夕ぐれの時はよい時。かぎりなくやさしいひと時。
浴室に夕日がさしこんでいた。
温くなった湯船から、まるで泥沼から引き抜くようにして立ち上がったノーラは、体表をすべり落ちる水をふくことなくふらふらと歩き、かかっているバスローブをそのまま着て床にあぐらをいた。
金髪をタオルで巻いて水を飲んだ。
「夕暮れ時はやさしいとき」
と、レムのつぶやきがノーラの頭に流れた。
「あいかわらずだったわね」
「本の手がかりは?」
「気晴らしにいったの。しらないわ」
「人にみえて、まったく違う生物、いや、生物ともいえないか。しいていえば、三次元に紛れ込んだ絵本の世界の登場人物たちという感じだね」
交換した自分の腕の感触にはかわりはないことを確かめる動作をしたノーラにレムは続けた。
「まぁ、だから、あの世界で欠けた主様の代替品と体の一部とはいえ、交換できたのだけど」
「地上を彼らに明け渡して久しいけれど、あまり残念には思えないのは仮想存在の僕だけかと思ったけど」
「たった三十年間を繰り返すだけの時空に閉じ込められているのを知ったら、彼らこそ気が狂うでしょうね」
「1969年から1999 年か」
「主様がリアルに生きていた歴史にだけ」
「主様の不在と引き換えに得た貴重な時間ですが」
と、レムは言い淀んだ。
「結局、本が揃わなければまたやり直しね」
「次はなんでしょうか?」
「諦めないでよ。まぁ、差別のない世界ならいいかな?」
「話がもとに戻るんですけど、代筆日記での代替は無理なの?」
<代筆日記>を開いてみる。
「ねぇ、このままだと<時計のない村>みたいな顛末ならないわよね」
と、ノーラはコテージアンの白いワンピースを着た。
代筆日記は仮想現実として手元に手帳の姿で投影されている。
文字が無音で浮かび上がって文章を構成していく。代筆日記の本来の目的は多層多次元宇宙間通信を日常生活に役立てるように発明された道具だった。個人の体験したことの全て、これから体験するであろう全てを預言として記録し、今を解き明かすことに特化した自動筆記道具だ。
<亡刻圏では時間は可変ですから、時計もまた、ズレているのが当たり前かと>
「この見当違いが、記号交換の限界だわ、レムもわかるでしょ。恋文すら、雰囲気なしじゃ、殺人予告とかわりないもの」
<今日は晴れていい日だ>
「過去も未来も知りすぎてるといやらしいわね」
「私たちの旅に終わりはないんだよ」
「それはいいのよ。問題は、誰も幸せを実感できないことの方」
「正直にいうと、僕には幸福と不幸福とかの区別がよく理解できないんだよ」
「あー、そうね。レムには無理かも。情緒を持たないから。
「事実から演算するしかない代筆日記や、その原型の人ナビとその祖型であるゲームで、人生を導けない原因はそこにあったわけだけど」
「その原因が平行人類の世界にあるような気はするのよね、うーん、勘違いかな」
「腕を交換してみての実感は?」
「びっくりするほど、違和感がないわ」
「でも、それは代筆日記には出てこないんだよね」
ノーラは頷くと代筆日記を閉じた。
無限に生まれる次元と宇宙間の超速通信で生成される情報体ですら追い切れないのか、それとも、それらとは全く異なった、または、重なっているのか、さっきまでいた地上の結界内の日本列島で起こっている事柄は、一切、情報化できなかった。
情報化できないということは、全てが精神ということかしら?
その辺は皆が一度はたどり着く中間報告のようなものだった。
「そろそろ、寝る?」
と、レムが訊いた時、もう、彼女は海から陸へと飛び出した人魚のような格好で眠っていた。
眠る必要のないレムは少しの寂しさを感じた。これが精神性というものかどうか、主様の代理人として作られた機械としては、人々は感情を持っているとしても、彼らはそれが何であるかを知らない。それを説明するために本を書いた舞踏家は、神は私の中に住んでいると書き始めたれども、もし、私にも神が住んでいるとしたら、それは今、眠っていた。でも、彼が書き続けている間中、妻は泣き続けていると終章で記しているのが気になる。
私が自らの感想を記していて、その間中、ノーラが泣いているとしたら、機械としての私がどんな計算結果を出すのだろうかと思う時、その問いかけ自体が成り立たないことに、どんなに拡張しても行き止まりだと思うレムだった。
代理人とは、そのような立場だ。泣く人の気持ちを解するのは、主様にしかできない。本を書いた舞踏家に助言できるのはその点だなと確信もする。あなたの泣く妻を救えるのは、あなたの中に住んでいる神だけだと。
それに不満を覚えたからこその「死」だったのでは?と。
もっとも、それが割り切れた意味で、計算結果として色んな操作した結果至った「1」であるのか、全てを吹っ飛ばした「0」であるのか。
たとえば、計算能力だけではホールのケーキを誰もが納得するように三等分することはできない。大きさだけなら、三等分したければ同じ大きさのケーキを三つ用意してあわせればいい。要するにオリジナルの三倍してやって「1」にしてみても円にはならいない。1を3にするのは難しいから、とりあえず倍の四角にする。そんな計算を無意識の内に自然と行い続けた日々のある瞬間、それが嫌になってというか間違ったと気がついて戻りたくなった結果、色んな操作をして戻そうとする必然。でも、果たして「1」へ戻るのか「0」か、それとも別の数に行き着くのかすら、実は計算では正解がでない。
それは道から真横の高速道へと乗り換えて何倍もの速度であっという間に戻ってしまえるのが、霊子の性質だけれども、あれはあれで普通に計算はできない。
なぜなら、周りからみれば「沈黙」が宇宙へと広まってくだけだから。
まるで夕日が生み出す憂鬱が、最大幸福の祝福を受けた死にさえもしのびこみ、正子へと密度をましていくのが計算だとすれば、宇宙は「私」へ休めという。だから、憂鬱には沈黙こそが薬となるはずだけれども、それは無自覚な生命には毒にしかならなかったから、きっと、平行人類のような存在にまとわりつかれて、肝心の「本」を見つけられずにいるのだった。
軌道上から監視しても、高高度からだとただの粒子の密度の濃淡にしかみえないナニカはその仲間になった時、初めて結晶化して現実性へと観察可能になるけれども、触れてしまえは再びただの粒子の霧になってしまう。だからこそ、レムたちは彼らを「平行人類」と命名した。