽化し、屋根もなく、つたが生い茂り、人が住んでいるとは思えない廃墟があった。ただ、平民の家の倍ほどの大きさはある。




「ドロレス。私の後ろからついてきなさい」




 お父様にそう言われ、戦闘に護衛数人、オリバー、アレクサンダー、お父様、私と続く。




 ドアに手をかける。




「誰も………いないのか?」


 建物の中は音がしない。みんなに続いて中に入ろうとしたその時。




「だれ?」




 私は思わず振り向く。私の後ろには、私と同じ身長の、だけど体も頬もやせ細った男の子がいた。




「だれ?ここにはお金なんてない」


「いえ、お金なんていらないのよ」


「じゃあ何しにきたの?」




 手には汚れた桶のようなものを持っている。中には、透明でない水が入っていた。




「それは……飲むの?」


「そう。水……飲まないと死んじゃう」




 私は驚いて言葉を失う。どこの水かもわからないそれを口にしなければならないのか?……だけどすぐに冷静になって口を開いた。


「風と森と雨」


 ーーーガシャッ。


「!サフィは?!どこに行ったの?!」


 彼が私の方を掴んで揺らす。護衛が彼を引き剥がそうとしたが、私はそれを止める。アレクサンダーが何かを言ったみたいだが、お父様がそれを止めていた。



「サフィもデュラもヤッカルも無事よ。……だけど、しばらくは会えないの。だから、彼らの代わりに私たちはあなたたちを助けにしたのよ。誰か水を持ってきて」



 メイドがコップに入れて持ってきた水を彼に飲ませた。一口飲んで「美味しい」とつぶやく。だけどそれ以上を口にしない。




「どうしたの?飲んでいいのよ?」


「まだ食べ物を取りに山に入ってるのが三人、中には七人いる。みんなにも飲ませたい」



 不安げな瞳を揺らしながら、彼は私にそう訴えた。

 水だってまともに飲めないのに、他の子を気にかけるなんて……。彼の優しさに目が潤むのを我慢して、みんなで中に入る。



 1番奥の部屋には、声も出さずに座ったままの子、寝息を立てて寝ている子などがいた。私たちの姿を見て、驚きを隠せていない。みんな、服というよりも布を巻いているだけのような格好でその場にいた。


 最初に出会った男の子に説明してもらい、彼らに水を与える。少しずつ、少しずつ飲んでもらい落ち着かせる。




 もう手遅れだった子も二人いた。


 我慢ができなくて涙が溢れる。お父様のもとに駆け寄り、誰にも見られないよう、声を殺して泣いた。




「我が国の、こんな現状を知らないなんて。僕は知識不足だった。僕は国王に……なれるのだろうか」


 アレクサンダーがポツリと呟く。小さな声だったが、ここに来た大人たち全員が耳にし、そしてこの酷い状況に心を痛めた。




「殿下。今までを経験としてこれから変えていくのです。それが、あなたの役目ですから」


「そうだな……。トニー、ドロレスを頼むぞ。オリバー、彼らを馬車に乗せてあげてくれ。他の護衛も、山から戻ってくる子どもたちがいたら声をかけろ。少しずつゆっくりと水を飲ませろ」


「かしこまりました!」




 アレクサンダーは残った護衛とともに廃墟の中を歩き回っていた。


 落ち着いた私は手分けして、サフィたちが誰から仕事を受けたかの証拠がないかを探す。




「おねえちゃん」


 ズボンを引っ張る小さな女の子が、私のことをじっと見ている。私はしゃがんで彼女に声をかけた。




「どうしたの?」


「おねえちゃんは、サフィおにいちゃんのことしってるの?」


「知ってるわよ」


「サフィおにいちゃんのこと、まもってくれる?」


 視線をそらさない彼女の大きな瞳に、私も決意を持って答える。




「ええ。必ず守るわ」






 すると女の子が体に巻いていた布を外す。




「ち、ちょっと待って!裸が見られちゃうよ!なにか着るものを……」


「これ」




 誰にも見られぬようにと抱きしめた私に、体に巻いていた布を渡した。




「これは?アレク様、お父様!」


「どうした?なにか見つかったのか?」


「これを見てください」




 私は彼女を抱きしめたまま、布を渡す。




「地図?しかもたくさん……」


「1枚の布に何箇所か分かれてたくさん書いてあるな」


「あっちのおねえちゃんはちがうよ。あっちのおにいちゃんもちがう」


 抱きしめている彼女が次々に指をさす。着替えを持ってきてもらい、順番に布を確認する。そこには、証拠となりうるいくつもの情報が詰め込まれていた。





「こっちきて」


 服を着させた女の子が、私を引っ張る。家の裏に連れて行かれると、そこは何箇所にも石が積まれ、土が膨らんでいる場所があった。


 私は気を落ち着かせ、深呼吸する。そして、手を合わせた。




「ここほって」


「え?」




 何箇所も盛り上がった土のうちの一つを掘れ、と言われた。だけど流石に掘れないよ……。でもずっと女の子は諦めずに私に「ほって」と繰り返す。ど、どうすればいいのよ。




「ドロレス。私が掘ろう」


 お父様が手でその土を掘り出す。掘り返しちゃってごめんなさい。あなたの眠りの邪魔はしないから……。






「ん?」


 お父様は何かをつまむと、それを引っ張り出した。




「これは!」


「そうか。……明日から先程の地図の調査を極秘任務として始めるぞ。そして確実に仕留める。……ドロレスを襲おうとした貴族など、タダじゃおかない」



 アレクサンダーが強い意思を感じさせるような声で叫んだ。


 掘り出したそれには、私が家庭教師から習った、ある貴族の家紋が刺繍として縫われていた。 

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