心という言葉の意味を定義することは不可能(?)
未来とは何なのか?
時間とは何なのか?
物心ついた頃から、
自分の未来を、
それが断片的で、
非連続的で、
今との因果関係や、
そこに至る道筋がいかに不明であったとしても、
それをCMのように夢にみる、
という暮らしを日常とした中で、
未来とは、
「確定」している、
経なければならない現実だと理解するようになった。
その中で、
時間や、
その中での人間関係や環境要因との関わり合いの中に、
ある精神学者はこころの在処を想像するけれども、
未来が確定しているとしたら、
それはこころの在処じゃないな、
と僕は考えた。
BGさんがメッセージをくれるまでの一年間。
その間に付き合い始めた女性は「節子」といった。
節子は名前の通り、
三島由紀夫の小説に出てくる「節子」と同じように女性だと思ってくれていい。
不道徳は人を同胞のように仲良くさせる、と作者は節子の夢想を記しているが、僕の節子も同じようだった。
だから、
当然のように僕は僕なりの葛藤を抱えるわけだ。
作中と同じように夫のいる彼女と過ごす週の内の一日二日は、その葛藤の幕間だった。不思議なことに、節子といる間は、未来をみずにすんだから、でも、その幕間は決して確定した未来が作り出した何かではない。
しいて言えば、
未来へ干渉しようとする意思がこころを生み出すが、
未来は変化しない。
そして、節子との関係が一年の記念日を迎えた、桜満開の夜だった。
BG 「君の状況を、私なりに一年間かけて理解した。その上で提案がある」
なぜか、
僕は生まれて初めてくらいに、
興奮を覚えてしまった。
BG 「その前に、君の質問に答えておきたい」
僕は静かに画面をみつめた。