ハレーション・ゴースト
去年の暮れ、
公開された映画で、
囁くのよ、私のゴーストが、
というセリフがあったけど、
未来の夢をみるゴーストって、
いるのだろか?
そういえば、
南米の山林民族でのゴーストのあるなしは、
捕食者の気配を感じるかどうか、
だったはずだ。
あと、
誰だか忘れたが、
服を着てない幽霊はいない、
とも言っていた。
だとすれば、
まだ裸だったアダムとイブはやはり人外、
ということでいいわけだ。
その人外は果たして夢をみたのだろうか?
もし、
彼らが最初の預言者だとすれば、
彼らが仮に夢をみたとしても、
それは夢ではなく「預言」だ。
だとすれば、
僕が少年で、
まるで漫画でありそうなシーンに登場していたのを、
預言と解釈したら、
一体、
どうなるのだろうか?
神話の時代ならまだしも、
まさか、
BGさんは僕の言葉を「預言」だと思ってはいないはず...。
哲学者は神話とは人とその他の生き物の「区別」がない時代といっていたが、
だとしたら、
現代にあって僕だけが神話の時間軸でいきているのだろうか?
そう思うのは、
僕がきいたBGさんの作ろうとしている「代理人」は、
人と他の区別を具体的に無にする気がしたからだ。
神話時代の「夢」がそうであったように、
僕の夢もまた、
現実だからだ。
そうした夢は日常ではまるで幽霊のようだ。
ある光景をみて歩いていて、
ふと、
これのあそこにあれがあのときこうなるのだ、
といった経験が積み重ねられて、
世界には幽霊が幾何級数的に重なり合う。
まるで何重にも重なり合う薄い光の膜に描き出された世界から、
僕は常に一人で戻らなければならない。
戻らなければ、
生身の節子で出会えないのだから。




