90.二人
そして前回のフレデリックとの約束のためにルトバーン商会にやってきた。
このバギーを開発したザカリーと、1歳から2歳の子供を持つ母親4人。
この世界は男尊女卑ではないものの、男の人が働いて女の人が家のことをやる、というのが一般的だ。「俺のほうが大変だ」とか「私のほうが疲れる」などのネガティブ意見はなく、お互いがお互いの役割を尊重し、進んで手伝う。だから今回は子育ての内容になるので母親が集まっていた。
私が入ると、母親たちが慌てて頭を下げている。……身分を隠しておこうと思ったのにバレバレだった。
「ドリー。ロールケーキ配ったときにもうすでに存在を知らしめてるからね?」
「ああそういうことか……」
そういえば私、この大商会全員にロールケーキ渡していたわ。
簡単に自己紹介を済ませ、頭を上げてもらう。
「それで……どうでした?【バギー】は」
おそるおそるみんなに聞いてみると、目を輝かせて嬉しい返事が帰ってきた。
「そりゃあもう楽ですよ楽!子供抱えて買い物行って、それで荷物と子供を抱えて帰るのがどれだけしんどいことか!」
「【バギー】に乗って寝てくれれば最高!抱えたときに寝ると、起こさないようにするのが大変で!」
「行きは【バギー】に乗りたいって言って、帰りに乗りたくないって言い出したときはどうしようと思ったわ。でもそんなときは荷物をこれに乗せればいいって気がついたのよ」
「畳んでも下に車輪がついてるから引きずって持ち帰ることもできるのよ」
怒涛の勢いで感想を喋りまくる様子に前世の幼稚園の先生時代を思い出す。こんな母親たち、いたなぁー。懐かしい。
「特に問題もなさそうなので、年が明けたらすぐに数台を販売しようかなと思います。この方たちにはこの試作バギーを安価で先行で販売してもいいですか?」
「大丈夫ですよ。むしろガンガン外で使って宣伝してもらいしょうか」
「大丈夫よ!もうほぼ毎日買い物と友達の家と行き来してますから!今妊娠中の友達数人に自慢したわ!」
一人の母親が親指を立ててグッ!とポーズをする。どこの世界も女は強い。さすが母親ネットワーク。
「もし余っていれば1つ私も買い取ってよろしいですか?友人にプレゼントしたいので」
「もちろんですとも」
「知人の公爵家だけど」
「……今一度確認だけさせてください……」
欠陥など無いだろうに、公爵家というパワーワードに恐れたのか作業場に戻っていったザカリー。そして1時間以上も経過し、ようやく戻ってきたと思ったら、先程の母親たちに渡したバギーとは似ても似つかないツヤッツヤのバギーを持ってきた。……この短時間で磨いたのかな。
「とんでもない時間がかかったわね」
「ザカリーは几帳面で神経質なんだよ。少しの妥協も許さないタイプだから、公爵家と聞いてビビってめっちゃ磨いたんだろうね。他の【バギー】と全然艶が違いすぎて思わず吹き出しそうになったよ」
馬車にバギーを積み入れてもらったあと、短くなってしまったフレデリックとの街ぶらだ。
うん、デートですかねこれは。
「ロレンツの店まで行ってる時間はなさそうだから、前に行ったアンティークの店でも行こうか」
「ええ!またあの店行きたいわ」
馬車を走らせ、近くに停める。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
先にフレデリックが降り、手を差し出してくれる。にっこり笑うフレデリックについ照れて目をそらす。自覚してからのこれは心臓に悪い。貴族なら当たり前の行動なのに……。
店に入ると、そこはやはり賑わっていた。ワイワイガヤガヤと、アンティークを置いてある店らしからぬ明るい声が響く。
この間は懐中時計を買ったんだよね。結構気に入ってていつも持ち歩いている。
店の中を見て回ると、やはり豪華なデザインが目立つ。あの懐中時計が浮くくらいだから、やっぱりシンプルなデザインは売れないんだろうな。
そう思いつつやっぱり私の目に留まるのはシンプルなものである。つまり私の好み、シンプルイズベストなんです。
ランタンも可愛いしペン立ても素敵だし折りたたみの小さな鏡も使いやすそう。ザ・優柔不断。何か買おうとは思っていたけど、全然絞れない。どれもほしいし買えるんだけど、そういう貴族的な買い方をしたくない。貴族だけど。
悩みに悩んだ挙げ句決まらず、時間がなくなってしまい店を出ることとなった。あのペン立ては今度買おう。
12月はとても寒い。さっきは太陽が出ていたからまだよかったものの、雲に隠れると視覚的にも寒さを感じる。手袋の存在がどれだけありがたいか……。フレデリックにとても感謝したい。
「そういえば、手袋が小さくなってきたから、新しいのを買いに行くわ。さっきお願いすればよかったわね」
「ドリーのは……俺が作るからさ。何かあったら俺に言ってよ。前回のより大きめで作っておくね」
「いいの?ありがとう」
冷たい風が音を立てて私たちの横を通り過ぎる。二人とも鼻の先と頬を真っ赤にしながら馬車を目指す。露店で売っていたホットミルクを二人で買った。
「温かい……」
「うん、はちみつ入ってるホットミルクって美味しいよね」
「わかる!私もよく入れるのよ」
お互いフフフッと笑い、縮こまる体でホットミルクを口につける。このまま歩けばもうすぐ馬車だ。
おそらくもう二人では出かけられなくなるだろう。だって、王族の婚約者である公爵令嬢が平民の男と二人で出かけるのは許されない。
馬車まであと数歩。足が無意識に止まる。
「ドリー?」
何か言わなくちゃいけないのに言葉が出ない。本当はもっと……あと1時間、30分でもいいから一緒にいたい。だけど今の私が口にするのにはとても難しかった。口にしたところでフレデリックに迷惑がかかる。何も言えないのが悔しくて下を向いてしまう。
「寒いから、馬車に入ろう?」
「……ええ」
促されるように馬車に乗る。ジュベルラート公爵家の馬車はフレデリックをルトバーン商会へ送ってから公爵家に帰る。
この時間を、残り僅かな二人だけの時間を明るく過ごしたいのに、それができない。ずっと下を向いたままの私の手をフレデリックが優しくギュッと握りしめてきた。
「フレッド……」
「商会に着くまで。……正式に決まるまであと数日あるでしょ?なら……今だけ」
フレデリックが少し強く握りしめたその手を、私は握り返す。彼の肩が一瞬跳ねた気がした。
今の私が出来るのはここまでだ。だけど、彼と手を繋いだこの日を忘れない。私が距離を置けばあっという間に壁が出来る。だから私からは絶対に離れない。
ルトバーン商会に着くまでずっと無言で手をつないだままだった。
到着してフレデリックが馬車を降りる。彼は再び走り出した馬車の窓を追いかけるように走って、私が完全に見えなくなるまで手を振ってくれた。
今日はアレクサンダーの誕生祭。前回と同様に迎えの馬車が来る。……今回はちゃんと間に合ってるからね!
誕生祭の前に婚約式を行う。これは貴族が入場する前に王族と大司教と私だけで行い、貴族入場時点で私は壇上にいる、という………なんともまぁ、哀れな私の運命よ。昨日わざわざ王宮に行って一連の流れを頭に叩き込まれたんだから!
流石にアレクサンダーも普段やらないことだからなのか、王宮に向かう馬車の中で私と今日の婚約式の流れを何度も再確認した。
「指先一本の位置まで決まっているとは思わなかった……」
「私もです……。ティアラを受け取るときに『目は瞑らないけど瞑っているくらいの伏し目にすること、絶対に瞑らないこと』ってさんざん言われましたわ」
「それはもはや瞑っているのでは?」
二人きりの馬車で2つの深い溜め息が何度も響く。
……はっ!おい私!普通にヘコむな!この苦悩を唯一わかってくれるアレクサンダーに無意識に安心してしまっている!目を覚ませ!私!
馬車が王宮に到着する。まだどこの貴族も集まっていないので、ズラッと王宮務めの者たちが出迎える。さすが王子……。
私は応接室に通されると、着替えるように言われた。
ん?だってこの間、アレクサンダーにこれ着てこいってプレゼントされたわよね?
「婚約式で、正式な婚約者の証としてティアラを受け取る際にはこちらのドレスを着ていただきます。その後は今お召しになっているドレスに着替えていただければ大丈夫ですので」
メイドが指した方を見れば、そこには……まぁ、こう表現するのが一番でしょう。
純白のドレス。
が、用意されていた。
おう……。まさに結婚これぞ結婚なドレス。この歳で結婚を意識しなくてはいけないなんて。日本って平和だったんだわ、13歳で結婚なんて考えないもの。
用意を済ませ、国王陛下のもとに向かう。婚約式の部屋にはすでに王族と大司教が入っており、私はあとから入場してアレクサンダーの元へと進む。長い絨毯の上を一人で歩く。ここでエスコートがないのは、『まだ誰のものでもない』という意味らしい。ふーん。
国王や王妃が言葉を述べ、アレクサンダーに婚約のティアラを渡す。そして私はアレクサンダーの方へ向かい合わせになるように体の向きを変え、屈む。
「私の婚約者として、ジュベルラート公爵家長女ドロレスを迎え入れる。婚約の証をここに」
屈んだままの私の頭に、きらびやかな宝石の散りばめられたティアラが添えられた。これは日本なら億単位だと思われる。もしコケて壊したら、私の体を売ったとしても返せる金額でないだろう。このティアラがこの世界で一番恐ろしく感じた。
王族すべての人が大司教へ体を向ける。大司教の言葉により、ここで正式に婚約が成立した。
成立してしまった。
あぁ……。
あっという間に婚約式が終わり、再び先程のドレスに着替える。ティアラは一度外すものの、このあとの誕生祭でつけていかなくてはならない。
王宮のメイドたちに服を着替えされられている。まるで着せ替え人形だ。そして再び悟りを開き、何も考えないことにした。
あ、その前に。
みんなは気づいているのだろうか?
婚約式、私が一言も話していなかったことに。
これは、王族に嫁ぐ令嬢に有無を言わせないための流れなのでは?昨日教えてもらったときも『あなたが話すことは何もない』と当たり前のように言われた。そりゃそうだよね、あの場に私の味方いないんだもの。親すら入れなかったし。
入って話を聞いてティアラ受け取って……。私の婚約式なのに何も話せない私の存在意義とは……。
そうこうしている間に誕生祭が始まった。




